「助かったのは奇跡」「遭難などしていない」…40年前の乗鞍岳「老人登山隊」遭難騒ぎ 道に迷ってもなお“二手に分かれた”驚愕の理由

 第1回【「すべてが予定通りだったのに」…40年前の乗鞍岳「老人登山隊」遭難騒ぎ 安全第一を忘れた時に見た「雷鳥の親子」の警告】を読む  この夏は暑さから逃れて山を目指す人も多いだろうが、夏の初めは山での遭難事故が多発する時期。近頃は外国人観光客の無謀な登山も盛んに報じられている。ただし、その以前から問題視されていた“シニア登山者とその予備軍”の遭難は、実のところ減少していない。令和6年の場合、1位は70〜79歳(771人、23.0%)、次いで60〜69歳(630人、18.8%)と50〜59歳(624人、18.6%)と、なんと全体の6割超を占めるのだ。  今回ご紹介するのはその“走り”ともいえる1985年7月の“遭難騒ぎ”。北アルプスの乗鞍岳で、男女16人、最年長78歳のシニアグループが一晩戻らなかった一件である。地元の人たちは「ほぼ遭難」と指摘したが、グループのリーダーは「遭難などしていない」と断言した。出発前は「慎重に山の状況を調べていた」という彼らに何が起こったのか——。 1985年7月22日、捜索が続けられている乗鞍岳 (全2回の第2回:「週刊新潮」1985年7月20日号「『男8人女8人』老人登山隊 『遭難劇』進行中の分別」を再編集しました。文中の年齢などは掲載当時のものです)  *** 【写真】高山植物が咲き乱れ…“遭難騒ぎ”の一行も見惚れた「乗鞍岳」の絶景 地元の人間もこの時期は午前中しか通らない  実は、地元の人たちにいわせれば、この時点で、彼ら16人は全員遭難の危機に直面していたのだ。剣ヶ峰山頂付近には、乗鞍神社がまつってあるが、そのたった1人の職員はいう。 「あの日は日曜日とあって、登山者がわんさとやって来ました。私は神社でお札や記念コインの販売をしているんですが、11時ごろ、そのお年寄りグルーブを見かけましたよ。70歳を超える人は、やはり珍しいから覚えているんです。  しかし、7月の今ごろの季節は、乗鞍山頂は毎日のように、昼を過ぎると雷が鳴りましてね。乗鞍神社にもしょっちゅう落雷するので、こげ跡が沢山あるほどです。あの日も1時半ごろ、雨と雷が一度に来ました。登山客には早く避難するように注意して、私自身は2時ごろ、誰もいなくなったのを確かめて下山しました。とにかく午後になったら、一刻も早く肩の小屋へ引き返し、雷がひどいときには、ずぶぬれになってでも、さらに畳平へ走って下りないと命が危ないんです。  そんな時間にあのお年寄りグルーブが、高天ヶ原経由で野麦峠へ向かっていたなんて夢にも思いませんでした。だってそのコースは、道らしい道じゃないんです。尾根が途中で、2つ3つと分かれてしまい、地元の人間でないと通れません。地元の人間だって、この時期には、午前中しか通らない道なんです」 キツネウドンが無性に食べたくなった  ともかく、一行は1本の大木を見つけてそこでビバーク。その樹の根元に洞があったので中に入ったという。「眠ったら死ぬぞ」と声を掛け合い、眠気を紛らわせるために、水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」や童謡「七つの子」を大声で歌った。  携帯燃料が合計3個あったので、それを1つずつ燃やし、交互に手をかざして暖を取った。コーヒーも沸かして、みんなで回し飲み……。その時すでに食料は、ほとんど残ってなかったのだ。 「泣きたくはなりましたが、死ぬだろうなんて気は起こりませんでしたね。変な話だけど、私はキツネウドンが無性に食べたくなって、一晩中ぼんやりとキツネウドンのことを考えていました」  というのは前出の59歳女性。不思議な話だが、この女性に限らず、たいていの人が食い物のことばかり考えていたようなのである。家族のことや、世間のことを思い患った人は1人もいない。全員が最後まで、楽天的なのだ。 野麦峠の方向に光が見えた  翌朝、夜明けと共に出発。地図と磁石に首っぴきで、ひとまずは野麦峠へ向かっている。  そして間もなく、この遭難劇中最大の山場である、パーティー分裂の時が来るのだ。いうまでもなく、道に迷った登山隊が、途中で二手に分かれてそれぞれ勝手に進むなどというのは許されることではない。  まず、あくまで尾根伝いに野麦峠へ向かったグループの1人がいう。 「夜営をしていたとき、野麦峠の方向に光が見えた。それで、マイクロバスの運転手を(鈴蘭バスターミナルに)待たしていたのを思い出し、気をきかして野麦峠へ先回りして一晩中ライトをつけているんだろうと思った(注=現実には野麦峠の「お助け小屋」の水銀灯)。これ以上待たせるわけにいかんからそっちへ向かったのに、一部の人たちは、鈴蘭の方向へ行ってしまった」  憮然とした口ぶりなのである。 どうしても野麦峠へ行きたかった 「私はどうしても野麦峠へ行きたかった。あそこには、女工哀史の『あゝ野麦峠』の碑文があるんです。それを見たくて、登山に参加したんですから」  信じ難いことだけれど、この期におよんで、そう考えて尾根伝いの道を進んだという女性もいた。一方、別行動に走ったグループ(7名)の1人はいう。 「リーダーは、尾根伝いに行けば、必ず野麦峠へ行けるといっていましたが、すでに疲れきっていた。そして、ひょいと左の方向を見たら、遠くに民家が見えたんです。脚の弱っている人やケガをした人が、そっちへ行きたいと言い出して、どんどん尾根を下り始めた。私もそっちへついて行った。リーダーのあとに従っていたら、いつまで歩かされるか分からない……」  結果としては、このグループは、沢へ下りてしまい、濁流に胸までつかって這(ほ)う這(ほ)うの体で乗鞍高原「銀山荘」にたどりつくのだ。野麦峠へ向かった本隊は、ご承知のようにそこの「お助け小屋」にたどりつく……。 捜索費用のうち200万円はA山草会に請求  救助されたリーダーの第一声はこうだった。 「私は遭難したとは思っていない。誰だって道に迷うことはある。マイクロバスの運転手がよけいな心配をしたから、大騒ぎになったんじゃないのかね」  その運転手は一行が無事と聞いたとたん、搜索本部の置かれた「篠山荘」でぶっ倒れて寝ていたが、 「おじいちゃんたちは、みんな元気でした。一昼夜、山で遭難して、あの元気。まさに老人パワーですね!」  搜索に加わったヘリは3台。長野県側から登った救助隊が70人。岐阜県から25人。高山署の警官100名全員が非常事態に備えて待機していたという。当然、かかった費用のうち実費200万円あまりは、A山草会に請求することになるものの、地元の村の消防団長は怒っている。 「乗鞍始まって以来の救援活動でした。霧が出たら30センチ先が見えない山なんです。助かったのは奇跡としか言いようがない。死ぬのは勝手かも知らんが、まったく、いい年をして」  ***  前夜に宿泊した宿の女将は「リーダーは慎重に山の状況を調べていた」と語ったが——。第1回【「すべてが予定通りだったのに」…40年前の乗鞍岳「老人登山隊」遭難騒ぎ 安全第一を忘れた時に見た「雷鳥の親子」の警告】では、予定通りだった行程が徐々に崩れていく様子を伝える。 デイリー新潮編集部

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