「インバウンド観光地」。 そんな呼び名を聞くことが増えた。これらの報道では、ニセコや豊洲の「千客万来」などの観光地で、インバウンド向けの値段で高い商品を売る様子が報じられている。 しかし、それらの報道は一様にこうした傾向に批判的で「日本人不在の」とか「地元を蔑ろにしている」と非難されることがしばしば。 こうした報道はどれほど個々の観光地の実態を映し出しているのだろうか。調査をしていくと、「インバウンド」とメディアからレッテル貼りされてしまうことで生まれる弊害も数多くあることが明らかになっている。 そんな「インバウンド観光地と呼ばれる」苦悩を取材した。 同じ「ぼったくり店」を映し続けるメディア 「なんでただの商店街やのに、こんなに言われへんといけないのか。そっといてほしいんですよ。メディアでそう書かれて、昔から頑張っているお店の売り上げが下がっても、責任は取らないじゃないですか」 そう、怒りとも諦念ともつかない表情を浮かべながら、男性は取材に応じてくれた。 男性の名前は國本晃生さん。大阪・日本橋にある商店街・黒門市場の商店街振興組合の事務長だ。同じく取材を受けていただいた、商店街振興組合の理事長・迫栄治さんもこう言う。 「SNSやメディアでは『ぼったくり』って言われますけどね、全部の店がそうじゃないんです。でも、報道では『黒門市場』とひとくくりにされる。まだ『黒門の〇〇という店が高い』と言ってくれた方がましや」 黒門市場は、江戸時代後期に誕生した市場で、明治から太平洋戦争を経て、現在まで大阪の台所として有名な商店街である。通りには150軒ほどの店が並び、青果店から魚屋、食肉店まで幅広いラインナップの店が並んでいる。 実は、この昔ながらの商店街が近年、「インバウンド向け観光地」としてにわかに注目を集めている。 華々しい側面もある一方で、どうやらその姿は報道が誇張した面も多分にあるらしい。今回は、そんな黒門市場の「メディアが作り出した」虚像と実像をお二人の話から紐解いていく。 國本さんと迫さんが不満を漏らすのは、「インバウンド向けのぼったくり商店街」という一方的なイメージがメディアを通して広まったこと。特に、センセーショナルな印象を付けようとする多くのウェブメディアによって、一部の店舗の様子が誇張されて報道された。 こうしたメディアの報道の多くは、商店街内で売られているカニが1本4000円だったり、牛串が10000円も越したりして「ぼったくり」の店が多いと印象付ける。 「確かにそういう店もあります。でもね、SNS上でぼったくりや、ぼったくりや、って言われている店って、だいたい同じ店なんですよ」 そう強調する國本さんはマスメディアの勝手な取り上げ方に不満を漏らす。 「そういうSNSの投稿を見て勝手に記事を書かれるんです。この間もあるメディアから一回電話がかかってきて、『インバウンドについての取材はお断りしてます』と言ったのに、結局その話も含めて書かれました」 勘違いが絶えないSNSの投稿 迫さんは自身でも黒門市場内のお店を経営しているが、こうしてメディアが報じる姿は、黒門市場の一側面しか映し出していないと言う。 「確かに、インバウンド観光客が増えてそういうお店も出始めました。でも、どちらかといえば、昔からここで商売を営んでいる店の方が多い」 一部報道では、コロナ禍の際に市場内に増えた空き店舗に外国人経営者が店を構え、「ぼったくり」とも称される値段で商いを始めたとも言われている。 実際のところはどうなのか。迫さんが続ける。 「お店は全部で150店舗あるけど、外国人経営者の店は、全体で10店舗ぐらい。それぐらいなんです。『ぼったくり』と言われる店は組合に入っていないところもあるんですが、それも25店舗ぐらい。 もちろんその25店舗の中でも普通の営業をしているところもあります。そして、残りの約125店舗は組合に入っている。それらの店の多くは、インバウンド関係なく、以前からの商売をずっと続けていますよ」 実際に私も市場の中を歩いてみたが、よくメディアで取り上げられるような高額な商品ばかりがある、とは感じなかった。 「SNSではぼったくりや、という言葉が無数に出てます。でも、勘違いした投稿も多いんです」と國本さん。 「黒門市場の中にハンバーガー屋がある。そこで『ハンバーガーの値段が高い、さすが黒門』みたいに書かれた。確かに3650円で、僕なんかが見てもちょっと高いな、とは思う。でも、そこはチェーン店で日本全国に店があるんですよ。 だからどこでも値段は同じなんです。しかもそこはハラル神戸牛(屠畜から調理・加工の過程でイスラム教の戒律を守って作られている神戸牛)を使っていて、味の評判はとてもいい。ちなみにハラル神戸牛は非常に高価で、調べてみたら同じ分だけ肉を使ったら本当は9000円ぐらいが望ましいとわかりました」 地元の人のための取り組みは無視される SNSでの投稿や、メディアの報道と反し、黒門市場の中には、地元の人がほとんどのスーパーもある。 