特別なランボルギーニのなかでも特別なカウンタックの、さらに特別な存在|スーパー「セーフティ」カー

この白いカウンタックLP400Sは1981年と82年のモナコGPにおいてセーフティカーとして使われた有名な車だ。けれどもこれが特別な理由はそれだけではなかった… 【画像】カウンタックのセーフティカー!警告灯をルーフにマウントし、モナコGPで使われた特別なランボルギーニ(写真7点) ”クーンタッチ!” 日本語ではカウンタックという発音で親しまれているこの感嘆詞は、エンスージアストにはよく知られているように、北イタリアはピエモンテ州で主にトリュフ狩りを生業とした農夫の使う方言だ。今ではイタリアの方言の中で最も有名な単語のひとつになっている。もちろんトリュフのおかげではない。そこから300kmも離れたところで製造されたスーパーカーの名前となったからだった。 「ぶったまげた」 フェルッチオ・ランボルギーニが自身のカーブランドを立ち上げた1963年は、イタリアがまだ好景気に沸いていた頃で、失業率は低く、そこそこに繁栄し、将来の見通しだってまだしも楽観的なほうだった。そんななか彼はランボルギーニ350GTに始まり、ミウラやエスパーダといった野心的な新型車を次から次へと世に送り出していく。 ところが71年、大事なジュネーヴショーの開幕まであと数日というタイミングで突如、イタリアは労働争議に見舞われた。そのためフェルッチオとスタイリングパートナーであったヌッチオ・ベルトーネは作業方針の変更を迫られ、ジュネーヴで発表する予定の新型ショーカーの組み立てを(会社ではなく)秘密の場所で行うと決めたのだった。 コードネームLP500。LPとは”ロンギトゥディナーレ・ポステリオーレ:Longitudinale Posteriore”の略で、エンジン縦置きを意味している。スタイリストは言わずと知れたマルチェロ・ガンディーニ。彼は当時、ベルトーネのチーフデザイナーだった。 トリノ郊外のベルトーネファクトリーに程近い納屋で、LP500の組み立て作業は夜を徹して行われた。ある夜、日が暮れても騒がしい納屋を不審に思った近在の農夫が、中にコソ泥でもいるに違いないとドアを開け放ってみた。するとそこにはまるで宇宙船のような黄色い車の周りで作業に没頭する技術者たちの姿があった。 農夫は叫んだ。「クーンタッチ!」。日本語にあえて訳せば、「ぶったまげた」とか「なんてこった」だろうか。とにかく、それが名前の由来となった。 技術者たちの多くはエミリア・ロマーニャ地方の人間だったからその意味はわからなかった。けれども地元出身のガンディーニは即座に理解した。早速、テストドライバーであり英語圏(ニュージーランド)出身のボブ・ウォレスにもその発音を聴かせ、イギリス系の古風な耳にも心地よい音の響きであることを確認すると、ガンディーニは期待のショーカーを”カウンタック”と名づけるようベルトーネに進言したのだった。 激動の時代を経て 以来、ランボルギーニとカウンタックはまさに運命共同体となっていく。1998年に先見性にあふれたフォルクスワーゲン・グループのボス、フェルディナント・ピエヒによって救済されるまで、ランボルギーニ社は幾度も倒産の危機に瀕した。なかでも最悪だったのは1980年初頭のころで、それまで2年にも及んだ係争の結果、ボローニャ裁判所はもはや救いようがない状況にあると判断しつつあった。2月には工場閉鎖の手続きまで行われようとしていた。ところが同時に運命の歯車は思いもよらぬ方向へと転がり始めていたのだ。 1980年の夏。若きジャン=クロード・ミムランは弟のパトリックと共にイタリア北西海岸で彼の愛するヨットを楽しんでいた。ミムラン一族はサトウキビ生産の分野でその名を知られた世界有数の富豪だった。ヨットに対する互いの情熱を語り合っている最中に、ジャン=クロードは突然、自分がランボルギーニもほしいと思っていることに気づく。早速、兄弟は最寄りのディーラー、ミラノのアチリ・モータースへと出向いたが、所望したカウンタックをオーダーすることは叶わなかった。なぜならランボルギーニ社はすでに管財人の手中にあったからだ。 ランボルギーニの本社まで車で2〜3時間の距離だと知ったミムラン兄弟は、すぐさまサンターガタ・ボロネーゼへ向かうことにした。