竹林面積が日本一の鹿児島県。伐採された竹の処分は、放置か焼却しかなかった。そこで、県内で操業する製紙会社が、竹を紙の原料として受け入れるとともに、100%日本の竹からできた「竹紙」の生産を始めている。この取り組みに込められたメッセージとは。「シリーズSDGsの実践者たち」の第46回。 【写真を見る】伐採された日本の竹100%で作る「竹紙」に込められた思いとは<シリーズSDGsの実践者たち>【調査情報デジタル】 処分に困った竹を買い取って紙の原料に 鹿児島県は竹林面積日本一を誇るとともに、タケノコの生産量も福岡県に次いで全国2位を誇る。食用の品種である孟宗竹などの林が、県内各地に広がっている。 美味しいタケノコを生産するためには、竹林を整備しなければならない。タケノコは2年から4年ほど育った竹の付近に生えてくる一方、5年以上育った竹の付近には出てこない。そのため鹿児島県では、5年以上育った竹の伐採を以前から推奨している。 しかし、大量の竹を伐採しても、放置して朽ちるのを待つか、穴に埋めて焼却するといった方法でしか処分ができない。タケノコ農家はどうすればいいのか悩んでいた。 この問題の解決に長年取り組んでいるのが、薩摩川内市にある中越パルプ工業川内工場。東京に本社がある製紙会社で、1954年に当時の川内市における誘致企業第1号としてこの工場を開業した。書籍やノートなどに使われる印刷用紙、手提げ袋などに使用される包装用紙をはじめ、さまざまな紙製品を生産している。 敷地面積は福岡ドーム3個分に相当する約23万平方メートル。川内港の輸入木材チップヤードのほか、工場内にも木材チップヤードがあり、国産木材チップは直接工場へと運搬されていく。 工場を訪れると、大量の木材チップが積み上げられていた。その中には、木材以外のチップもあった。それは、竹のチップだ。 竹のチップは広葉樹のチップと混ぜる方法で、一般的な紙の原料として使われている。それだけでなく、年に2回は日本の竹100%でできた「竹紙」も生産する。 ピークだった15年ほど前は年間2万トン、現在は年間およそ9000トンの竹を使って紙を作っている。竹の紙を大量生産できる国内唯一の工場であり、おそらく国内で最も竹を買い取っている工場でもある。 歴代の社員の思いをつないで生まれた「竹紙」 川内工場では、なぜ竹を原料として受け入れるようになったのか。広く社会に伝えるために「竹紙」を使った商品も開発してきた西村修さんは、先輩社員が始めたことがきっかけだったと説明する。 「今から27年くらい前に、川内工場に勤務していた先輩社員が、地元の人たちから伐採した竹の処分に困っていることを聞いて、竹を紙の原料として活用できないかと考えたのが始まりでした」 ただ、木材に比べると竹は硬く、空洞があるため、従来の木材チップ工場では対応が難しかった。それに、いざ竹を集めるといっても容易ではなかったという。当時から川内工場に勤務していた上級調査役の原田大五さんは、試行錯誤を重ねたと振り返る。 「どうすれば木材のチップに近い形状に持っていけるのかを、チップ工場と話し合いました。何度か試験的に削るなどした結果、竹専用の刃を開発できました。ただ、最初の年は100トンに届かないくらいしか、竹が集まりませんでした。どうやったら集めることができるのかわからず、自分たちで竹山に行って、竹を切って運搬してみたところ、4人から5人で作業しても、1日1トンくらいしか持ち出すことができませんでした」 しかも、木材用のトラックで運搬しようとしたところ、重量によって料金をもらう運送業者にとっては、竹は軽いため採算が合わない。竹を一度に大量に運搬することは現実的ではなかった。検討の末、タケノコ生産農家が自分たちで伐採して、自分たちが軽トラックで近くのチップ工場まで持っていく方法で落ち着いた。 集められた竹はチップ工場で加工され、竹のチップは川内工場が全て買い取ることになった。1998年から広葉樹を原料とする紙を生産する際に、竹のチップを一緒に混ぜるようになる。 この取り組みは川内工場が独自で行なっていたものだった。