「誰もが大谷選手を目指さなくていい」 養老孟司さんが「夢を持たなくてもいい」と語る理由

 メジャーリーグ、大谷翔平選手の活躍に関連して度々話題になるのは、高校時代につけていたという「夢ノート」だ。多少の時期のずれこそあるものの、そこに書かれた夢を次々実現しているのは有名な話。サッカーの本田圭佑選手も同種のノートをつけていたことに注目されたことがある。 【写真を見る】寓話「わらしべ長者」は努力の放棄を勧めているのではない、と養老先生が語ったワケ⇒  こうしたエピソードへの反応はさまざまだろう。「私も夢ノートを作ろう」と思う若者もいれば、「わが子にも大志を抱かせよう」と考える親もいるに違いない。  一方で「夢や大志と言われても困るよなあ」とわが身を振り返りつつ現実的な感想を抱く人もいることだろう。 「必ずしも大きな夢を持つ必要はない」と説く養老孟司さん(写真左)。学校の先生があまり言わないタイプのメッセージだが、真意は何か——(写真右は、大谷翔平選手) 『バカの壁』などで知られる養老孟司さんは、新著『人生の壁』の中で、「必ずしも大きな夢を持つ必要はない」と説く。学校の先生があまり言わないタイプのメッセージだが、真意は何か。同書をもとに見てみよう(以下、『人生の壁』から抜粋・再構成しました)  *** ジャガイモも人も勝手に育つ  最近読んで感心した本に『土を育てる 自然をよみがえらせる土壌革命』(ゲイブ・ブラウン著、服部雄一郎訳・NHK出版)があります。著者はアメリカの農場経営者です。  この本で述べられている、ジャガイモの栽培に関する知見は非常に示唆に富んでいます。良い作物を作るため、あるいは多くの収穫を得るためには、畑を耕したり、肥料をまいたり、要は手をかけなければいけないと多くの人が思っています。農業に関わる人たちももちろんそう思っている。 生きていくうえで壁にぶつからない人はいない。それをどう乗り越えるか。どう上手にかわすか。「子どもは大人の予備軍ではない」「嫌なことをやってわかることがある」「人の気持ちは論理だけでは変わらない」「居心地の良い場所を見つけることが大切」「生きる意味を過剰に考えすぎてはいけない」——自身の幼年期から今日までを振り返りつつ、誰にとっても厄介な「人生の壁」を越える知恵を正面から語る 『人生の壁』  しかし、著者のブラウン氏はそういう考え方がそもそも根本的に間違っていると述べています。  現代農業の「常識」としては、農地を手入れしたほうが良い結果が得られる、ということになっている。でも、土のほうからすればいい迷惑で、人が手を加えると、もともと持っていた構造が壊れてしまうことにつながる。その構造を維持しているのは菌類です。細いヒモのような菌が土の中で形成しているネットワークが壊される。  もちろんそれでも作物はできます。だから多くの農場では土に手を入れ続けてきました。しかし、実は放っておいてもジャガイモは育つことがわかってきました。  ブラウン氏は、せいぜい収穫のあとに上から干し草をかぶせる程度でいい、むしろそのほうが収穫量は増えた、と述べています。実際に農場経営をしている著者が経験を踏まえて書いているのが強みです。  これは教育にも通じる話です。私は昔から人を育てようなどと思ったこともありません。勝手に育つだろう、と。わが子に対しても、成長を期待して何かしたおぼえがない。あえて言えば、自然と何かするように仕向けることを考えたくらいでしょうか。  自分がこれだけ手をかけたからいい子になった、賢い子になったと親は思いたい。教育関係者も思いたい。塾その他は最初からそう謳っている。  でも子どももまた自然のものですから、基本的には勝手に育つ。その視点を忘れてはならないのです。 努力と成果を安易に結びつけないほうがいい 「何かしなきゃいけない」という気持ち、「手をかけたほうが良い結果になる」という考えは、あらゆる場面で見られるのではないでしょうか。会社などでも、 「私がこれだけがんばっているから、こういう風に回っている」 「俺が細かく気を配っているから、何とか持っている」  というように思いこんでいる人がいるかもしれません。  これは人間の習性、思考の癖のようなものです。  もちろんそういう気持ちを持つことが無意味だとは言いません。仕事において、がんばることが結果につながることもあるのは当然です。