終戦に導いた宰相・鈴木貫太郎、「聖断」に至るまでの険しい道のり…「陛下の思召」は言葉なくとも

家族の記憶<4>鈴木貫太郎元首相と孫・道子さん(上)  史上最多の犠牲者を出した第2次世界大戦が終結して80年となる。  戦争体験者が年を追うごとに減っていく中、最も身近な存在である家族は体験者の生きざまや思いをどのように受け止め、語り継ごうとしているのか。家族に刻まれた戦争の記憶をたどる。 ◇  東京都文京区千石の閑静な住宅地。不忍通りに沿った一角にツタのからまる古めかしい塀が残っている。  今からちょうど80年前の1945年(昭和20年)8月15日早朝、ここに立っていた鈴木貫太郎首相(当時)の邸宅から火の手があがった。終戦に反対する陸軍の軍人たちが首相を殺害しようとおしかけ、火を放ったのだ。 2度の襲撃から生還  軍人たちははじめ、国会議事堂に近い首相官邸を襲った。官邸の玄関付近に銃弾を撃ち込み侵入したが、首相は自宅にいると知りトラックに乗って向かった。  官邸から緊急事態の連絡を受けた鈴木首相は、家族とともに間一髪で逃げ出した。終戦を決めた昭和天皇の詔書をまとめる大任を果たし、自宅に戻ったばかり。天皇自ら国民に終戦を伝えるラジオ放送(玉音放送)が流される数時間前のことだった。8月15日、東京は混乱の極みにあった。  首相の孫で音楽評論家の鈴木道子さん(93)はこの日、学童疎開で秋田にいた。襲撃から逃げたときの模様を家族に聞いたところ、祖父は慌てることなく「俺についてこい。命は助かるよ」と語ったという。  命の瀬戸際でなぜ落ち着いていられたのだろうか。鈴木首相が反乱を起こした軍人に襲撃されるのは実は2度目だった。天皇のそばに仕える侍従長だった36年にも、国家改造を叫び2・26事件を起こした陸軍部隊に襲われ、重傷を負ったが奇跡的に一命をとりとめた。道子さんは「よみがえったという経験もあったので動じなかったのでは」と話す。 「神様から生かされた」  戦争末期の45年4月7日に発足した鈴木内閣は、日本本土で最後の一戦を交えんとする軍部を抑え、昭和天皇の意をくむ形で終戦を導いた。  道子さんは当時、祖父の言動の端々から時代の転変を迎えることを何となく感じていた。家族と離ればなれになってしまう秋田への疎開を嫌がったときのこと。祖父から「お友達と一緒に秋田へ行きなさい。若い人は安全な場所で暮らさなくてはいけない。次の時代を築いていってもらわなければならないからね」と諭された。「次の時代」という言葉が子供心に胸に響いたという。  「終戦という生涯で一番大きな仕事をする時まで命が残されていた。神様から生かされたのではないか」。道子さんはそう思う。  終戦の日の襲撃で自宅は完全に焼け落ちた。家族は逃げ出すのに精いっぱいで、家財道具も一切失われた。焼け跡から見つかったのは時計やシガレットケース、勲章などの小物だけだった。  道子さんが自宅跡に立って当時を振り返った。  「祖父は普段官邸におり、ずっと気が張っている状態でした。ここはリラックスするために戻ってくる大切な場所でした」  庭には戦後植えたマグノリアの木が地を覆うように繁茂している。長い年月の経過を物語るように。 以心伝心で感じ取った「終戦」  1945年、戦争は日本にとって絶望的な状況になっていた。3月末に硫黄島が激戦の末に陥落、4月1日には米軍が沖縄に上陸した。都市部を中心に激しい空襲があり、軍民問わず犠牲者が激増していた。行き詰まった小磯国昭首相は4月5日に辞表を提出した。  このまま戦争を続けるのか、それとも終戦を模索するのか——。後任の首相は国家の存亡に関わる極めて難しいかじ取りを担わされることは明らかだった。  昭和天皇は、当時枢密院議長を務めていた鈴木貫太郎に首相就任を求めた。  鈴木は高齢であることや、政治については素人であるなどとして固辞したが、天皇から強く就任を求められた。その際の天皇の発言について、鈴木の伝記ではこう記されている。  <鈴木の心境もよく分かる。然(しか)し、この国家危急の重大時機に際して、もう他に人はない。頼むからどうか枉(ま)げて承知して貰(もら)いたい>  鈴木は終戦を目指す「陛下の思召(おぼしめし)」を感じ取り、首相の任を受けたという。  筑波大の波多野澄雄名誉教授(78)は「天皇は侍従長として約8年間仕えた鈴木を信頼していたし、鈴木も天皇の思いを理解していた。だから『終戦』という言葉はなかったにしても、以心伝心で天皇の終戦への思いを感じ取ったのだろう」と推察する。  こうして4月7日、鈴木内閣が発足する。偶然にもこの日、沖縄に向かった戦艦大和ほか多数の艦艇が鹿児島県沖で撃沈され、日本海軍は海上戦力を喪失した。敗北はもはや確定的だった。  組閣を終え、自宅に戻った鈴木は、家族に「バドリオになる」と告げた。ピエトロ・バドリオはイタリアの首相を務め、日独との同盟を破棄して連合国に無条件降伏した人物だ。  「バドリオになる」とは日本も降伏することを意味する。家族はあまりの重大事に緊張しつつも、鈴木を支える決意を固めた。  道子さんの父の一(はじめ)(鈴木の長男)は、農商省山林局長の職を辞して首相秘書官になった。  「父はボディーガードのつもりでした。襲われた時に自分が身代わりとなって祖父を守るのだと。道の角を曲がる時だって出合い頭に刺殺されるかもしれない。父は常に自分が先に歩いていた、と言っていました」(道子さん) 原爆投下とソ連参戦  ただ、終戦に向けた動きは表に出せなかった。徹底抗戦論や、敵に打撃を与えてから和平を結ぶ意見(一撃和平論)を無視できなかったからだ。鈴木は抗戦論を否定せず、国論をまとめる機会をうかがった。  鈴木はこの頃の難しさを自伝に書いている。  <真に国家が危機へ一歩一歩と近づいている時に、ある者の意見によって他を押えるということになれば、直(す)ぐにも内閣は瓦解してしまう。そうなればこの戦争の始末はだれがつけるかまことに戦争終結への機会を喪(うしな)うことになる>  しかし、8月に入ると状況はさらに悪化した。6日に広島、9日に長崎へ原爆が投下された。8日にはソ連が日ソ中立条約を破って襲いかかってきた。  鈴木は「陛下の思召を実行に移すのは今だ」と判断する。  10日、天皇が出席した御前会議で、天皇の決断(聖断)による形で、米英など連合国による降伏勧告「ポツダム宣言」の受諾を決める。しかし、米国からの回答が届くと、事態は紛糾した。その内容が国体護持(天皇制維持)を保証していないとして軍部が反発したためだ。  激しい対立を前に、鈴木は天皇の再度の聖断を仰ぎ終戦を目指す決意を固めた。  14日午前10時50分から再び開かれた御前会議。この席で天皇は涙を流しながらこう決断を下した。  <自分は如何(いか)にならうとも万民の生命を助けたい。此上(このうえ)戦争を続けては結局我邦(わがくに)が全く焦土となり万民にこれ以上の苦悩を嘗(な)めさせることは私としては実に忍び難い>(下村海南「終戦記」)  出席者も泣いた。ここにポツダム宣言の受諾が決まった。史上最大の犠牲者を出した第2次世界大戦は日本の降伏をもって終わることになった。  終戦に反対する軍人はなおも、皇居を占拠したり、鈴木を殺害しようとしたりして抵抗した。しかし、天皇自ら15日正午にラジオで国民に終戦を伝えると、抵抗の動きは一気にしぼんだ。 割れる鈴木の評価  終戦に向けた鈴木の動きは評価が割れている。もっと早く戦争を終わらせられなかったのか、といった批判もある。  波多野名誉教授は「終戦は、存亡の危機に直面した国民と国家を救うため本来避けるべき『聖断』を活用できたことで可能になった。鈴木でなかったらあのタイミングでの終戦はあり得なかっただろう」と話す。 ◇ 文化部 前田啓介、編成部 望月尭之、デザイン部 大倉千登勢が担当しました。

