暴力を許容され、手を差し伸べられない 近年「ギフテッド」という言葉をよく耳にするようになった。学問や芸術、スポーツなど、特定の分野で優れた才能を持つ人を指す言葉だ。 ただ、「ギフテッド」のある方が、社会に価値を見いだされ、人類の歴史に爪痕を残すような人生を送れることは非常に幸運なケースだと感じる。たとえ才能が開花したとしてもその能力を生かす場もなく、市井の人として生涯を終えることも多いからだ。コミュニケーションの能力の乏しさや、他人の気持ちを理解できない特性から、周囲の人たちからの理解も得られないこともよくある。 「ギフテッド」は美談で語られがちだが、それだけでまとめられる特性ではない。前編から引き続き紹介するケースもそんな天才のひとりである。 津軽三味線の天才奏者、華絵さん(75歳)もそのひとりだと感じた。 落ち着きがなく、荒い言葉遣いで暴力を振るう華絵さん、 彼女の暴力を若干嬉しそうに引き受ける三郎さん、 広い心で受け止めている夫の武夫さん。 共依存なのかマゾヒズムなのか、よくわからない関係性の3人に翻弄されながら、私は訪問診療に通うことになった。 「「ギフテッドを美談だけでは語れない」看取り医がみた「天才三味線奏者」の暴力…そして、それを受け止める夫と、もう一人の男が暮らす「奇妙な生活」」より続きます。 2回目以降の診察風景も、華絵さんが三郎か夫に暴力を振るい、それを受け流す風景が続いた。みていて気分のよい光景ではないが、虐待ともいえる仕打ちも、受けている当人たちが許容し、気にしていない以上、手を差し伸べる理由がない。一方で、こんな状況をなぜ受け入れられるのか理解もできないでいた。 華絵さんの症状は物忘れ、幻覚、妄想、そして自分本位で反社会的行動、アパシー(無関心)、自発性の低下など。パーキンソン病の症状からも、脳の前頭葉と側頭葉が委縮して起きるピック型認知症も疑える状況だった。 ただ確定診断をしたくても、MRIなどによる前頭葉の萎縮や、SPECTで血流を調べたいが、外来に連れ出すことも難しい。 一方で夫の話も要領を得ず、いつから発症したのかについても、「いつからかなぁ。気づいたらそうだったというか、50代くらいかなぁ。うーん」と黙り込んでしまう。往診では限界があり、医者としてアプローチできることがほとんどない。これらを解決する治療薬は存在しないため、対症的に内服薬を選択するしかない状況——。 袋小路に入っていた。 「怖くて近づけない」 そんな中、別のお宅の診察中に華絵家にまつわる話が聞くことができた。80代の男性の診察をしていたところ、介護者の息子さんが「先生って、俺の叔母さんの診察をしているでしょ? 華絵さんってわかる? 華絵さんの夫は親父の弟なんだよ」と話しかけてきたのである。 私が往診に使っている車が華絵さんのお宅の玄関先に停まっているのを見かけて、気づいたらしい。「叔母さん、大変でしょ…」と水を向けられ、「認知症がなかなか落ち着かなくてね」と返すと、思わぬ答えが甥から返ってきた。 「あれね、認知症じゃないよ。若い頃からああいう人なんだよ。ハチャメチャだった」 甥が続ける。 「俺が物心ついた頃から叔母さんは普通じゃなかった。怖くてあの家には近寄れなかったし、親戚の集まりも叔父さんだけが来て、叔母さんは連れて来なかった。社会性や常識がないというか、奇人変人ぶりが凄かったからね。俺の嫁も石を投げつけられたことがある。だから俺たちの結婚式も叔母さんだけ欠席だった」 仮にそれが事実であれば、ピック型認知症が疑わしい華絵さんの「診断名」は変わってくる。彼女は私に対しては口が悪いだけだ。診察にいけば「おお、よく来たな。三味線でも弾いてみるか?」と、気さくに声をかけてくれる。 なんとか往診の範囲内でより正確な診断を行い、今後の生活に生かしたい。 そのためにも事情に詳しい方に話を聞きたい。そう思っていた矢先、訪問診療に伺うと娘の尚子さん(仮名・50代)が帰省しており、話を聞くことができた。 「母に怯えて暮らしていた」 尚子さんの口から語られたのは、母・華絵さんを核とした機能不全に陥った家族の苦しみだった。 「母は、私の子どもの頃から変わっていて、私たち姉妹は甘えたりできませんでした。家庭的なところは何もありません。いや、できない人だったと思います。食事を作るのも、部屋の掃除も、私たちの学校行事に参加するのも一切を父がしてくれました。この家に母はいません。母のかわりをしてくれたのは父です。 母には何か異常がある。そう感じた私たちは友人を家に呼ぶことはしませんでした。母は気に入った子にはケーキを買ってもてなすのですが、気に入らないと突然殴ったり、石を投げつけたからです。その気に入る、気に入らないの基準もよくわからない。それで怖くて友人を家には連れてこれなかったのです。 私たち姉妹はいつも怯えて暮らしていました。皿や茶碗、酷いときには包丁まで投げてくるからです。私は大人になってはやくこの家を出ることばかり考えていました。妹は居場所を探して新興宗教に入って、行方がわからなくなりました。もう20年以上会っていません。 私もずっとこの家に来るのを避けていました。最近、やっと母の暴力が落ち着いて、私も父に会いにくることができるようになっただけです」 父もまた被害者 娘たちが怯えて暮らし、家から離れていった一方で、父である武夫さんは暴力を振るわれながらも、甲斐甲斐しく華絵さんの面倒を見続けている。尚子さんに理由を聞いてみた。 「私も父がどうして母にあそこまで尽くすのかがわかりません。