「私だけが生き残って、恥ずかしかった」 “海の特攻”マルレ 80年隠し続けた元隊員

太平洋戦争末期、簡素なボートに爆薬を積み敵艦艇に向かった海の特攻、通称・マルレ。出撃すれば生還の見込みはほぼない。乗員に選ばれたのは当時10〜20代の若者たちだった。家族にも元隊員だったことを話していなかった男性が戦後80年の時を経て当時のことを語った。 ■昇級が早いから「親孝行ができるんじゃないかと」 長崎県佐世保市の内野藤義(ふじよし)さん(97)が見せてくれたのは、およそ80年前の自分の写真。「横着な顔をしているでしょう。それが中学の(軍に)行く前」。旧制中学3年の内野さんは、戦闘機パイロットに憧れた。 内野さん 「予科練(海軍飛行予科練習生)は不合格になった。甲種予科練をね。あとから船舶特別幹部候補生というのがあったから行ったけど、まず昇級が早い。それが一つの魅力だったんですね」 「幹部になるというのが、非常に私にはひっかかったんですよ。幹部になる。そしたら親孝行できるんじゃないかと」 16歳で内野さんは、船舶特別幹部候補生第一期生として陸軍に入隊した。 ■生還の見込みなき特攻作戦「知らなかった」 内野さんが乗ったのは、ベニヤ板の簡素なボートに爆薬を積み、敵船へ突っ込んだ通称・マルレ。敵船のそばで爆薬を落として離れるが、巻き込まれるなどして生還の見込みはない、事実上の特攻作戦だった。アメリカ兵からは、「自殺艇」とも呼ばれていた。 内野さん 「結果的には特攻隊でしょうけれど、それは全然知らなかった」 「船舶兵となる以上は、船に乗るんだろう(ということ)だけだった。どの船に乗るか、それは全然分からない。船舶兵だから船の関係だと。ただ昇級が早いと」 「そしたら世間にも、家族にもよく思われるだろう。みんないいことじゃないか、ただそれだけ」 初めて見たマルレに、内野さんは心を奪われた。「速いんですよ。ばんばん走りよる」。あれに乗るのか、と憧れる気持ちすらあった。だが、その時は船に突っ込んで爆発すると思っていなかった。 内野さん 「(その後、マルレで)専門的に、特攻としての技術をたたき込まれた」 「前におる船に突き当たれって。船があったら扇形の鉄板が(船の先の方に)あるんですよ。それが相手の船のどてっ腹にドンと突き当たれば、そしたら爆雷がどんと落ちる。ゴロンと転んで、その爆雷が4秒したら、破裂するようになっている」 「それが私たちの仕事。その4秒の間に、我々の船が逃げろという事でしょう。4秒で逃げ切れるかね? 逃げられるわけないって。ベニヤ板の船が、船に突き当たって4秒も逃げ切れるか。不可能ですよ。突き当たったとたんに、船もバラバラになっていると思うよ」 ■16歳で二階級特進…曹長に  「申し訳ないが誤りだった」 訓練を終えた内野さんは、「移動」と聞かされ船に乗せられた。 内野さん 「(広島の)宇品に行った。船舶司令部がある。そこで新しい靴・新しい制服もらったんですよ。まあ、うれしくてたまらんかったですなあ。それが済んだらすぐに下関に、門司港に。門司港に行く時もまだ(戦地に行くと)分からん。そしたら、門司港にいたら他の部隊がいっぱい来ているのよね、岸壁に」 そして、内野さんを乗せた船は、門司港から福岡・三池へ。石炭を積みながら、内野さんはそこで、思いもよらない言葉をかけられる。 内野さん 「出港して初めて、戦隊長が『全員上にあがれ』と。なんだろうかと上がった甲板に、そうしたら『今見えているのが日本だ、お前たちが生まれた故郷の日本だ、よく見とけ。これでお前たちが日本の山河を見るのはこれが最後だぞ』と」 「初めて『今からお前たちはフィリピンの(ルソン島の)リンガエン湾に配置になった、そこに行く』と」 戦争に行くと聞かされたのは、それが初めてのこと。そして「日本を見るのは最後だ」とも言われた。 内野さん 「そのときには(すでに)覚悟を決めていた。仕方ないと。明くる日ね、今まで伍長だった。『階級章を取れ』と(戦隊長から)言われた。新しい階級章が来た。ところが(軍曹を飛び越して)曹長の階級章が来たんだよ。二階級特進したんですよ」 「今まで伍長だったでしょ? 軍曹・曹長となるんですよ。下士官の一番上ですよ。私なんかびっくりしたんですよ。16歳ぐらいでね。それが『申し訳ないが戦隊長の誤りであった。だから元に戻す』と。勝手なことですよね。だから元の伍長につけ替えた。そのときは、なんちゅうことかと思ったんですよ」 ■マルレで相手の船までたどり着けると思っていたのか そして、フィリピンへ向かう途中、敵の機動部隊が北上中との知らせが入り、内野さんたちの船団は、全部避難した。 内野さん 「私たちの船は台湾の高雄にいた。それが、その晩にやられたと。爆撃をくらって。もうひどかったよ。ばんばかB29が落とすしね、もう一気に高雄は焼け野原になった。ひどかった」 「我々は(輸送船を)下りていた。そしてね、岸壁に近い旭国民学校というところに、そこに入っていたんです。だから命は助かった。それで明くる日に行ったら、ああって…岸壁に(輸送船が)沈んでいるの。それで高雄にくぎ付け」 訓練は、台湾・高雄でも続いた。 内野さん 「(マルレで)貨物船を狙う。貨物船は上陸前の貨物船だから、兵隊がいっぱい乗っているのよ。一番効果的ですよ。上陸用の兵隊が乗っているんだから。それが私たちの目的だった」 「そして言うことは『お前たちが1人死んだら、1艇1艦じゃないんだぞ』と。『お前たちが1人死ねば、相手は2000人ぐらい死ぬんだぞ』と。じゃあ、戦争に勝つじゃないかと、そういう理屈。そりゃそうでしょうけれど、数字から見れば」 「逆に考えてみたら、アメリカ側からしたら、あんな(マルレみたいな)細かい船が来るわけない。