もっと
Recommendations

【速報】村上市に土砂災害警戒情報 土砂災害の危険度が高まる《新潟》

15日午前7時35分、村上市に土砂災害警戒情報が発表されました。…

「コンビニ富士」車道横断防止の幕を新たに設置…昨年の撤去後残したポール、大型バス走行の妨げに

富士山がコンビニ店の上にのっているような写真が撮れるとして、訪…

【天気】北海道と東北の日本海側、昼前後にかけ雨 晴れる関東から西日本も急な雷雨に注意

◎全国の天気北海道と東北の日本海側、新潟は昼前後にかけて雨でしょ…

【土砂災害警戒情報】新潟県・村上市に発表 15日07:35時点

新潟県と気象台は、15日午前7時35分に、土砂災害警戒情報を村上市に発…

「ダミーオービス」発砲スチロールで手作り、製作費は5千円ほど…設置すると速度落とす通行車

愛媛県警新居浜署は、可搬式の速度違反自動取締装置「オービス」の…

コメの値段「上がる可能性が高い」農家に支払う概算金7割以上引き上げ 専門家は「すぐに影響ない」北海道

早くも北海道芦別市ではコメの収穫がはじまりました。まもなく食卓に…

【大雨警報】新潟県・村上市に発表 15日07:13時点

気象台は、午前7時13分に、大雨警報(土砂災害)を村上市に発表しまし…

群馬県と静岡県を結ぶ上野東京ライン「最長の普通列車」とは? JR2社にまたがって “1都4県”を走破

走行距離は241kmにおよび、群馬・埼玉・東京・神奈川・静岡の1都4県を直結

「父が落とした爆弾かもしれない」米軍のB29乗組員だった父親 遺品から見つかったのは…1枚の名古屋空襲の写真 息子が考える戦争責任【戦後80年】

7800人が犠牲になった名古屋空襲。アメリカ軍の爆撃機B29の乗組員だっ…

日本で「日本円」が使われているのは当たり前ではない?…ハイパーインフレを引き起こしたジンバブエに学ぶ「通貨」が用いられるための前提

黒田日銀の下で10年にわたって続けられた「異次元緩和」は、日本の財…

loading...