「黒門中川さんね。魚の種類も多いし、奥には惣菜もあるしね。それに24時間営業やからミナミの飲み屋で働いている人も仕事帰りに寄って帰ったりするんですよ。だいたい地元の人間だったら、黒門市場の中で『魚はここ、野菜はここ』、とわかるんですよ」 このように、ローカルな側面も持つ黒門市場だが、メディアではこれらの側面はほとんど紹介されてこなかった。 「メディアでは、地元の人も大事にしているよ、こういうこともやっているよ、という取り組みを取り上げてくれたことがない」と國本さん。 例えば、商店街振興組合は、地元の人のためのイベントも行なっているという。 「毎年、夜店を出すイベントをやっているんです。組合の青年部が主体になって、店が終わったあとに準備して、スイカやかき氷なんかをお店の値段の3分の1ぐらいで販売する。 お店の従業員の人も手伝いに来てくれて、みんな地元のためや、と無報酬でやってくれる。子どもさんを中心に、すごい人気です。何年もやっているので、当時子どもだった人が大人になって自分の子どもを連れてきたりね。その時は当然、ほとんどが地元の人ですよ」 また、振興組合では、歳末大売り出しなども計画し、地元の人のための催し物を行い続けている。さらに、市場内のゴミ箱や公衆トイレの管理なども行い、そこにやってくる人が気持ちよく市場を使えるように整備をしている。 振興組合は、黒門市場内のそれぞれの通りから2年に1度の選挙で選ばれ、計30人が理事を務める。インバウンドへの対応などで方向性が分かれることはないのか。理事長の迫さんが言う。 「向いてる方向は同じです。商店街全体がバランスよくにぎわうためにはどうしたらいいのか。ただ、そのやり方をどうするのか、なるべく商店街のにぎわいが地元の人に還元されるといいよね、とみんなで検討しています」 振興組合の問題点 ただ、組合にも問題がないわけではないと、國本さん。 「黒門市場のお店はだいたい9時〜17時で営業しています。理事会はだいたいその後なんですよ。不公平の無いようにそうなってるのですが、やはり自分の店の仕事が忙しい中、夜となると大変です。理事会には、たくさんは来ないんですよね。だから、本当はもっといろんな意見を出し合ってやっていければいいなと思います」 また、もうひとつの問題が「組合に強制力が無い」ことだ。 商店街は、基本的にそれぞれの地主が地権者であり、それぞれの店主に対する強制力は、当然持っていない。それがマイナスに働いてしまうのだ。その最たる例が、「適正価格での販売」だ。 振興組合は、特にコロナ後に入居してきた店舗に対して組合への加入を呼びかけると共に、商品の「適正価格での販売」などを呼びかけている。 「でも、それはあくまでもこれはお願いベースで、強制力は無い。本当は入ってくる店のバランスも考えたい」と理事長の迫さん。 牛串屋を真っ先に始めた店 近年、インバウンドを対象とした多くの観光地で見かける機会が増えた「牛串屋」も、これでもかというほど黒門市場を占拠する。この事情も國本さんに聞いてみた。 「もともとは、何軒かの精肉店はありました。今でもそのうちのいくつかはあります。ただ、最初に牛串を始めたのは、マグロ屋の隣にあったある精肉店やと僕は思ってます。そのマグロ屋は、座席を作ってマグロ丼を食べられるようにした。そしたらそこが流行り出して真っ先に人が並ぶようになった。まだコロナ前のことです」 「でも、その隣にある精肉店は、ただの肉屋だったので並ぶこともなかったのを、このマグロ屋さんが「焼いて食わしたらええねん」と言った。それでこのお店は神戸牛を扱っていたんですが、それを焼けるようにショーケースに並べたら、すごい人気が出た。しかも、高い肉から売れ出した。 そこからやと思います。あちこちの店が『神戸牛』を売りにして、同じように肉を焼いて売り出した。それをメディアが取り上げて、新しく入るお店も牛串の店が増えていきました」 ただ、こうした新期店の多くは、ただ牛串を出しているところもあるようで、「精肉店が牛串を出すのはわかるんですよ。でも、新しいところは肉に何も関係なく、ただ牛串屋を持ってくる」と迫さん。 そして「本当は、新しいテナントには八百屋とかに入ってきてほしいんやけど、やっぱり野菜だけでは高い家賃を払えない。もう圧倒的に飲食に偏ってしまうんです」と寂しげな表情で付け加える。 こうしたテナントの問題は、迫さんが述べたように、黒門市場の地価にも大きな影響を受けている。では、黒門市場の地価がどうして上がってしまったのか。後編『「土地が高くなりすぎて」…黒門市場がインバウンド観光地になるしかなかった「悲しい理由」』では、その歴史を黒門市場の歴史から紐解き、現在の市場が置かれたインバウンドとの複雑な関係性に迫る。 「土地が高くなりすぎて」…黒門市場がインバウンド観光地になるしかなかった「悲しい理由」