「AI橋田壽賀子」、その実力と可能性〜「渡る世間」番外編制作の一部始終〜【調査情報デジタル】

今年生誕100年を迎えた橋田壽賀子。もし橋田さんが現在の令和の家族を描いたらどんな作品が生まれるだろうか。最新の技術と「思い」によって「AI橋田壽賀子」作品を生み出したスタッフの記録。 もし橋田先生が今の時代に生きていたら 2025年は、脚本家・橋田壽賀子先生の生誕100年という大きな節目の年です。 昭和、平成、令和と時代を超えて、家族や人生の物語を描き続けてきた橋田先生。その世界観を未来につなげる記念事業を、私たち橋田文化財団として何か形にしたいと考えました。 展覧会や上映会といった“過去を振り返る”催しだけでなく、「もし橋田先生が今の時代に生きていたら、どんな家族の物語を描いたのだろう?」という、“未来に向けた創作”にも挑戦してみたかったのです。 そこで思い至ったのが、「AI橋田壽賀子」という発想でした。  AI技術の進化が注目される中で、その活用方法については多くの議論があります。便利である一方で、創作の価値や倫理の問題も問われています。そんな中で、私たちはあえて、自分たちの手でAIと向き合い、その可能性と限界を体験してみようと思ったのです。 AIに橋田先生の脚本を学ばせ、現代の家族をテーマにした新作ドラマを書かせる。それが今回の挑戦の出発点でした。 著作権の問題からいっても、橋田先生の脚本をAIに学習させることができるのは、著作権を管理する橋田文化財団だからこそ可能な試みでした。 このプロジェクトに協力してくださったのが、AI開発を手がけるベンチャー企業「ABEJA(アベジャ)」さんです。文化的な意義に深く共感してくださり、単なる技術協力ではなく、共に作品を創り上げる仲間として、一年間にわたって取り組んでくださいました。 チャレンジがスタート 最初の半年間は、データサイエンティストの皆さんに「ドラマとは何か」「橋田ドラマとは何か」を伝えるところから始まりました。 私たち自身も改めて「橋田ドラマとは?」と問い直す、とても有意義な時間となりました。 橋田ドラマといえば、長ゼリフ、嫁と姑の対立、本音がぶつかるドロドロした展開、そして古風な言葉遣い…というイメージが一般的です。しかし、それは表面的な特徴にすぎません。その奥には、人間の感情の揺らぎや、小さな善意、意地や嫉妬、赦しといった、繊細な“情”の積み重ねがあるのだと、改めて気づかされました。 データサイエンティストの方々も次第にそのことを理解してくださり、「AI橋田壽賀子」が少しずつ形になっていきました。 初めてAI脚本で挑んだ作品は、『渡る世間は鬼ばかり 番外編』です。 物語の舞台には、おなじみの「幸楽」一家を選びました。愛と誠、そしてその娘・さくら。この家族を通して、現代の若者たちが抱える問題を描きたいと思ったのです。 若い世代にも共感してもらえる作品にするため、私が授業を担当している中央大学の学生たちにも協力をお願いし、リサーチを行いました。 学生たちの声で印象的だったのは、「親に対する不満の多くは“ファッション”に関すること」という点でした。精神的に自立しようとしている高校生や大学生たちが、親の買ってくる服に不満を抱き、「自分の服は自分で選びたい」という強い意志を持っているというのです。 そのリサーチ結果をもとに、学生たちとAIがそれぞれプロット案を考えました。すると、偶然にも両者から出てきたのが「娘が親に内緒でメイドカフェでバイトしていたことがバレて大騒ぎになる」という案でした。 学生たちは実際にメイドカフェを訪れ、そこで働く女性たちに取材してくれました。「かわいい格好がしたい」「普段の自分ではできないことができる」という声が多く、今を生きる若者たちの“もうひとつの居場所”としてのメイドカフェの実態が浮かび上がってきました。 