カタツムリは「戦うか」「籠るか」を選んでいた…日本でもロシアでも、同じ戦略で進化した理由

「進化は再現不可能な一度限りの現象なのか? それとも同じような環境条件では同じような適応が繰り返し発生するのか?」 進化生物学者の間で20世紀から大論争を繰り広げられてきた命題をめぐるサイエンスミステリーの傑作、千葉聡『 進化という迷宮 隠れた「調律者」を追え 』が発売されました。 本記事では、〈殻で敵を吹っ飛ばす「武闘派」カタツムリがいた!…ほぼ同じ種なのに「戦士型」と「籠城型」が存在する驚きの理由〉に引き続き、カタツムリの「戦士型」と「籠城型」の進化について、詳しく見ていきます。 ※本記事は、千葉聡『 進化という迷宮 隠れた「調律者」を追え 』(講談社現代新書)より抜粋・編集したものです。 ウスリーの森 2010年代後半は日本政府の旗振りもあり、極東ロシアとの経済交流が活性化していた。先行する韓国企業を追うように、日本企業のウラジオストクへの進出が急加速していた。信じがたい話かもしれないが、現地で感じた友好的な気配の高まりは、領土問題さえ解決に向かうか、と錯覚するほどだった。 意外にも極東ロシアは、様々な歴史的経緯のためウクライナにルーツを持つ人々が多い。ウクライナ侵攻後は、極東から物資や兵、武器がシベリア鉄道で西に運ばれたが、20世紀初めには、シベリア鉄道で西から約17万人のウクライナ人が極東に移住した。1917年のロシア革命後には極東にウクライナ国家建設も試みられた。 ウラジオストクで私たちが支援を受けた人々の中にも、何人かのウクライナ出身者がいた。その一人は、家族の大部分と親戚が皆キーウに住んでいて、2ヵ月に1回、飛行機でキーウとの間を往復していた。今は音信不通なので、どうしているかは分からない。 *   *   *   * 日本海の向こう側──大陸にも北海道のエゾマイマイ・ヒメマイマイとそっくりな種がいる。北海道でそうだったように、大陸でも戦士型と籠城型が独立に進化したのかもしれない。 修士2年の夏、この仮説を検証すべくユウタはロシアに渡った。少なくとも彼が訪れた土地は、意外なほど平穏だった。だが、それは表面上のもので、ふと裏側から顔を覗かせる凍りつくような危険に、戦慄することもあった。 ウラジオストクから東に100kmほどの森林地帯。原生林にはチョウセンゴヨウの松の巨木が目につく。だがカタツムリはそうした場所には意外に少ない。よく見かけるのは川沿いや湿地に面したやや攪乱された林である。日本のミズナラそっくりなモンゴリナラの幹の上を、戦士型そっくりの種が這っている。その隣のカエデ類の根元には、籠城型そっくりな扁平な小型種が見つかる(図9−7)。 大陸向きの強靭なメンタルと、抜群のコミュニケーションスキルに加え、誰とでも一瞬で親しくなる能力を持ち、ロシア語も多少使えるユウタは、ロシア人研究者ら多くの協力者の力を借りて、ウスリーからアムールにかけての一帯を踏破した。トラの住むウスリータイガにも踏み込んだ。北海道の北に位置するサハリン(樺太)にも渡った。 さらに極東ロシアから西へ、シベリアへとユウタは調査範囲を広げていった。現地で知り合ったロシア人の学生と2人で、ウラジオストクを起点にシベリア鉄道に乗車すると、そこからハバロフスクを経て広大なタイガと草原をイルクーツクまで、途中下車と野営を繰り返しながら調査を進めていった。 博士課程修了までの学生時代に彼が調査した土地は、極東ロシアから東シベリア、モンゴル、韓国、中国の東北、西北、内モンゴルに及ぶ。 旅には面倒な事がつきものである。危険で融通の利かない土地ではなおさらだ。どうやってそこへ、と感心するような辺境までユウタは訪れているのだが、もっと感心するのは、そのタフな交渉力と危機回避能力である。閾値以上の危険を感知すると近寄らないし、風のように撤退する。まさかの不運と人違いのせいで、ここには書けない、ぞっとするような局面に至ったときも、とっさの機転と交渉力と度胸で、淡々と危機を脱している。私は何度か中国とロシアの調査に彼と同行し、色々とここには書けない辛口のトラブルに遭遇したが、彼の危機回避能力に何度も救われた。 