そして同じ日の夜、彼らは再びアチリ・モータースを訪れてこう語ったのだった。「ランボルギーニを買ったよ。ただし一台ではなく、会社丸ごとをね」 そこから彼らは精力的に会社を建て直し始めた。1981年5月23日、最終的に振り出された小切手の総額は38億リラ、ユーロに換算すればわずかに200万ユーロ足らずであった。新会社はその名もヌオーバ(新)・アウトモビリ・ランボルギーニへと改められている。 それより少し前にミムラン兄弟はそれぞれがカウンタックを手に入れていた。5月13日にまずはパトリックの元へシャシーナンバー1121312(ラメコロラドというカッパーゴールドメタリックに辛子色内装)がやってくると、次いで5月15日にジャン=クロードの112314(白の外装色に青色内装。本稿の主役)が届く。 その後もミムラン兄弟は会社のオーナーとしてたくさんのランボルギーニを所有していたが、最悪の経営状況にあった会社を引き継いでいたわけであり、車がおまけで付いてきたわけでないことは容易に想像できるだろう。 この 2台のカウンタックが特別な理由は他にもあった。兄弟が手に入れたLP400Sはシリーズ3の生産1号車と2号車だったのだ。これはこれでひとつの物語になりうるだろう。 LP400発売のとき 1974年春になってようやく発売されたカウンタックは、1971年のジュネーヴショーカーとは少し違うデザインになっていた。当初は5リッターだと目されていたV12エンジンも4リッターに収まっている。ルーフに据えられたリアビューミラーの存在から”ペリスコピオ”(潜望鏡)をいうニックネームまで頂戴した。 市販化のためにオリジナルから変化したとはいうものの、相変わらずそのスタイリングは直線的で潔く、リアフェンダー上にエンジン冷却用のエアインテークが追加された以外、大袈裟な空力デバイスも未だ付加されていなかった。 初期の顧客のなかには、ランボルギーニ社の良き理解者であり、レース活動にも情熱を持っていたウォルター・ウルフが含まれている。当初はミウラやカウンタックに満足していたものの、さらなる開発による性能向上が可能だとも感じていた。ウルフは、ランボルギーニの技術ディレクターの職を辞め、モータースポーツ活動に焦点をあてた自身の会社を設立したばかりのジャンパオロ・ダラーラを技術コンサルタントとして雇うことにした。 ダラーラの名前は今や紹介するまでもないだろう。彼はウルフの LP400に魔法をかけることに成功した。「そもそもタイヤが限界だった」と彼は証言している。「まだ4輪すべてに205/70 VR14が装着されていました。1976年にピレリが低偏平率のP7タイヤを発売したことで、この分野に新たなページが開かれたのです。とても興味深い領域まで踏み込んだサスペンションセッティングの開発が始まりました」 事実、ウルフのカウンタックLP400には、フロント 205/50 VR15、リア345/35 VR15という前後異サイズの新しいタイヤが装着され、それによってより硬めのサスペンションセッティングと大きなブレーキディスクの装着という改良が可能となった。幅広のタイヤを収容するべく前後のフェンダーそのものを再設計するにはコストがかかりすぎたため、オーバーフェンダーが装着されることになった。フロントバンパー下には空力特性を高めるためのフロントスポイラーが追加され、後部には電動モーターで角度調整の可能なリアウィングも装備することになった。さらに、ウルフのカウンタックには5リッター弱の総排気量を持つ改良型 V12エンジンが搭載されたが、それはあくまでもワンオフという扱いにとどまった。 ウルフ・カウンタックは瞬く間に人気者となる。ランボルギーニ社には同じスタイルにしてほしいという要望が殺到した。結果、LP400Sが誕生したわけだが、それまでの繊細なスタイルが筋肉質でアグレッシブなカタチへと生まれ変わったことで、カウンタックはその後の15年間にわたり自動車界のカリスマとして君臨することになる。  LP400Sは5モデルあるカウンタックシリーズのひとつで、1978年3月から1982年2月の間に235台が製造された。後にコレクターたちはこれをシリーズ1、シリーズ2、シリーズ3と三種類に分類している。 シリーズ1が最も貴重で生産台数はわずかに50台。