執筆が始まる こうしたリアルな情報をもとに、いよいよAI橋田壽賀子が脚本の執筆を始めました。 脚本づくりで何よりも重要なのは「キャラクターを立てること」だと、改めて実感したのもこの作業でした。 愛と誠はすでに橋田先生が作り上げたキャラクターなので、その人格に沿って自然にセリフを生ませることができました。娘のさくらも、橋田ドラマに登場する若者たちの延長線上にいるような人物として描けました。 しかし、今回新たに登場する「メイド喫茶の店長」は非常に難しい役でした。 AIが最初に出してきた店長像は、あまりにも無味乾燥で、感情の見えない“接客マナーの良い人”ばかり。橋田ドラマに出てくるような“ぶつかりあい”のある強い人物にはなりませんでした。 そこで、店長は「怒りっぽくて母性的で、お店で働く若いスタッフたちを守る存在」という強い設定を与え、プロンプト(指示文)を何十回も書き直しました。ようやく、橋田ドラマらしい“きつさ”や“ぬくもり”を持った人物が生まれてきました。 また、AIのセリフについても、ある違和感を覚えていました。 論理的ではあるけれど、どこか心が通っていない。まるで正解を並べたようなセリフに、感情のうねりが感じられないのです。 そこで気づいたのが、橋田ドラマのセリフには“論理的誤謬”がある、ということでした。感情が高ぶったとき、人は理路整然とは話さないものです。思い込みやすり替え、話のすり抜けや極端な結論…。そうした“感情の飛躍”こそが、橋田ドラマのセリフのリアルさを支えていたのです。 それに気づいてからは、あえて「論理的誤謬を含めてセリフを書くように」とAIに指示を出しました。すると、急に人間らしいやりとりが増え、セリフに“熱”が宿ってきたのです。 そうして生まれた脚本を、2024年の年末、私たちは満を持して石井ふく子プロデューサーにお見せしました。 「この台本には、心が無い」 ところが、石井さんから返ってきた言葉は、思いがけないものでした。 「この台本には、心が無い。気持ちが伝わってこないのよ」 技術的にはやりきったつもりだった私たちは、深く落ち込みました。それでも、AIに自己分析をさせ、石井さんの言葉を共有しました。すると、AIが出した答えは、「キャラクターの深掘り」「対立構造の強化」でした。しかし、それらはすでに実行済みです。 そこで、私たちは改めて考えました。 「人間は、感情を受け入れるのに“時間”が必要なのではないか?」 議論で何かを言われた瞬間には、すぐには納得できない。気持ちが整理され、相手の思いを自分の中に落とし込むには、沈黙や戸惑いといった“プロセス”が必要なのではないかと考えたのです。 その発見をもとに、脚本に“感情の余白”を加えていきました。 誠がさくらと愛のケンカに挟まれて、どうしていいか分からず、公園でひとり考え込むシーンを新たに書き加えました。 これまでの橋田ドラマなら、家の中で家族がぶつかりあう“密度の高い会話”で物語が進んでいくのが定番ですが、今回はあえて「沈黙」や「孤独に向き合う時間」を描きました。 誠は、とても繊細で、不器用な人間です。そんな彼が、ベンチにぽつんと座り、「自分はどうするべきなのか」と頭を抱える姿に、私たちは“心が動く瞬間”を託しました。 そして年明け、もう一度石井さんに脚本をお見せしました。今度は、「ずいぶん良くなったわね」と言っていただくことができました。 撮影開始 2025年2月、ついに撮影が始まりました。タイトルは『渡る世間は鬼ばかり 番外編〜いつの世も親は親、子は子』。 偶然にも、今回出演してくださった俳優の皆さんが、それぞれの役柄と自分自身の人生を重ねるようなタイミングでした。 愛を演じた吉村涼さんは、いまや本当のお母さんになっており、誠役の村田雄浩さんは、実生活で年頃の娘さんを育てるお父さんです。そして、さくら役の安藤美優さんは、まさに今年、大学に入学したばかりの18歳でした。 