それを、川内工場から報告を受けた当時の経営者が高く評価して、もっと竹のチップの買い取りを増やすことを指示し、ピーク時には2万トンもの竹を紙の原料に使うようになった。 さらに、川内工場が持っていた、パルプを生産するための古くて小規模な設備であるバッジ釜を使って、竹100%の紙を作ることができることがわかった。バッジ釜に竹チップを投入し、高温高圧で煮る「蒸解」の工程を経て、植物繊維であるパルプを取り出す。この方法で、2009年から竹100%の紙を作り始めた。 この竹100%の紙に「竹紙」と名前をつけたのが、東京本社で勤務していた西村さんだった。本来、紙は企業間で取引するBtoBの製品であり、取り組みを社会に伝えるのは難しい。そこで、「竹紙」のブランディングを進めるとともに、取り組みを環境関連のコンテストなどに応募。「エコプロダクツ大賞」エコプロダクツ部門で農林水産大臣賞を受賞したのをはじめ、20近くの表彰を受けた。 西村さんは「竹紙」を使ったノートやカレンダーなどの商品も1人で開発してきた。「竹紙」のブランディングを図った理由を次のように明かした。 「川内工場が以前から竹を集荷していることは知っていました。そのいきさつを具体的に深掘りすると、環境問題への取り組みでもあり、地域貢献の取り組みでもあると感じて、これを会社のブランディングの核にしようと考えました。『竹紙』と名付けて、この取り組みを社会に知ってもらうことが、会社の利益につながると思いコンテストへの応募や、展示会への出展などの発信を始めました」 紙の原料に竹を使い始めた1998年や、「竹紙」を作りはじめた2009年は、まだSDGsの言葉もない頃だ。中越パルプ工業では、現在でも当たり前のように、本来であれば処分に困る伐採された竹をタケノコ農家などから集めて、紙の原料として使い続けている。 「竹紙」を伝えることで社会を変えていく 現在、中越パルプ工業に竹のチップを納入しているチップ工場は、県内に6社ある。そのうちの一つ、姶良市にある国元商会には、農家などから受け入れた竹が集められていて、専用の機械でほぼ均一な大きさのチップが作られている。 ただ、中越パルプ工業が「竹紙」を作り始めた頃に比べると、新たな課題も出てきている。それは、農家の高齢化によって、竹が集まらなくなっていることだ。前述の通り、ピーク時には年間2万トンを集めていたが、現在は半分以下の約9000トン。農家も3割から4割ほど減少しているという。 薩摩川内市などの自治体では、竹を伐採した農家などに対して、1キロあたり3円の補助金を出している。それでも伐採が進まない中で、2024年度からはそれまで補助金制度がなかった鹿児島市も、1キロあたり6円の補助を始めた。竹の伐採は、今でも地域の課題であることに変わりはない。 一方で、中越パルプ工業にとっては、100%竹を原料にした「竹紙」を作っても、通常の紙に比べれば価格が高くなることから、たくさん売れるものではない。それでも、全国には取り組みに共感して「竹紙」を使った商品を独自に開発している企業も存在する。「竹紙」を作り続けることで、社会にメッセージを伝えることができると西村さんは感じている。 「伐採された竹の処分に困っているのは、社会の課題です。当時の先輩は課題に触れたときに、何もできることはないと思考停止するのではなく、『自分ごと』と考えて、自分たちでできることを探し出しました。 私が竹の受け入れや、『竹紙』の取り組みを社外に伝えているのは、もともとは会社のためでした。でも、今では伝えることによって、ほんのわずかでも社会が良くなるかもしれないと感じています。『竹紙』を見せることで共感してくれる人はたくさんいます。これからも取り組みを伝え続けることで、新たに行動を始める人が出てくれば嬉しいですね」 歴代の社員が紡いできた「竹紙」への思いは、環境問題への関心が高まってきた今、再び価値を持ちつつあるのではないだろうか。 (「調査情報デジタル」編集部) 【調査情報デジタル】 1958年創刊のTBSの情報誌「調査情報」を引き継いだデジタル版のWebマガジン(TBSメディア総研発行)。テレビ、メディア等に関する多彩な論考と情報を掲載。原則、毎週土曜日午前中に2本程度の記事を公開・配信している。