低いルーフと低いフロントスポイラーが特徴であることから「ロー・ボディ」と呼ばれ、ブラーボホイールとLP400譲りの小さなメーターで容易に識別が可能だ。シリーズ2は1979年 10月から103台が製造され、ダイヤルのないスムーズなホイールと大きく見易くなったメーター類、そして小ぶりのフロントスポイラーが特徴。シリーズ3は82台で「ハイ・ボディ」となり、広いコクピットとセッティングが異なるサスペンションを採用する。 1121314はスイスで登録され、誉高き最初のオーナーに届けられるとすぐに使われ始めた。カウンタックの最新モデルを乗り回すことで、彼らこそはランボルギーニ社の救世主であり、モナコで最もクールで有名な兄弟であることをアピールしたのだった。 ジャン=クロードは真に熱狂的なランボルギーニファンで、カウンタックを頻繁に使用していたことで知られている。LP400Sを手放した後は5000Sにも入れ込んで乗っていた。 モナコGPセーフティカー 彼がLP400Sと共にモナコで過ごす写真は多く残されているが、どういった経緯でこの車がかの有名なモナコGPで使われることになったのかについては依然として謎のままだ。推測するに、ミムラン兄弟もその一員であったモナコの緊密なエリートコミュニティにおいて、もちろん彼らと密接な関係にあったACM(オートモービルクラブ・デ・モナコ)から、兄弟が最近救った苦境にある会社のために何かできることはあるかと尋ねられ、無料で宣伝できるチャンスに飛びついた、というあたりが最もありそうな筋書きではないだろうか。 そのような経緯から、警告灯をルーフにマウントし、レースでの役目を示す文字を書き入れた以外はスタンダード仕様のまま、1121314のカウンタックLP400Sは81年と82年のモナコGPの週末、すべてのセッション前にサーキットを周回している。 1981年5月のモナコGPでは、「Intervension:介入」と記されたステッカーが400Sの後部に貼られ、赤と青のルーフライトを点滅させていた。F1ドクター用に用意された車だった。 このレースではカナダ人ジル・ヴィルヌーヴがオージーのアラン・ジョーンズ(ウィリアムズ)を劇的な大逆転の末、結果的には40秒もの差をつけて制した。長くレースをリードしたネルソン・ピケがブラバムをクラッシュさせ、ジョーンズは燃料の問題に悩まされていたことがヴィルヌーヴの勝因だった。 もうひとつ、このレースで劇的だった出来事といえば、レース前にローズホテルの厨房で火災が発生し、それが原因でトンネル内が水浸しになってスタートが遅れたことだろう。この年のカウンタックの任務は主に儀式的なものにとどまり、白いインベンションカーのほか、数台の赤いカウンタックがコース上にあって観客の目を楽しませていた。 1982年、モナコに再びグランプリが戻ってきたが、F1パドックはゾルダーでのヴィルヌーヴの喪失から未だ立ち直れてはいなかった。白いカウンタックLP400Sには、大きなウィングが装備され、レースダイレクターによって「Organisation:主催者」と「Directeur de Course:コース・ダイレクター」と書かれたステッカーが貼られていた。 レースはF1GP史上、最も波乱に満ちた展開となった。亡くなったカナダ人に敬意を表し唯一のフェラーリを走らせたヴィルヌーヴのチームメイト、ディディエ・ピローニがファイナルラップのトンネル内でストップし勝利を逃すと、次の2台、アンドレア・デ・チェザリスのアルファロメオとデレク・デイリーのウィリアムズもまたチェッカーまでたどり着くことができず、結局、ブラバムを駆るリカルド・パトレーゼが優勝するという結果になった。彼自身もオイルを踏んでスピンし、一度はエンジンが止まってしまった後、坂を転がして再始動させていたというから、事実は小説より奇なりだ。ちなみにパトレーゼと同一ラップでゴールできたドライバーは他におらず、パトレーゼもゴール後しばらくは自分が勝者であることを”知らなかった”。 モナコのあと モナコでの2度目の”活躍”ののち1121314は、ジョルジュ=アンリ・ロセットとともにフェルッチオからランボルギーニを買収し1974年から1978年まで共同所有していたルネ・ライマーに売却された。1983年9月にはベルギーの雑誌『カランドル』に登場する。