現実の人生と役が自然に重なり合うことで、セリフの一つひとつに深みが生まれ、AIが書いた脚本に、豊かな“心”が吹き込まれていきました。 演技を通して彼らが宿してくれた“人間の温度”こそ、この作品を物語として成立させた大きな力だったと思います。 放送とその反響 そして5月11日、BS-TBSで放送されました。 放送前は、「AIが脚本を?」ということで、否定的な声や懐疑的な意見も多く、SNSやメディアでも賛否が分かれていました。 けれど、いざ放送が終わってみると、視聴者の反応は想像以上に温かく、私たちも胸をなでおろしました。 「まさに“渡る世間”らしかった」 「セリフにグッときた」 「思わず涙が出た」—— そんな感想が多く寄せられ、AIという言葉に抵抗のあった方々にも、「これなら受け入れられる」「技術より、作品に心があることが大事なんだ」と感じていただけたようです。 脚本にどのくらい人間の手が加わっているのか、というご質問もよくいただきます。 とくにプロデューサー・石井ふく子さんから「この台本には心がない」と言われたあとの直しの作業は、AIだけでなく、人間の知恵も総動員して進められました。構成の見直し、感情のプロセスの挿入、新しいシーンの追加など、試行錯誤の連続でした。 あえて比率で言うなら、完成稿に至るまでの“修正作業”は、AIと人間でざっくり半分ずつくらいの割合だったように思います。 AIが出したアイデアを人間が読み解き、人間が出したアイデアをAIにふくらませてもらう——そんな“共創”のプロセスが、今回の脚本づくりの核になっていました。 AIは「伴走者」 そして、制作の中で私たちが気づいた、もうひとつの大きなことがあります。 それは、AIが“壁打ちの相手”として、クリエイティブな作業の伴走者になってくれるということです。 脚本づくりは、時にとても孤独な作業です。一人で物語を練り、台詞を組み立てる中で、考えが煮詰まってしまうことも少なくありません。そんなとき、AIは絶えず問いかけに応えてくれます。 「このキャラクターはなぜ怒っているのか?」 「別の視点から見たらどうなるか?」 そうしたやりとりを重ねることで、自分自身でも気づいていなかった感情の流れや構造が見えてくることがあるのです。 もちろん、AIの出す答えがすべて正解というわけではありません。けれど、一人で考えていたら思いつかなかった視点を示してくれることで、発想が広がり、作品が深まっていきます。それはまるで、そっと隣にいてくれる“話し相手”がいるような心強さでした。 AI橋田壽賀子は、橋田壽賀子先生そのものにはなれません。 けれど、先生の言葉やドラマの構造を学びながら、いまを生きる私たちの創作を支えてくれる“対話のパートナー”にはなれるかもしれない——。そう実感できたことこそ、この一年間で得た何よりの成果だったように思います。 現在、この作品はTVerおよびU-NEXTで配信中です。(2025年7月2日現在) AIが物語を代わりに作るのではなく、人とAIが共に創る——その最初の一歩として、この試みが未来への希望につながっていけば嬉しく思います。 ぜひ、ご覧ください。 <執筆者略歴> 山崎 恆成(やまさき・つねなり) 一般財団法人橋田文化財団 理事。中央大学客員教授。 大学卒業後TBSに入社。主にドラマ畑を歩む。『渡る世間は鬼ばかり』第一シリーズより演出を担当。 石井ふく子プロデューサーとは長い付き合いで、ドラマ特別企画『わが家は楽し』(2025)の制作にも参加。 【調査情報デジタル】 1958年創刊のTBSの情報誌「調査情報」を引き継いだデジタル版のWebマガジン(TBSメディア総研発行)。テレビ、メディア等に関する多彩な論考と情報を掲載。原則、毎週土曜日午前中に2本程度の記事を公開・配信している。

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