「知名度・金・経験」なしのバイク乗り、それでも藤原慎也を「世界最高峰のレース」へ導いたのは…ダカール・ラリーへの道

 世界最高峰のオフロードの長距離レース「ダカール・ラリー」。  来年1月に開催されるこの大会に初めて出場するのが藤原慎也(35)だ。トライアルライダーとして、国内トップに立っても良くならない生活を変えようと畑違いだが、注目度が極めて高いこのラリーへの参戦を模索していた藤原。愛知県内のある企業を訪ねると、まさかの展開が待っていた——。「ダカール・ラリーへの道—藤原慎也の挑戦—」第2回は「ないもの尽くし」です。(→前回の記事はこちら) 売り上げが急激に伸びたりはしない、けれど…  「社長、その人、神様ですよ」  2023年夏。バイクの活動とは全く関係なく、仕事の営業のため、自動車機械部品製造会社「松尾製作所」に行ったとき、商談の場にいた社員が、社長の松尾基さんにそう言った。  神様——。果たして、僕がそうなのかは別にして、トライアルを長年続けてきた自分にとってはこれ以上ない褒め言葉だ。そして、松尾さんは確認するかのように、こう質問した。「藤原さんはダカール・ラリーへ行きたいんですよね?」  行きたい。行きたいに決まっているけれど、この時はまだ「夢物語」だった。僕の専門はトライアルで、長距離レースであるラリーは門外漢だ。  そもそも、ダカール・ラリーに行くのには多額の費用がかかる。スポンサーもいない。そのことを正直に伝えると、松尾さんはこんなことを言った。  「じゃあ、ダカール・ラリーに行きましょう」「資料をまとめてください」  信じられなかったが、そこからはあっという間だった。僕はダカール・ラリーに挑戦するための予算書を作り、松尾製作所に提出した。申し出はうれしかったけれど、自分も個人事業主。お金の重さは分かっている。  世間的に知名度のない僕が、会社のロゴをつけても売り上げが急激に伸びたりはしない。だから、松尾製作所にはちゃんとそのことも話した。  だが、そんな不安や心配をよそに、スポンサーになってくれることはあっさりと決まった。社長の一言からわずか3か月ほどで契約を交わした。打ち立てたのは、2024年から足かけ3年で26年のダカール・ラリーを目指すという「3か年計画」。24年には、オーストリアで開催されるハードエンデューロ世界選手権と、世界ラリーレイド選手権モロッコ大会に出場。25年はアフリカ・エコレースというラリー大会に出場し、26年にいよいよダカール・ラリーへ。世界の難関レースへの出場を重ね、経験値を積む算段だ。  世間的には無名な僕を支援した理由は、後から聞いた。人材確保が難しい昨今の状況で、僕のようなチャレンジをしている人のスポンサーになることは、会社が「挑戦する人を応援する」という姿勢を示すにはもってこいだったのだ。若い世代の人材確保にはブランディングが重要なのだとか。  ほかの人から見れば無謀なその取り組みを正面から受け止め、応援してくれることに身の引き締まる思いだった。こうして、26年のダカール・ラリー参戦を目指すというプロジェクトが本格始動した ラリー特有の練習  契約が決まってから、僕はトライアルの練習と共にラリーの練習を始めた。トライアルレーサーだった僕は、バイクの扱いには自信があった。砂丘を走るコースは、アクセルの使い方一つで車体が一気に砂に埋まってしまう。走る・止まるという基礎を徹底しないと戦えないトライアルの世界を生きてきた僕は、そうした運転の基礎はしっかりと、身についていた。  だが、どうしても避けては通れないラリー特有の練習もあった。それは「コマ図」をつかった走行だ。  数千キロのコースを走るラリーだが、実は、GPSを使うことができない。レースはコマ図と呼ばれる、距離や進行方向、注意点などが簡単な絵と共に示された「ロードマップ(ルートブック)」を頼りに進んでいく。  コマ図には、コースのチェックポイントまでの距離とポイントの絵、そして次に進む方角などが描いてある。