雑誌の発行人がライマーから購入したのだった。 1121314はその後長い間保管され、アメリカにて再び姿を見せることになる。マイアミのディーラー、キュレイテッドが1121314を発見し、2019年に現在の所有者であるロードアイランド州のダグ・コーエンへと販売した。以来、アメリア・アイランドやペブルビーチといったメジャーなコンクールイベントにおいて、スターとなっている。 「走行距離はわずかに7000kmでした。保存状態は驚くほど良好で、外板塗装はオリジナル、インテリアの素材も当時のそのままというプリザベーション車です。最初のオーナーが要求した特別な仕様をお教えしておきましょうか。ドアのインナーパネルには非標準のレザーが使われていますし、コクピットの左側にはバッグ用の追加スペースがあるんです。すべてが当時のそのままで、ほぼユニークな装備と言えるでしょう」、そうダグは回想する。  彼が”ほぼ”と言ったのは、ミムランのもう1台の400Sもまた同じような仕様になっていたからだ。 「もちろんランボルギーニ社のポロストリコ認定を受けています。なかでも非スタンダードな仕様を確認できた点が重要でした。点滅するライトを見つけるのに時間がかかりましたが、eBayのおかげで解決しましたし、当時の写真を元に金属製のマウントバーを再製作する必要もありました」 ダグはこのカウンタックには他にない付加価値があると告白した。「このカウンタックを目立つことなくドライブすることなどできません。どこに行っても、どれだけゆっくり運転しようとしても、常に注目の的なんです。ルーフ上の大きなライトを点滅させてこのカウンタックを運転すると、そのインパクトはさらに増します。 買ってから最も嬉しかったことといえば、2021年のカウンタック・セレブレーション・ラリーでラグナ・セカ・サーキットをドライブした時のこと、私のカウンタックは当然ながらセーフティカーの役を仰せつかり、他のすべてのカウンタックが私の後ろに並んで走ることになったので、写真ではいつも私が全員をリードして走っているように見えているんです。なんと愉快なことだったか」 ランボルギーニの歴史の中では、いくつかの重要な瞬間がモナコと結びついていた。1966年のGPウィークエンドにはカジノスクエアでミウラがデビューしたり、1967年のGPのオープニングラップでショーカーのマルツァルがレーニエ王子とグレース王女によって「略奪」ドライブされたり、1973年のモナコグランプリからカウンタック(その時点ではまだプロトタイプでボブ・ウォレスがドライブした)でサンターガタへ戻る旅をカーマガジンのメル・ニコルズがリポートしたりと、カウンタックの「モナコGPセーフティカー」とその兄弟車は、これらの神話的ステータスの一部であった。 特別なランボルギーニのなかでも特別なカウンタックの、さらに特別な存在。この見事なプリザベーション個体が現在の非常に熱烈なオーナーによって本来の姿で今でも使用され、彼が心からそのドライブを楽しんでいる様子を見るといつも感動してしまう。 もしかしてキャノンボール・ランのオープニングシーンが再制作され、警告灯を点滅させたカウンタックが黒いカウンタックを追いかけるシーンが生まれるかもしれない。そのときがもしやってくるならば、是非とも立ち会ってみたいものだ。 1981ランボルギーニ・カウンタック LP400S エンジン:3929cc、DOHC、V12、ウェバーキャブレター(45DCOE)×6基 最高出力:353bhp/ 7500rpm 最大トルク:268lb-ft/ 5500rpm 変速機:5段 MT、後輪駆動 ステアリング:ラック&ピニオン サスペンション(前/後):ダブルウィッシュボーン、コイル・スプリング、テレスコピック・ダンパー、アンチロールバー(後輪:ツイン・スプリング&ダンパー) ブレーキ:ベンチレーテッド・ディスク 重量:1200kg 性能:最高速度178mph、0-60mph加速5.9秒 編集翻訳:西川 淳 Transcreation:Jun NISHIKAWA Words:Massimo Delbò Photography:Paul Harmer

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