なぜ沖縄のリーダーは、立場を超えて同じ道を歩むのか。 【写真を見る】なぜ沖縄のリーダーは同じ道を歩むのか?映画『太陽(ティダ)の運命』で問う民主主義 佐古忠彦監督に聞く 沖縄の歴史と現在を、県知事という特異な立場から描き出した映画『太陽(ティダ)の運命』が、熊本市のDenkikanで7月18日から上映が始まりました。 監督を務めたTBSの佐古忠彦さんは「ニュース23」や「Nスタ」のキャスターとして知られる一方、四半世紀以上にわたり沖縄、戦争、基地問題を取材しています。映画監督としても活躍していて、今作が4作目です。 琉球放送(RBC)とTBSの共同制作によるこの作品は、3月の沖縄先行上映で大きな反響を呼んだといいます。佐古監督に、作品に込めた思いを聞きました。 佐古忠彦監督「上映が終わると、『沖縄の気持ち、心を代弁してくれありがとう』と声をかけて頂き、とてもありがたい反応があった。先行上映から4か月が経とうとしていますが、今も上映が続いています」 「そこに沖縄の歴史がある」 ――今作のタイトル「太陽(ティダ)」は、古くは沖縄で「首長」や「リーダー」を表す言葉だったといいます。沖縄の基地問題を扱うにあたり、2人の知事に焦点を当てています。第4代知事の大田昌秀さんと、第7代知事の翁長雄志さん。なぜこの2人を主人公に選んだのでしょうか? 佐古監督「全国に47人の知事がいますが、中でも沖縄県知事は最も深く、大きな苦悩を抱えている存在だと思うんです。基地問題という苦悩があり、国や県民だけでなく、アメリカとも向き合い、最後は自分自身と向き合いながら決断を下していく。その沖縄県知事の苦悩を通して現代を見ることで、この日本が抱えている問題が見えてくるのではと考えました」 ――その中でも、大田さんと翁長さんだったのには、特別な理由があるのですね。 佐古監督「今回は、普天間基地の移設先とされる辺野古をめぐる30年の歴史を描きました。その起点にいたのが大田知事。そして、最初は辺野古を推進しながらも、苦悩の末に現状のまま亡くなったのが翁長知事です。この2人は欠かせない存在でした」 佐古監督「もっと言えば、この2人はもともと政治的に反目し合っていた仲なんです。翁長さんは県議の時代、太田知事を引きずり下ろそうと先頭に立って攻撃していた。しかし、長い時を経て、2人の言葉も歩みも重なっていく。それはなぜなのか。その謎を紐解くと、そこにこそ沖縄の歴史があり、この国が沖縄に何をしてきたかの答えがあるんだと思ったんです」 立場を超えて重なる2人の知事の姿 ――具体的には、どのような点が重なっていったのでしょうか。 佐古監督「大田さんの時も翁長さんの時も、アメリカ兵による女性暴行事件が起きました。そして、大田さんは軍用地を強制使用するための代理署名を拒否して国に訴えられ、翁長さんも辺野古の埋め立て承認を取り消したことで国に訴えられた。『被告になった知事』という点でも共通しています」 佐古監督「翁長さんは知事になり、国と向き合う中で、かつて自分が批判した大田さんが何と戦っていたのかに気づいていったのではないでしょうか」 「基地問題は人権問題。その戦いは今も続いている」 ――映画を見て、沖縄の基地問題は、単なる政治問題ではなく、沖縄の人々の人権をめぐる問題なのだと改めて感じました。 佐古監督「まさに、今おっしゃった人権について、大田さんも翁長さんも全く同じ指摘をします。基地問題というと政治的な問題と捉えられがちですが、沖縄にとっては生活の問題です。戦後、アメリカに占領され人権が保障されない時代が長く続きました。その人権を取り戻そうと戦ってきたのが、沖縄の戦後史なんです」 佐古監督「現代に至っても、この2人が『基地問題は人権問題なんだ』と訴えている。これも共通点です。沖縄の人権を取り戻す戦いは今も続いている。その部分を、この映画を見て感じていただけたらと思います」 「少数派の上に多数派が圧力をかけ続けていいのか」 ――沖縄県外に住む私たちは、この映画、そして沖縄の問題を、どのような視点で見るべきでしょうか。 佐古監督「民主主義は多数決で物事が決まります。しかし、日本の人口比でいうと沖縄は1%で、残りの99%が沖縄県外です。もし両者の意見が全く噛み合わなければ、沖縄での工事はずっと続くわけです。民主主義だからといって、少数派の上に多数派がずっと圧力をかけ続けていいのか。それが本当に民主的と言えるのか。沖縄はそのありようを、ずっとこの国に問い続けているのだと思います」 佐古監督「だからこそ、この問題を放置してきた多数派、つまり沖縄県外の人たちが、この映画をどう見るのか。そこを問いかけたいと思っています」 映画「太陽の運命」は、熊本市のDenkikanで7月24日まで上映中です。 【監督 佐古忠彦さん】プロフィール (映画『太陽(ティダ)の運命』公式サイトより引用) 1988年、東京放送(TBS)にスポーツアナウンサーとして入社。スポーツ中継・スポーツニュース番組を担当した後、1994年報道担当に。1996年から「筑紫哲也NEWS23」でキャスターを務める傍ら、ディレクターとして沖縄、戦争、基地問題などを主なテーマに特集制作。2006年から政治部で民主党や防衛省、デスクなどを担当、その後もキャスターを務めながら、ドキュメンタリー制作を続ける。 2016年「米軍が最も恐れた男~あなたはカメジローを知っていますか」でギャラクシー賞奨励賞。 追加取材を経た劇場用映画初監督作品「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー」(2017)で文化庁映画賞文化記録映画優秀賞、米国際フィルム・ビデオフェスティバルドキュメンタリー歴史部門銅賞、日本映画ペンクラブ賞文化部門1位など受賞。続編となる「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯」(2019)で平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞受賞。 2021年「生きろ 島田叡‐戦中最後の沖縄県知事」、2025年「太陽(ティダ)の運命」発表。近年は「報道特集」で沖縄、戦争、政治などを主なテーマに特集制作を続けている。 昨年7月、今作との連動作品「沖縄県知事 苦悩と相剋の果てに」(RBCテレビ)を制作した。著書に「米軍が恐れた不屈の男 瀬長亀次郎の生涯」(2018講談社) 「いま沖縄をどう語るか(共著)」(2024高文研)。