仕事などがあるため、家で世話することができないから入院させたい—— 病院にはそのように依頼する家族の姿もある。しかし病床数は限られているし、患者も入院したくないという事例もある。 厚生労働省が3年ごとに発表している「患者調査の概況」を見ると、入院している117万5300人のうち、「生命の危険はないが入院を要する」人の割合がすべての年代で70%を超えている。そして「受け入れ条件が整えば退院できる」人の割合が10%前後だ。つまりこれは在宅医療が進めば、入院を減らしていくことができるという意味でもある。 ただ、在宅で病気のケアをするのは簡単ではない。 認知症の母、ダウン症の姉、酔っ払いの父と2020年から同居しているにしおかすみこさんは、2024年6月、姉のお腹が謎にポッコリし、苦しむ姿に直面した。病院で診てもらった結果、尿がとても多く溜まっていたことがわかったのだ。 一度病院で尿を出してもらってお腹がぺったんこになったことまで2025年6月の連載で綴ったが、尿問題はまだ解決していなかった。 その後の話を伝える連載「ポンコツ一家」47回前編では、通院しながら、自宅で毎日トイレにこもる日々をお伝えした。しかし通院も難しくなっていき……。 仕事が続くと通院が難しい これでもまだ順調なほうだった。病院には行けていた。 私の仕事が続くと、1日置きでも通院が難しくなってくる。そうなると、あっという間に姉のお腹に2リットル弱の尿が溜まる。家のトイレから母の「おしっこ出せ!」というヒステリー音が、夜中に帰宅した私を狙撃する。 これでは姉が、あんまりではないか。 「見守ってるつもりかもしれないけど、ママのやってること拷問だよ! わからないの?」と、何度きつめに言っただろう。その度に母は無視し、いや、私という存在自体が脳に届いていないのだろうか。丸椅子に座り、考える人みたいなポーズのまま微動だにしない。 姉はというと、便器に座ったまま渋い爺さんみたいな顔で、これまた母とそっくりな考える人で固まっている。何なんだ。……黙ってないで、たしかに〜でも、たすけて〜でも言いなよ。強制的にパンツを穿かせ、トイレから出す。 でもいつの間にか、私が目を離した隙に、考える人たちがセットで元の位置に戻っている。……ねえ、そういうオブジェなの? 一度、診察時に病院の先生が、柔らかな、少しおどけたような表情で母に近づき、「トイレするときに、こうやってジッと見られたら、誰だって出るもんも出なくなるでしょう。お母ちゃんの気持ちもわかるけど、逆効果になっちゃうよ」と言ってくださった。ありがたい。 母は「はい。……はい」と神妙ではあった。 だからといって日常は変わらない。そのうち、いつの間にか、トイレに、便座と丸椅子に座るオブジェ2体と、延長コードで引っ張ってきた昭和の扇風機と、床に水筒が2個、半解凍でラップしたおにぎりが2つ。飴、懐中電灯。……あんたたち、どこで食事する気なの? 籠城か。もはや長期戦の構えだ。 そして、そのうち、日ごとに、母は丸椅子に座るのもやめ、扇風機も回さず、廊下に、トイレのドアのストッパーのようにして、体育座りでうずくまるようになった。窓もない冷房も効いていない。そればかりか亜熱帯のような空気が漂っている。え?……居間のエアコンが暖房だった。あんたたち、脱水で死ぬよ。 カテーテルで尿を取る方法を教わる このあたりの日数は定かではない。でも7月には入っていたと思う。とある日。 私は看護師さんにカテーテルで姉の尿を取る方法を教わる。そして病院通いを週2日くらいにし、あとは私が仕事から帰宅し、家でやることにした。 母が「やれやれ、もっと早くこうすれば良かった。ママ、看護師してて良かったよ。家でできるからね。まだ勘は鈍ってない。お姉ちゃんのおしっこ出してやれる。これで少しはママもお姉ちゃんも寝られるよ」。 ……やるの、スーパーど素人の私だってば。 姉vs私なのか、姉with私なのか。格闘の日々が始まる。 仕事からの帰宅時間はバラバラだが、例えば23時。 トイレで母に囲われているか、或いはベッドで就寝中の姉を起こす。居間の床にテープタイプの大人用オムツを開いて敷き、尿が漏れても大丈夫なようにする。そこに仰向けで寝かせ、膝を立て足を開かせる。私は手袋をし、なるべく痛くないようにカテーテルの先端にジェルを塗り導入する。そうはいっても、私だよ? 手際も悪く、姉も全くこちらを信用していない。嫌がり、痛がり、足で私の頭を蹴ってくる。 「はい、ごめんごめん。すぐ終わるよ。ちょっとだけ頑張って」。 