ババンとやってしまえ、100人で撃てといったら確実に死にますよ。探照灯をばーっと照らして、昼のようにして上から照明弾を落として明るくして、アリみたいな船をバンバン撃って。成功せんですよ」 内野さん自身、当時、マルレで相手の船までたどり着けると思っていたのか。 内野さん 「私は信念としては、成功すると思っていた。行けばぶち当たるでしょう。ぶち当たれば、破裂するよ。これは成功する、絶対すると」 「私たちの八戦隊の中でね、一中隊、二中隊、三中隊とあったんですよ。その二中隊が先遣隊で(フィリピンに)行ったんですよ。他の船に乗って。全部…戦死(と聞かされた)。1人も残っていない、二中隊は。かわいそうにな。俺と一緒に外出していた者もいた、二中隊に。行かないでよかったのに、二中隊だけ先にやって、かわいそうにな、あいつら。かわいそうだよ」 昭和20年も3月がすぎると、内野さんの中隊にも出撃命令が下る。そのときの戦隊長の訓示には、内野さんの思いもよらない言葉があった。 ■戦隊長が「生きて帰れ」 内野さん 「いよいよ出撃の時、もう船のエンジンはかかっていた。整備兵がエンジンをかけていた」 「我々が行くということは分かっていたから。船に乗る前にみんなを集めた、戦隊長が、『今から目をつぶれ。今から俺が言うことを冷静に受け止めろ。自分の思うことを遠慮せんでいい』と」 何を言われるのかなと思って、内野さんは目をつぶって聞いていた。 内野さん 「『お前たちは生きて帰ろうと思うか』と。生きて帰れるものかと思ったけれども『生きて帰ろうと思うか』と、こう言うんですね。誰でも思うさと、思ったけどね。しかし、それを今さら言われたってと思って。『生きて帰ろうと思う者は手をあげろ』と言うんですね」 手をあげればひどい目にあう—。そう思った内野さんは「あげんよ」と思い、黙っていた。 内野さん 「あげる者がいたら俺もあげてやろうと思って、じーっとしていたら、横もごそっともしない。音もしなかった。あげていないなあ…と思って『目を開けろ』と言われた。『分かった、お前たちの気持ちは分かった。全員生きて帰らんつもりだな』と」 内野さん 「そこにね、戦隊長が『生きて帰る』と言った。『生きて帰らないかん』『俺は生きて帰ろうと思う』と。『お前たちが全員死んで、俺も死んだら、誰が敵をやっつけたか、どれだけの戦果をあげたのか誰が言うのだ、誰も見ないんだぞ。(隊員にも)生きて帰れ』って言うんですよ。『生きて帰れ』って言ったってね、帰れるかいと思ったよ」 ■沖縄まで行けず「戻る」 聞けないままの戦隊長の真意 内野さんたちが出撃するのは、方向から沖縄が目的地だとわかった。 内野さん 「出撃で出たのは出たけどね、1時間もいっていない。高雄港を出て。大波にやられてね、エンジンのかからないやつがいるんだ。それで隊長が判断したんでしょう。これは沖縄まで行けないと。『戻る。そして時期をみて出撃する』ということで、そこで運命が変わった。高雄に戻ってきた」 なぜ「生きて帰れ」といったのか。戦隊長の訓示の真意は聞くことができなかった。高雄から沖縄本島付近までの1000キロほどを簡素なボートで進み、船に突っ込むこの作戦に戦隊長が疑問を持った可能性もあると、内野さんは考えている。 内野さん 「戦隊長は陸軍士官学校出身の大尉だったもんね。結婚して間もなしだったから、27、28歳だったんじゃなかろうか。今はもう生きていないだろう。佐賀・神埼の人だった」 再出撃の待機中、内野さんは終戦を迎える。 ■破かれた軍隊手帳 特攻隊と知られると… 内野さん 「(フィリピンに行った二中隊は)1人も残らずに死んだ。一つは1人も死なずに生き残った。いくら運命とはいえど、あまりにもひどいね。ひどいよ。戦争はいかん。戦争するのはいかんよ。やっぱりね」 内野さんの軍隊手帳には破られたところがある。軍人勅諭などの他に、特攻隊であったことが分かるような内容の箇所がなくなっていたという。 内野さん 「特攻隊だったやつは戦犯として連れて行かれるとか、そんなウワサがいっぱい流れていた。本当にウワサですよ。疑心暗鬼」 内野さん 「終戦になって、引き揚げ船を高雄で待っているときに(戦隊長が)訣別の辞を書いた。その中の『特攻』という言葉は消えているんですけれどね。(戦隊長が)わざと消してある。あとで入れておけと。あとで自分たちで『特攻』と入れろと。『特攻』という言葉を消してある。そこまで気をつかっている。疑心暗鬼ですよ、負けた人の」 ■80年近く「マルレ」を語れなかった理由 マルレに乗っていたことを内野さんが、娘や孫に打ち明けたのは去年、妻が亡くなった時。80年近く語らなかった理由はなんだったのか。 内野さん 「何で私だけが生き残って。それが恥ずかしかったんですよ、言うのは。『何でお前だけ生き残っているんだ』と言われる。『行かなかったんだろう』と。それが一つは怖かったし、『言うべきものではない』、『生きている者が何を言うもんかと、言うことができんぞ』と、私は(自分に)言い聞かせていた」 「しかし、それが腹にずっと80年たまっているでしょう。誰かが言わないと、これたち(戦友)が浮かばれないと思った。それで言う気になった。それまでは死ぬまで持っていくさ、自分でと思っていた」 「向こうに行ってから、あいつらに言ってやる。ご苦労だったな。俺も来たぞと思って、黙っていたけれど、しかしよく考えたら、惨めだぞ、ということを知らせないといけないと思うようになった」 「私は言ったらやっと胸のつっかえの重みが取れた。今からちょっとくらいは前向きに進まれるじゃろう」