あれだけ母に尽くしても母からは何ももらえない。三郎さんも同じです。奴隷のようにしか扱われないのに慕っている。私には理解できません」 「父と母は職場のサークル活動で知り合ったと聞いています。父が車の免許を取って母を同乗させていたとき、事故を起こした。母は頭を打ちつけ、その頃から少し手の震えのようなものが出るようになったようです。 気が合って結婚というより、父が責任を感じての結婚だったのではないかと私は思っています。私が小学生の頃まで祖母が生きていましたが、祖母が事故を起こした父の弱みや優しさに目をつけてまとめた縁談だったと思います」 たった1年で津軽三味線のプロに 尚子さんは母・華絵さんの人格を否定し続けたが、一方で、津軽三味線の腕前については認めていた。 「母が40歳を超えた頃、友人からチケットをもらい父と母は演奏会に出かけ、初めて津軽三味線を聞いたのですが、コンサートから戻ってきた母は、憑りつかれたように聞いた楽音を口で演奏し始めたのです。その正確さに父が驚き、父が寄り添う形で母は津軽三味線の口座や教室をまわりました。 母の性格の難しさなのか、4ヵ所でクビか出入り禁止になり、5ヵ所目の教室でやっと落ち着きました。その後も母は何かが憑依したかのように寝ずに練習を行い、気づいたときには師匠のレベルになっていました。私たちも驚きましたがたった1年でプロとして演歌歌手のコンサートで津軽三味線の奏者として演奏をしていました。 あの人…新聞の字もあまり読めていないのに、三味線の演奏は一度聞くだけで完コピしてしまうから、譜面を見ずに何百曲も演奏し再現できるんです」 武夫さんはそれに喜び、「少ない給与の中から高価な三味線や着物を何度も買ってあげていた」そうだが、「母が父に感謝することは一度もなかった」という。 社会性に乏しく、軽度の精神遅滞がみられ、しかし三味線を持たせると天才的な一面をみせる——。 華絵さんについて、私は「サヴァン症候群」ではないかと考えた。 サヴァン症候群とは サヴァン症候群とは、一般的な知能水準に比べて特定の分野で顕著な才能や技能を持つ状態の人のことをいう。通常、発達障害や脳損傷が背景にあることが多いと言われているが、症例も少なく、まだわからないことも多い。 この症候群は、数学、芸術、音楽などの特定の能力が非常に発達していることが特徴である。テレビのバラエティー番組で、過去数千年にわたって、その日が何曜日かを即座に計算して言い当てる才能を見たことはないだろうか。 諸説はあるが、美術分野では一度、見た風景を写真のように再現する山下清画伯もサヴァン症候群だったと言われている。サヴァン(Savant)とは、もともとフランス語で天才・賢人などの意味を持つ。 音楽的サヴァン症候群のほとんどの人は、楽譜を読むことができず、非常に多くの曲を記憶によって演奏するという特徴もあるという。私の力では確定診断には至らないが、症状的には当てはまると考えた。 「私たちは普通の母親が欲しかった」 私は尚子さんに「この分野の専門家ではなく、非常に珍しい症例なので外れているかも知れないですが」と前置きしたうえで、「華絵さんはサヴァン症候群ではないかと思う」と伝え、「発達障害の要素と天才的な要素を持ち合わせているのは間違いない」と説明すると、彼女はとても悲しそうな顔をしてこういった。 「私は普通の家庭を知りませんでした。母に怯えて暮らし、普通の生活を求めて結婚して家を出ました。妹はいま、どうしているかさえわかりません。父がなぜそこまで母に尽くすのかもわかりません。母は津軽三味線の天才なのかもしれませんが、私たちが欲しかったのは普通の母親です。母は好き勝手ができる幸せな人生だったかも知れませんが、父や私たちはある意味、犠牲者のような気がします」 華絵さんは人生の一時期、津軽三味線で輝いた。ギフテッドの特性のある子どもが生まれたとき、親が子どもを支え、尽くす例はいくらでもあると思う。しかし、そういった特性のある親に、子どもたちが尽くした例はあるのだろうか——。 尚子さんのいうとおり、この母のもとに生まれたのは悲劇だったのかも知れない。間違いなく母親を核とした一種の機能不全がこの家族には起きていた。 「父を母から解放してあげたい」 尚子さんに尋ねた。 「華絵さんの暴力は落ち着いてきました。攻撃的な才覚や反社会的な動きは軽減されましたが、最近は傾眠傾向にあります。そこに加齢による認知症が加わってきている可能性もあります。今後、状態は徐々に悪化してくると思いますが、このまま家での療養を続けられますか?」 「延命は望みません。父がどう思っているかわかりませんが、施設入所をお願いしたいです。父を休ませてあげたい。もういい加減、母から解放させてあげたいんです」 そんな父・武夫さんは猛暑の中続けていた、草むしりをおえて、汗を拭いながら縁側から入ってきた。 「大丈夫だよ、俺が最期までここで面倒をみるよ」 武夫さんは曇りのない笑顔でそういった。私はその気持ちを理解できないが、武夫さんにとって華絵さんを看取ることは決して不幸ではないことだけはわかった。 【つづきを読む】『後期高齢者になった「天才研究者」が書斎にひきこもり、認知症テストを拒否…「変な死に方をされたら困る」と怯える74歳妻と、看取り医がみた「異常行動」』 後期高齢者になった「天才研究者」が書斎にひきこもり、認知症テストを拒否…「変な死に方をされたら困る」と怯える74歳妻と、看取り医がみた「異常行動」