何はともあれ大陸での野外調査で、カタツムリの分布、生息環境や生活様式、捕食回避行動が解明された。そして得られた試料で遺伝子解析を行った結果、やはり大陸でも戦士型と籠城型が独自に分化した、という仮説が支持された。同じ二通りの戦略と形の進化が、北海道と大陸で、独立に繰り返されてきたのである。 大陸でこの仲間の分布はシベリアまで広く及んでいたが、戦士型と籠城型が分化したのは、極東ロシアと中国東北の一部地域に限られていた。それはこの仲間の分布域のうち、北海道の有力な天敵・オサムシと同じく、陸貝を捕食するクビナガオサムシ類やカブリモドキ類が生息する地域であった。 捕食者の攻撃に対し、殻を動かして対処するという行動自体は、殻内への籠城戦略をとれる他のカタツムリでも見られることがある。カラフトマイマイもそうである。しかしその威力は先述のオサムシ類の撃退には十分ではない。 これらのタイプの場合、他にも関与する要因があって、守りか攻めのいずれかに特化しない方が有利なのかもしれない。捕食者の脅威が低い場合だけでなく、他の有力な捕食者がいる場合や、乾燥や低温、高温など気候上の脅威がある場合、同時に多くの脅威に対応しなければならないので、特定の捕食回避戦略への特殊化が妨げられる可能性がある。 いずれにせよ重要な点は、殻の性質上、攻撃に長けて頑強な籠城もできるという、最強の矛と最強の盾を兼ね備えた理想的な"勇者"は、彼らの中に進化しえないという点だ。しかも素早い歩行や逃避が難しいという、貝類が祖先から受け継ぐ生理的な制限もある。 その結果エゾマイマイ・ヒメマイマイでは、殻というアイテムをあらかじめ与えられている条件のもとで、オサムシという面倒な敵をどう回避するかという問題に対し、攻撃に特化と籠城に特化という二つの最適解が生じることがわかる。 これはシンプソンの山登りで喩えれば、適応地形に二つの峰がある状態だ。この適応地形のもとでは、進化を何度初めからやり直しても、最終的に登山者はいずれかの峰の頂上に辿り着く。その大進化のパターンは、いつも同じ結末に至るだろう。 ポエキロゾニテスやヒメマイマイ(籠城型)で繰り返された殻の角張りの進化も、それが適応であると同時に、巻いた殻をもつという性質から生じる制約を反映している可能性がある。ただしヒメマイマイ(籠城型)の角張りの場合は種分化が起きていないので、状況は少し異なるが。 この「同じ適応進化の繰り返し」が、もし調律者の仕業だとするなら、その意外な姿が見えてくる。「調律」は、生物をいつも無条件に理想的な最適状態へと導くものではなさそうだ。それどころか、自由な変化に制限を与えているように見える。 カズオ・イシグロが小説『日の名残り』で描く執事の生き方がそうであるように、私たちは多くの場合、個人の幸福と、仕事や他者に対する忠誠の葛藤の下でより善い道を選ぶので、人生は決して最善なものには至らず、いつも良かれと思って同じような後悔を伴う切ない結末に至る訳だが、「調律」はこの葛藤の効果と似ているかもしれない。 「調律者」が与える「調律」の仕事は、特定の制約条件の下で、いつも同じ峰がそこにあるように適応地形を維持することなのだろう。エゾマイマイ・ヒメマイマイの採りうる対捕食者戦略を、殻がトレードオフで制限し、その制約下で戦士型と籠城型という少数の最適解の峰を作り出す。このように、「調律者」が授けた「調律」は、自在な変化を制限しつつ、制約の下での最適状態を、自然選択で作り出しているらしいのだ。 人々を幸福だと信じさせつつ、実は幸福を制限している支配者のようなものである。 * さらに〈進化学者が無人島で目撃した「進化の現場」…「悪夢のような世界」をつくりだした「魔物の正体」〉では、「進化のパーツ」を探す旅のはじまりを見ていきます。 【つづきを読む】進化学者が無人島で目撃した「進化の現場」…「悪夢のような世界」をつくりだした「魔物の正体」

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