もっと
Recommendations

小学生が消防士やアナウンサーなどの仕事に挑戦! 名古屋・昭和区

子どもたちに様々な職業を楽しみながら体験してもらうイベントが、12…

庭のベンチで肩まで水につかりながら救助待ち、97歳退役軍人「あれほど急激な水位上昇は初めて」

【イングラム(米テキサス州)=後藤香代】米CNNは11日、米南…

埼玉のゴミ処理施設「蕨戸田衛生センター」で火災、現在も延焼中 ケガ人は確認されず

警察によりますと、12日午後0時すぎ、埼玉県戸田市にあるゴミ処理施設…

「黒煙が見える」神奈川県の小田原城近くで住宅2棟焼ける火事 うち1棟が全焼もけが人なし

神奈川県小田原市で、住宅2棟が焼ける火事がありました。けが人はいな…

【台風接近】小笠原諸島で日曜日にかけ大雨や高波などに注意 本州付近は週明け荒れた天気に

北日本の日本海側や北陸、東海や西日本にかけては晴れるところが多い…

「マンホールの蓋」吹き飛ぶことも……大雨の注意点 車が故障する“危険な水深”は? 「水のう」の作り方【#みんなのギモン】

10日夜、関東地方は大雨に見舞われました。冠水した地域では何が起こ…

当時高校生だった女子生徒にわいせつ行為か 英会話教室を経営の男逮捕

自身が経営する英会話教室で当時高校生だった女子生徒にわいせつな行…

【辻希美・長女】希空「たべっ子どうぶつLAND」で「全身うさぎさん」 映画「たべっ子どうぶつ THE MOVIE」の “うさぎちゃん” に共通点

元モーニング娘。でタレントの辻希美さんと杉浦太陽さんの長女・希空…

幻覚作用がある麻薬「ケタミン」密輸か ベトナム国籍の技能実習生の男(28)を逮捕 密輸グループの指示役とみて捜査 神奈川県警

幻覚作用がある麻薬「ケタミン」をスロバキアから密輸した疑いで、ベ…

「クマが人を引きずって…」住宅街で襲われ男性死亡 警察や猟友会が駆除する方針 北海道

北海道福島町の住宅街で、50代の男性新聞配達員がクマに襲われ死亡し…

loading...