日本人はある時期まで必死に働かないと食えないという状況にあり、実際にみんなでがんばってきました。それゆえに余計に、「何とかしなきゃ」という気持ちでがんばる人が多いのでしょう。  ただ、努力と成果が結びつくとは、あまり思いこまないほうがいいのではないでしょうか。スポーツマンガの根性ものみたいな発想は持たないほうがいい。  大リーグの大谷翔平選手はたしかにものすごい努力をして、素晴らしい結果を出しています。その意味では努力と成果が結びついているのでしょう。でも、普通の子どもや普通の人にそんな努力はできっこありません。しかも彼と同じ量の努力をしても、同じ成果は絶対に得られません。  努力をしたから、これだけ手間をかけたからこんなに上手くいった、成功した。そういう考え方にとらわれないほうがいいでしょう。  ある時、最近の若い人が一番好きなことわざは「棚からぼたもち」だと聞いたことがあります。彼らはどこかで事の本質を見抜いているのかもしれません。努力がすべてではない、なるようになる、です。  ところがどうも世間では「なさねばならぬなにごとも」とがんばって、机をたたくような人が主流になっている。「働かざる者食うべからず」というタイプの人が、幅をきかせているのは、あまり良いことではないと思います。 大きな夢を持たなくてもいい  もちろん大谷選手を「見習おう」という人がいてもいいのです。でも、「ああいう人のまねはとてもできない」と思う人がいてもいい。  子どものうちにそういう考え方をすると、夢がない、覇気がないと批判されかねません。でも、誰もが大きな志を持たなくてもいいのではないでしょうか。  昔から道徳の教科書では、幼い頃から大志を持って努力した、寸暇(すんか)を惜しんで勉強した、という人が理想のように描かれています。二宮金次郎が代表でしょうか。  一方で昔から「三年寝太郎」や「わらしべ長者」のような話も言い伝えられています。三年寝太郎は、三年間ゴロゴロしていた男が、ある時急にやる気を出して、偉業を成し遂げるという話、わらしべ長者は、一本のわらを持っていた貧乏人が物々交換を繰り返すうちにお金持ちになるという話。どう考えても彼らは努力をしていないのに、人生がうまくいくのです。  単に面白い物語だと捉えるのではなく、ある種の真理だと考えてもいいのではないでしょうか。この寓話は、努力の放棄を勧めているのではなく、「一生懸命がんばる」こと一辺倒になってしまう風潮への注意書きだと読むべきではないでしょうか。「棚からぼたもち」です。 意識はそんなにえらくない 「がんばって何かを成し遂げる」ことを過大に評価する背景には、意識が一番えらいと思ってしまうヒト特有の性質があります。自分が(意識して)こうやったからこそ、こういう成果が得られた、と考えるのです。意識が世界を動かしているのだ、と。  でも、これは典型的な勘ちがい、あるいは思い上がりです。腸を意識して動かしている人はいません。勝手に動いてくれているのです。  針を呑み込んだらどうなるか。腸のほうが危ないと判断すれば、刺さらないように動かして、排出させてくれる。多くの場合、大事に至らないのはそのおかげです。  息を大きく吸って吐く、あるいは一定時間止めることは意識してできます。でも、完全に止めてしまうことはできません。またまったく何も考えていない間も呼吸はしています。そうでなければうかつに寝ることもできなくなる。  このように考えれば、意識というのはそんなにえらいものではないのは明らかでしょう。しかし、人工的な空間でだけ暮らしていると、そのことを忘れてしまいます。  私ができるだけ土や木のある環境で生活をするようにしているのも、そのほうが自然だからです。現在の都市生活がこのまま維持できるとはとても思えません。  そのことに多くの人が気づく日は、遠からず来るのではないでしょうか。 養老孟司(ようろうたけし) 1937(昭和12)年、神奈川県鎌倉市生まれ。解剖学者。東京大学医学部卒。東京大学名誉教授。1989年『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。2003年の『バカの壁』は460万部を超えるベストセラーとなった。ほか著書に『唯脳論』『ヒトの壁』など多数。 デイリー新潮編集部

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