“日本兵”になった台湾先住民たちの戦争 餓死相次ぐ南方の激戦地の記憶【news23】

かつて、日本の植民地だった台湾。そこに暮らす先住民たちは、戦時中、“日本兵”として最前線に送られました。あまり語られてこなかった、壮絶な戦場での記憶です。 【写真を見る】「仕方なく人の肉を…」凄惨な体験を語るインタビュー 「差別から抜け出せる」“日本兵”として戦地に送られた先住民たち 台湾北部の山岳地帯。この地で代々暮らす林義賢さん(72)。古くから独自の言葉や文化を築き上げてきた、台湾の先住民族です。 この地域には、“日本兵”として戦死した、先住民を弔う慰霊碑があります。 藤森祥平キャスター 「ここに彫ってあるのはどなたの名前ですか」 先住民族 林義賢さん 「死んだ人(の名前)。父は、一緒に戦った仲間に感謝していました。生きて帰れた人は、運が良かったんです」 戦時中、日本の植民地だった台湾。日本軍は、台湾の先住民たちを志願兵として部隊に組み入れ、戦場へと送り込みました。 先住民族 林義賢さん 「その時台湾は、日本王様。日本の軍人が来て、兵隊にする人を選んでいきます。体力がある人、体格がいい人を集めて戦争に行かせました」 林さんの父親、源治さんは1941年、旧日本軍に入隊。インドネシアのモロタイ島などで戦いました。 林源治さんの息子 義賢さん 「殺し合いでした。敵2人を刺し殺したことも、手榴弾を投げて人の肉が飛んできたこともあったそうです。戦争に行っている間、祖母は父が生きて帰れるように祈っていました。祖母は父のことが心配で、戦争に行って2年後に目が見えなくなってしまった。父は祖母にずっと申し訳ないと言っていました」 先住民たちはかつて「高砂族」と呼ばれていました。日本は、着る服や生活習慣も異なる彼らを、日本式の学校に通わせ、同化を図ろうとしました。しかし、先住民族である高砂族には明確な差別が存在したと当時の手記には記されています。 手記 「日本人一等、台湾人二等、高砂族三等国民だと、きわめて不平等であった」 手記にはまた、「日本兵になれば尊敬され、差別から抜け出せる」という思いが書かれていました。 兵士が出征するときの様子を知る先住民は、当時のことをはっきりと覚えていました。 出征を見送った ニューンさん(93) 「兵隊に行く人は赤いタスキ、他の人、青年、年寄り、子ども、生徒みんな旗持って『♪我が大君に召されたる』(と歌う)。みんな泣くよ。かわいそう、あの人若いのにどうして行くか」 「仕方なく人の肉を…」餓死相次ぐ“激戦地”での生々しい記憶 先住民たちが送り込まれたのは、12万人以上の日本兵が戦死した、東部ニューギニアなどの南方の激戦地。日本軍は、元々森の中で裸足で暮らし、身体能力に優れていた先住民たちの部隊を結成しました。 旧日本軍の将校だった井登慧さん(102)。当時、台湾の先住民たちに、ある作戦の訓練をさせたと言います。 将校として先住民を訓練 井登慧さん 「夜間に敵の陣地に忍び込んで行って、爆薬を持って行って、敵の要所要所を爆破するのが遊撃戦。高砂族は夜間でも目が見える。裸足で行くから音がしないから、遊撃戦にはもってこいと。日本の兵隊より役に立つと見たんでしょうね」 日本軍は、先住民たちに敵陣に忍び寄って襲いかかる「遊撃戦」を担わせました。 将校として先住民を訓練 井登慧さん 「日本の兵隊よりも勇敢で頼もしかった」 しかし、アメリカなど連合軍との戦力の差は歴然。ジャングルの厳しい自然環境に加えて、食糧の補給路も断たれ、病に倒れたり、餓死したりする兵士が相次ぎました。 戦地には4000人を超える先住民が送られ、約7割の兵士が犠牲になったとされています。 戦場に赴いた先住民の生々しい証言が残されています。 元日本兵 イリシレガイさん(当時69) 「とにかく腹が減ってたまらない。動いている動物、トカゲとか殺して食べたぐらいだから。バタバタ人が倒れている。夜、刀で切って焼く。それを考えたら、もう…」 この兵士から、凄惨な戦場の様子を聞いた息子は。 父が元日本兵 ツムルサイ・ダウドゥドゥさん(57) 「遺体がたくさんあるので、そこの水を飲むと病気になります。おしっこを飲むしかないんです。人の肉を仕方なく食べていたそうです。父が友達に話しているのをこっそり聞きました。子どもに話すわけがありません」 「もう日本人ではない」 帰ってきた兵士を待っていた残酷な現実 そして日本は戦争に負け、日本による台湾の統治は終わりました。 戦場から帰還した林源治さんは76歳で亡くなるまで、恐ろしい記憶に苦しみ続けたといいます。源治さんの生前の映像が残っています。 元日本兵 林源治さん(1990年放送) 「いつも夢見るんだよ、悪い夢ばかりね」 日本軍の一員として最前線に送られた台湾の先住民たちは、戦争が終わると「もう日本人ではない」とされ、軍人恩給などほとんどの戦後補償を受けられませんでした。 源治さんは、こんな言葉を残しています。 元日本兵 林源治さん 「もっと日本のために尽くそうと思ったけど、何分学問も乏しいし、ロボット同様だから何の働きもできず、かえって日本に迷惑をかけたような気持ちで、残念に思っております。だから今さら何も言うことは私はないのです」 林源治さんの息子 義賢さん 「(父は)亡くなる1年前、病院で『早くドアを閉めて。アメリカ軍に銃で殺される』と訴えた。私は『戦争はお父さんのせいではありません』と慰めました。今は戦争を想像することはできないが、戦争は起きてほしくない。あまりに残酷ですから」 藤森祥平キャスター: こうして台湾の山奥に行くと、今も日本語を流暢に話す方々がいらっしゃって、胸を痛めながら教えてくれました。 上村彩子キャスター: 日本兵として台湾の人々が戦ったことは知っていましたが、先住民族が危険度の高い任務に従事させられていたことは全く知りませんでした。 林源治さんの「かえって日本に迷惑をかけていたのではないか」という言葉はとても重く感じました。戦中もそして戦後も、日本に振り回されて、とても長く苦しみが続いたと思うと本当に胸が痛くなります。戦後80年経ってもなお、知られていない事実がまだまだあるなと思いました。 藤森祥平キャスター: 高砂族が日本兵として戦地に送られ、多くの命が失われてしまったことはしっかり受け止めなければいけません。 一方で、いろいろな方の取材を進めていくと、「日本統治下で日本語を話せるようになってから、部族間のコミュニケーションが進み、先住民族の間の争いが無くなっていった」というプラスの面について、積極的にお話ししてくださる方もいらっしゃいました。 受け止め方が様々あることは、我々もしっかり押さえなければいなけないと思いました。 いま台湾有事という共通の危機感を持っている中で、こうした事実を学んで、感じて、伝え続けることで、「二度と過ちを繰り返してはいけない」という思いを共にしていきたい、深めていきたいと感じました。

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