菅原文太「健さんがいる限り、俺は一番になれんのだ」…!元付き人が明かす「高倉健へのライバル心」

前編記事『菅原文太「俺は『仁義』より『まむし』が好きだな」…!元付き人が明かす、名優が「最も愛した作品」と「初対面の洗礼」』からつづく。 「健さんがいる限り、俺は一番になれんのだ!」——。『仁義なき戦い』『トラック野郎』『まむしの兄弟』など日本の映画史に残る偉大な作品を残した菅原文太(享年81歳)。その傍らで8年という歳月を過ごした元付き人で俳優の熊木聡一(51歳)が、名優が抱いていた高倉健さんへの複雑な思い、東映の実録路線で同じ釜の飯を食った盟友たちの熱い絆を初めて語る——。 「健さんがいる限り、俺は一番になれんのだ」 オヤジ(菅原文太)は普段、他の役者さんについて話すことはほとんどありませんでした。しかし、唯一、その存在を強く意識し、尊敬していることが伝わってきたのが高倉健さんでした。ある飲み会で、好きな芋焼酎を飲んで、珍しく酔ったオヤジが突然ふと真顔になり、とても冷静に、でも静かさの中に力強さを感じる物言いで、こう漏らしたんです。 「俺はな、健さんがいる限り、一番にはなれんのだ」 その場にいた私は、本当にショックを受けました。デビューはともに1956年で、年齢的には健さんが2歳年上。健さんが東映の任侠路線でいち早く看板役者になった一方、オヤジは他の映画会社から東映へ移籍し、任侠路線から実録路線へ舵を切った『仁義なき戦い』でブレイクした。ともに日本の映画界を代表する大スターですが、弟子としては、オヤジが一番だと思っている。オヤジ本人の口からその言葉を聞いた時の衝撃は忘れられません。 しかしそれは、健さんへの尊敬と同時に、70歳を過ぎてもなお「いつかは健さんを抜いて一番になる」という強烈なライバル心、俳優としての覚悟を持ち続けていたことの証だったのだと思います。 奇しくも、健さんが亡くなられたのは、オヤジが亡くなるわずか18日前のことでした。健さんの訃報を聞いた時、妙な胸騒ぎがしたのを今でも覚えています。 同じ釜の飯を食った盟友たちとの絆 『仁義なき戦い』シリーズなどで共演した松方弘樹さん、梅宮辰夫さん、山城新伍さんらとはベタベタする関係ではありませんでしたが「同じ釜の飯を食った者同士」という強い絆で結ばれていました。 オヤジが久しぶりに松方さんと共演して殺陣をやる際、自宅の物置小屋にあった棒切れを持たされて練習相手を務めましたが、70代とは思えない打ち込みでした。盟友との共演に特別な思いがあったのだと思います。 同じ時代を過ごした皆さんとは付かず離れず、何かあったら助け合う、そんな関係だったのではないでしょうか。その一端を垣間見た出来事があります。 山城新伍さんが体調を崩して入院されていた時、私の携帯電話に知らない番号から電話がかかってきました。出てみると、「熊木くんの携帯でしょうか。はじめまして、梅宮です。梅宮辰夫といいます!」と。驚いて思わず家の中で正座しました(笑)。オヤジは携帯電話を持っていないので、わざわざ私の連絡先を調べて、連絡をくださったんです。梅宮さんは私のような付き人に対しても礼儀正しく、とても感銘を受けました。 梅宮さんは「山城のことで文太さんに相談したい」とのことでした。すぐに奥さんに連絡を取ったところ、オヤジは「そうか」とひと言だけ発しました。その後、梅宮さんから「ありがとう、助かった。山城のことで、文太さんとも相談したくてね」とお礼を言われました。具体的なことはわかりませんが、お見舞金か何かを工面されていたのかもしれません。あの年代のスターたちが、「同じ釜の飯」を食った仲間のために自ら動いて連携する姿を目の当たりにして、本当に感動しました。 大喧嘩の末に「破門通告」 オヤジのところには8年いましたが、大喧嘩の末に「破門だ」と言い渡されたこともあります。ある芝居の仕事で、裏方の仕事も兼ねていたことを巡って口論になり、私もカッとなって「自分が選んだ仕事。何をやったっていいじゃないですか」と口走ってしまった。オヤジは「それが親に対する口の利き方か。破門じゃ」と怒り、私も「こっちだって、もうあんたのことなんか親と思わねー!」と飛び出しました。 結局、兄弟子である菅田俊さんの仲裁で謝罪し、許してもらえましたが、今思えば私の未熟さが原因でした。オヤジから「お前の仕事なんてどうにでもなるんだ」と言われた時、私は「お前の仕事など大したことはない」という意味だと誤解してしまった。でも、本当の意味は「俺が言えば、裏方を兼ねた仕事ではなく、芝居に専念できる仕事を用意してやれるぞ」という、オヤジなりの不器用な愛情表現だったのです。 なぜそんな風に思ってしまったのか。実はその喧嘩の2年ほど前、オヤジがめまいで倒れたことがありました。「誰にも言うな」と口止めされ、それ以来、私はオヤジがいつ倒れてもいいように常に気を張り、そばを離れないようになりました。その過剰な気遣いが、知らず知らずのうちにオヤジとの師弟関係にズレを生んでしまったのかもしれません。 オヤジからの最後の言葉 付き人を卒業したのは、オヤジが飛騨高山から山梨に移り、法人を設立して農場を始めた頃です。オヤジから「一緒にやろう」と誘われ、兄弟弟子の寺中敬輔は農業を手伝うことを決めましたが、私は付き人を辞め、俳優として独り立ちする決意を伝えました。 オヤジの反応は、いつものように「そうか」というひと言だけ。そして、私が「時間がある時は農場を手伝いに行かせてください」と続けると、こう言いました。 「付き人の中には農業をやると決めたヤツもいる。一方、お前は農業をやるのを断って、芝居の道を選んだんだろう。農場には出入りするな」 事実上の二度目の破門であり、私への最後の言葉でした。これは「兄弟分の気持ちを考えろ」という思いと同時に、「暇な時に手伝いに来るなんて、覚悟が足らんのじゃないか。そんな暇があったら、俳優としてやるべきことがあるはずだ。覚悟を決めて、死ぬ気で芝居に取り組め」という、親父からのエールだったのだと、後になって気づきました。 今でも元付き人連中で集まると、オヤジの昔話に花を咲かせています。私にとってオヤジの下で過ごした8年間は何物にも代えがたい時間です。言葉は少なくとも、その生き様と背中で、俳優としてのすべてを教えてくれた。私にとって菅原文太は、永遠の「オヤジ」なのです。 【こちらも読む】【インタビュー】宇梶剛士が明かした「暴走族総長時代」と「菅原文太への感謝」、そして「アイヌ文化への思い」 【こちらも読む】【インタビュー】宇梶剛士が明かした「暴走族総長時代」と「菅原文太への感謝」、そして「アイヌ文化への思い」

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