何とか出てきた尿を洗面器で受ける。 その間、母は座椅子に座り、テレビをつけ、一切こちらを見ない。あんなにトイレには張りつくのに? 途中、姉が力ずくで足を閉じようとする。私が片手で抑えるのも限界がある。カテーテルが抜けそうだ。姉の足の抵抗で洗面器がズレ、私の手元もズレ、尿が飛び散る。それを敷いてあったオムツが吸収する。ナイス! 看護師さんのアドバイス! ありがとう!と心から思う。 再び姉が蹴ってくる。ふたりで、必死でジタバタする。 私は「ねえ、ママ足押さえて。……ねえ、ママ! 手伝ってよ!」と半分、怒りながら助けを乞う。 母が「お姉ちゃん、すぐ終わるって。もう少しだって」と言い、動かない。……何故? 私はこれが、無性に悲しかった。 ……ねえ、そんなタイプじゃないでしょう? 私が幼い頃から、自由に自分の人生を歩めるように、一切、姉の面倒を見させなかったでしょう? 私、アホみたいに、のほほんと育っちゃったもん。 ねえ! こっち見てよ! これどう思うの? 今だけじゃない。病院の処置室で尿を取ってもらうときだって、本来は「あんたはここに座ってなさい。ママとお姉ちゃんで行ってくるから」っていう人でしょう? 何で、何も言わないの? どういう頭になっているの? 昔と比較したら母が可哀想? 今を見なきゃ? わかってるよ。見てるよ! だから……泣きそうになるんじゃん!……自問自答をやめてよ私! 疲れる。 すごいタイミングで酔っ払いが そこへ父が酔っ払って帰宅する。……しょうがないけど、すごいタイミングで帰ってくるよね、ジジイ。ただ廊下を歩くだけなのに、ドスン、ガシャガシャ、ドスンと余計な音しか立てない。居間に入って来た。 気配だけだ。私は振り返らない。姉の尿を取ることに集中する。 だから父が、どういう表情でこの部屋の光景を見たかはわからない。すぐ横まで来た。私は目の端で黒い靴下を捉える。カチャンと鍵らしきものをテーブルに投げた音。それから数歩後ろに戻り、ボンっと恐らくバッグを母の近くに放った。当たったのか、寸止めだったのか、ババアが「何すんだよ!コンチクショー」。 「なんだあ? やるのか? 僕のやることに文句あるのか?」急激に酒臭い。 全員で無視した。姉もだ。顔を見たら、得意の死んだフリだ。……いや、そんなふうに思ってごめん。お姉ちゃんが一番しんどいよね。でも、今、そのフリのおかげで体の力がダランと抜けている。チャンスだ。私はサッと体勢を整え、膀胱に溜まる尿を出す。 後ろで父が、壁やドアを蹴っているのか殴っているのかの威嚇音を連発させ、最後に「チッ、しみったれが」と吐き捨て、ドスンドスンと二階に上がり、再びどこかの壁やドアを叩き、静かになった。寝たようだ。 私は怒りでチリチリする皮膚に気持ちがもっていかれないよう、尿だけに一点集中していたのに、それは出きっていた。スッとカテーテルを抜く。 死体もどきの姉の両手を掴み、「はい、ごめん、ごめんね。終わったよ。頑張ったね。せーの、よっこいしょ」と上半身を起こしてやる。 私は後片付けをしながら、「ふたりとも、もう寝てください」と声をかける。 母が「あんた先に寝なさい。ママたち、今2階に上がったらパクソが面倒だから、もう少ししてからにするよ。お姉ちゃん、ここで寝てなさい」。 姉が四つん這いで移動し、老婆が伸ばしている足の太ももら辺を枕に横になる。 私はそこから数時間後の明け方、仕事へ出る。こんなときに限って忙しい。 嬉しい悲鳴のはずが、ついによくわからない涙が零れた。辛そうな姉を置いて外出するのも、辛くなった。 働くのをセーブした 私はこの先の仕事をストップした。現状入っているものは勿論、全力でやる。それ以外は、1ヵ月、もうちょっとだったかな。働くのをセーブした。 そのくせ自分のSNSで、故意に、さもたくさん働いている感を出したり、息抜きに知人と外食もしたり、その写真を載せたりする元気はあった。発信にウソはない。 けれど、そんな自分がどんどん嫌いになった。 何してるんだろう。私の生活の、どこが自分ファーストなのだろうと、しょげた。 どうやって復活したかといえば、単に姉が復活したのだ。毎日、薬は飲むが、カテーテルを使わなくても自尿できるようになった。 治ったわけではない。今後も姉だけでなく、家族の誰かしら、何かしらあるだろう? そのとき私はどうするのだろう。……わからない。 母が言う。「はぁ〜やれやれ。もうお姉ちゃん問題ないね。めでたしめでたしよね」。 そう……なるといいね。 【次回は8月20日(水)公開予定です】