ロシアの侵略が続くウクライナでは東・南部の前線での戦闘に加え、露軍が放つミサイルや無人機が全土を脅かし、民間人の犠牲者が増え続けている。 一瞬にして家族を奪われた人たちは、戦禍の中で生きる意味を模索している。(リビウ 倉茂由美子) 「一人だけ生き残り、私の人生はもう意味がなくなってしまった」。ウクライナ西部リビウの墓地で13日、ヤロスラフ・バジレビチさん(49)は四つ並んだ十字架の墓標をぼう然と見つめていた。 掲げられているのは、露軍の攻撃で約1年前に亡くなった妻イブヘニアさん(当時43歳)と3人娘のヤリナさん(同21歳)、ダリアさん(同18歳)、エミリアちゃん(同6歳)が笑顔で収まった遺影。週に何度も訪れ、スマートフォンで夫婦のお気に入りだったフランス音楽を流して時間を過ごす。 昨年9月4日未明、露軍の極超音速ミサイル「キンジャル」がリビウの閑静な住宅地を2度襲った。空襲警報が鳴り、アパート4階の自宅の廊下に身を寄せていると、1発目のミサイルが近隣に着弾し、大きな爆発音が響いた。 妻と娘たちは「より安全な場所」として示し合わせていた1階へ先に移動するため、階段を下りた。少し後にイブヘニアさんから電話が鳴った。「あなたも早く——」 階段を2発目のミサイルが直撃した。 電話は切れ、まだ居室にいたヤロスラフさんだけが生き残った。 「軍事施設を狙った」と主張も、周囲は住宅ばかり 昨年9月、ロシア軍の弾道ミサイルが直撃したウクライナ西部リビウのアパートからヤロスラフ・バジレビチさんが救出された。妻と娘3人がいるはずのアパートの階段や1階は見る影もなく崩落していた。 救助隊の腕の隙間から、だらんと垂れた娘の脚が見え、ヤロスラフさんは「きっと命に別条はない。他の3人も、がれきの隙間にいてくれたはずだ」と祈った。 しかし、願いは届かなかった。「人生の宝物を奪われた」 妻のイブヘニアさんは、子育ての傍ら仕事を三つも掛け持ちし、余暇にはヨガや香水調合の趣味に打ち込んだ。一人で何でもこなすことから、娘たちは母を「超能力者」と呼んだ。 長女ヤリナさんは活動的でイベント企画などの仕事に就き、妹たちを車に乗せて2度もイタリアに行った。次女ダリアさんは対照的に控えめな性格で、いつも心配事を抱えてしまうタイプだった。三女エミリアちゃんは英語のアニメに熱中し、いつの間にか滑らかな英語の発音を身に付けて家族を驚かせた。 露国防省は「軍事施設を狙った」と主張したが、周囲にあるのは住宅ばかりだ。「なぜよりによって我が家なのか」「なぜ家族を先に行かせたのか」「もし空襲警報を無視して寝続けていたら助かったのか」——。ヤロスラフさんは時間がたっても家族の死を受け入れきれないまま、自問し続けた。生き残ったことに対する罪悪感は消えず、心はむしばまれていった。 「悲劇の父」がようやく見つけた「使命」 近所では「悲劇の父」として知られ、視線を感じたり、声を掛けられたりすると、「私なら生きていられないけど、あなたは生きていられるのね」などと相手に思われていると信じ込むようになった。親切にされると「まるで銃を突きつけられているよう」に感じ、どう接したらいいのか分からなくなるという。今年4月から心理療法を受け始めた。 娘たちにいい教育を受けさせて、幸せになってほしいという一心で、暖房機器販売の会社を経営してきたが、今は業務の多くを部下に引き継いだ。社長は続けているものの、「お金を稼ぐ目的も失った。人生はただの時間つぶし」と自暴自棄になりかけた。 そんなヤロスラフさんが唯一前向きに取り組めるようになったことがある。国外でウクライナ支援を訴える活動だ。 今年から人権団体や他の遺族とともに米欧各国を巡り、政府高官や市民らを前に家族を失った体験を語るようになった。自身の感情も整理できない状態で言葉を紡ぐのは容易ではなかったが、「どうかウクライナを忘れないでほしい」と訴えてきた。多くの人は共感を示し、「決して置き去りにはしない」と約束の言葉をかけてくれたという。 しかし、侵略が終結する気配はない。ヤロスラフさんは、国際社会によるロシアへの圧力も十分だと思えない。「ロシアを孤立させれば戦争は終わるのに、なぜ世界は白黒つけられないのだろうか」とやるせなさを抱く。 それでも、ロシアの蛮行を語り続けていくつもりだ。ようやく見つけた「使命」を果たす姿を、妻と娘3人がきっと見守っていると思うから。