命綱を付けた隊員が濁流に…13人が命を落とした99年「玄倉川水難事故」 警察・管理事務所・地元消防団はどう動いたのか

第1回【放流に備えて「早めに呼びかけた」…18人が濁流にのまれた99年「玄倉川水難事故」、空襲警報のようなサイレンと繰り返された退去要請】を読む  水の事故の多くが夏に発生していることは言うまでもない。今年も早くから安全の心得などが広く呼びかけられているが、すでに複数の事故が報じられている。  そうしたニュースに必ず存在するのは懸命の救助活動を行った人々だ。1999年8月14日、神奈川県足柄上郡山北町の玄倉(くろくら)川で18人が濁流に押し流された水難事故。この事故に際し、川と地元の関係者たちはいかに動いたのか。当時の「週刊新潮」は、彼らから見た事故の一部始終を報じていた。 (全2回の第2回:以下、「週刊新潮」1999年9月2日「『危機一髪』の命運 かくて18人は濁流にのみ込まれた」を再編集しました)  *** 【実際の写真】激しく上がる水しぶき 濁流を前にした決死の救出活動 仲間の訴えにも「大丈夫だ」と  が、彼らは迫りつつある危機に気づいていない。午前5時35分には大雨洪水警報が発令され、その頃から再びドシャ降りになった。それからまもなくして、前夜に避難した一行の仲間が、川を渡ってテントの中を覗いている。 事故の現場【撮影:清水潔】 「見張り番を立てておくと言っていたのに、その時、全員熟睡していたそうです。それで仲間を起こし、“危ないから引き揚げた方がいい”と言ったのですが、“大丈夫だ”と言われたので引き返したそうなんです」(松田署の関係者)  7時半には、松田署のパトカーが付近を巡回しているが、中州に異常は認められなかった。この時点までに避難していたなら、あるいは全員が助かったであろう。  しかし、事態は予想を超えて急変した。雨量が前日より急激に増えたために、玄倉ダムはさらに大規模な放流を余儀なくされていた。6時13分再び警告のサイレンが鳴り響き、すでに放流が開始されていたのである。  8時前後に一気に水嵩が増し、中州を濁流が取り囲む。 「子供たちはテントの中にいたようですが、大人は外に出ていた。その時なら、川を渡ることも可能なように思えたので声をかけてみると“子供がいるので無理はできない”というようなことを言っていました」(1で証言した別グループのAさん)  避難していた一行の仲間が、慌てて119番通報したのが8時30分。足柄消防組合消防本部のレスキュー車が、5人の署員を乗せて現場に到着したのが9時頃だった。 レスキュー車到着時の中州はすでに水没  すでに中州は水没していた。濁流は河川敷まで溢れ、岸から中州までの距離は80メートルに膨らんでいる。目撃した地元民によれば、 「テントはアッと言う間に流され、取り残された人たちは、大きなパラソルを3本重ね合わせてドシャ降りの雨をしのいでいるように見えました。さらに男性が上流側に並んで、水の勢いを止めようとしていましたが、すでに膝の下まで水に漬かっていました。それだけなら歩いて渡れるように見えるんですが、中州から1メートルも離れれば急に水深が深くなっています。風雨がもの凄くて、流れも急ですから、とても渡れる状況ではありませんでした」  流れが速くて、救命ボートは役に立たない。そこで命綱を付けた消防隊員が濁流に飛び込むが、10メートルも進まないところで流れにのみ込まれてしまう。この頃の雨量は、ゆうに100ミリを超え、容赦なく人々を叩きつけていた。  地元消防団の団員はいう。 「午前10時頃には、だいたい腰の辺りまで水が来ていたと思います。その頃には、3人のレスキュー隊員が、下流の橋を渡って、崖づたいに中州のあった地点の対岸まで辿り着いていました。こちら側からは距離がありすぎるので救助は不可能ですが、対岸から中州までの距離は20メートル。そこでこちら側から救命索発射銃を撃って、対岸との間に救命ローブを張り、そこに命綱を結わえて対岸から救助に行くしか手がなかったんです」  だが、この方法も、横なぐりの風によって1発目は狙いが外れ、2発目にやっと対岸に届いたものの肝心のローブが切れて失敗に終わった。 放流を止め続けるとダムが決壊して大惨事  救助にヘリコプターは使えなかったのか。神奈川県警によれば、 「午前10時10分から30分にかけて、神奈川県や地元の消防組合から、県警、自衛隊、横浜と川崎の消防局にヘリの出動要請が打診されていますが、あの雨では、いずれも不可能だった。航空法で、高度3000メートル以下を飛行する場合、視界が5キロあることが条件になりますが、横浜市内でも視界は100メートル以下だった。仮に飛ばしたとしても、山間部の飛行経路は限られ、より視界が狭く二次災害の恐れが高かったと思います」  ならば、ダムの放流を止めることはできなかったのか。管理事務所の所長はいう。 「10時半から、警察からダムの管理をしている主任のところに2、3度電話が入って、放流を止めてほしいという要請がありました。その頃には、毎秒100トンの放流があって、流れが最高に激しくなっていました。しかし玄倉ダムは、洪水の調整能力のない小さいダムですから、止めるわけにはいかないと断ったんです。  しかし10時50分頃に、私のところに警察から“何でもいいから止めてほしい”という連絡が入ったんです。その時には、多少、満水よりは少ない貯水量になっていました。そこで事態が切迫しているというので、午前11時に超法規的に放流を止めたんです。しかし5分が限度でした。あのまま放流を止めていたら、ダムが決壊して大惨事につながる恐れがあったんです」 中州のすぐ下流には渦ができていた  すでに万策は尽きていた。放流を止めたわずかな時間、流れは遅くなったように見えた。が、放流を再開した30分後の11時半、ひときわ激しい濁流が18人に襲いかかったのである。もはや生死を分けるものは偶然でしかなかった。地元消防団員はいう。 「中州のすぐ下流には、渦ができていました。18人は、その渦にのみ込まれましたが、子供1人は、流される瞬間の大人が岸に向かってその子を投げ出したので、岸の方に流れていって救出された。さらに3人は流されるままに、うまく対岸の岩や木にしがみつくことができて助かったのです。まさに明暗を分けた一瞬でした」  5人が九死に一生を得たが、12人が遺体で発見され、今なお1人が行方不明である。(※記事が執筆された1999年8月23日現在。13人目の遺体は同月29日発見)  ***  避難勧告の巡視は前日の午後から行われていた——。第1回【放流に備えて「早めに呼びかけた」…18人が濁流にのまれた99年「玄倉川水難事故」、空襲警報のようなサイレンと繰り返された退去要請】では、雨足が強まった前日の夜までの様子を伝える。 デイリー新潮編集部

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