その絵の示す方角の通りに進んでいくと、示された距離に次のポイントがあって——ということを繰り返してゴールを目指す。  こういうと簡単なように思えるだろう。だけど、問題はこれがレースで、しかも広大な砂漠で行われるということだ。ラリーでは「ウェイポイント」と呼ばれる、必ず通過しなければならないポイントが設けられており、広大な大地の中で半径数十メートル以内に近づいたときにラリーコンピューターが「通過」と判定する仕組みになっている。  これを外すとペナルティーが課せられるため、ウェイポイントを見つけ、正確に通過することが非常に重要で、難しい。  少し、想像してみてほしい。走る方向がずれたまま走ろうものなら、まったく別の方向に行ってしまう。これだけでも完走は難しい。そこで僕は旧知の仲だったオフロードバイク専門店「ビバーク大阪」を頼った。ビバーク大阪はトライアルやモトクロスなどオフロードライダーをサポートする店としても知られている。  この店の協力を得て、僕はコマ図を作ってもらって練習に取り組んだ。コースは店を出発して大阪府内の山の中に入り、林道を走る。そこから一般道に出て、次は京都府亀岡市の林道に入り、京都を抜けて大阪に帰ってくるというもの。総距離は200キロほどにもなる。  でも、実戦的かというと、そうでもない。どうしたって、日本の道路には標識や案内図がそこら中にあるし、法定速度の中を走らなくてはならない。舗装されている道路も多く、大自然を相手にするレースの緊張感はない。国内で本格的な練習をするのは不可能なのだ。  国内で不可能だからといって、海外で練習するのも金銭的に難しい。それは、メインスポンサーが見つかっても変わらない。しかも、世界を見わたしてもラリーの大会がそんなに頻繁に行われるわけでもなく、僕は淡々とトライアルの練習に打ち込んでいた。  だが、いつまでたってもラリーの練習ができないと立ち止まっているわけにはいかなかった。「3か年計画」といえど、裏を返せば3年しかない。歩みを進めなければいつまでたってもダカール・ラリーに出られるわけはない。  いくら練習ができなかったとしても、2024年10月に行われる世界ラリーレイド世界選手権モロッコ大会に出場することは決まっている。「世界選手権」と銘打っているが、予算と安全が確保されれば、出場することはできる。  腹は決まっている。次はバイクの確保だ。オフロードバイクは一般的に売られているけれど、競争力のある競技ラリー用のバイクというのは実は生産がものすごく少ない。「専門」で作っているメーカーは1社のみ。KTMというメーカーしかない。受注生産が基本で、世界中から注文を受け、どの注文を受けるかは、抽選で決まる。  ダカール・ラリーを目指すうえで、マシンの確保は絶対に欠かせない。僕は知り合いにも声をかけて5台注文し、2台が「当選」した。メーカーの説明では、24年7月にはマシンが完成する予定で、10月の世界選手権には間に合うことになった。  これで、予算に続いて、バイクも確保できることになった。あとはレースに出て、ぶっつけ本番で戦うしかない。ホッとしたような、身の引き締まる思いのような決意が固まり、レースも目前に迫るタイミングで思いもよらない連絡が入った。「バイクが用意できません」  練習環境もなければ、マシンもない。夢への船出はあまりに前途多難だ。 (構成・読売新聞デジタル編集部 古和康行) プロフィル 藤原慎也(ふじわら・しんや) 1990年1月6日、兵庫県西脇市出身。バイク・トライアルライダー。バイク好きの父親の影響で7歳からバイクに乗り始める。障害物を走破する「トライアル」を中心に取り組み、24歳で全日本選手権の国際A級でシリーズチャンピオン獲得。国内で20人ほどしかいない最高クラス「スーパークラス」で戦う。2026年1月に開催されるダカール・ラリーに参戦予定。

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