終ってみれば、フェラーリ499Pの3連覇で幕を閉じた2025年ル・マン24時間。暫定4位に食い込んだ1台がウイングの強度不足で失格になる後味の悪い最終リザルトとなったが、総合優勝を果たしたAFコルセの#83をドライブした3人のうち、元F1ドライバーのロバート・クビサはラリーでの大事故が元で右腕の機能を一部失ってからの復活劇で、イー・イーフェイは中国人として初のル・マン・ウィナーとなった。また1999年生まれで25歳のフィリップ・ハンソンはダンロップのプロモ—ションからヨーロピアンとアジアン、それぞれのル・マン・シリーズを通じてLMP2から頭角を表したという純粋な耐久ドライバーだ。レジリアンスや多様性、育成という視点からも、印象深い勝利だったといえる。 【画像】2025年ル・マン24時間でのフェラーリ、トヨタ、アストンマーティン、アルピーヌ(写真10点) すでにレース・レポートは様々に報じられているが、夜半過ぎまで大半のハイパーカーが同一周回でラップを刻み続け、フルコースイエローは結局1回きりという近年まれに見るハイペース、というよりは24時間スプリント的な展開となった。今年はキャデラックがポールポジションを奪取した通り、各チームともかなりラップタイム的には拮抗しているようだったが、見た目以上にレースペースには差があった。各車とも3分27秒台をコンスタントに刻んでいても、ストレートで滅法速いフェラーリ勢がその気になれば26秒台にまでペースを上げることができる一方で、何とか食らいついていかざるを得なかったポルシェとトヨタはメンタル面での余裕が削られ追い込まれていたのだろう、ピットロード内速度リミット超過など細かなミスを重ねた。またBMWやプジョースポールら、タイヤが摩耗してからのペースに難のあるチームは、12時間経過する頃には徐々に後退していった。それでも最終的には5位の#7トヨタGRが1ラップダウン、9位10位のアルピーヌ勢がそれぞれ2ラップ、3ラップダウンで11位のプジョースポ—ル#94号車までが3ラップ遅れにとどまった。 「ル・マンに来る時はつねに最善の準備をしている。例えば数週間前にマニクールでテストしたのは、予備のトランスミッションを実際に換装して走らせて、本来のトランスミッションと同じように機能するかどうか、そういうチェックだ。毎年少しずつ内容やリザルトは向上しているけど、フェラーリやトヨタといったトップチームに比べて足りなかった何かがあるはずだから、それを少しでも埋めてここにやって来るんだ。だから優勝するにはつねにその用意ができていること、少なくともエリジブル(選ばれうる)であることが重要なんだ」 とは、アルピーヌを率いるシグナテックのフィリップ・シノー監督のコメント。ル・マンでの勝利はもちろん万難を排して掴みにいくものではあるが、最善を尽くして天命を待つといった一面は否定のしようがない、そんな謙虚さが伝わって来る。 ちなみにLMPカテゴリーに初登場したアストンマーティン・ヴァルキリーは24時間で有効周回数383ラップ、トップから4ラップダウンという結果だったが、初の24時間レースでまずまずの速さと信頼性を見せたといえる。何より6.5リッター12気筒という大排気量NAならではの豪快なエグゾーストノートを轟かせ、サルト・サーキットの高速コーナーを駆け抜ける様は、間違いなく観客の耳目をひき、目の肥えたファンたちを魅了していた。 液体水素の安全タンクの規格制定へトヨタが関与する未来図 以前、とあるコンストラクターのCEOがいみじくも指摘したように、ル・マン24時間は「モータースポーツ界のスーパーボウル」、つまり祭典としての側面を強めている。恒例のACOのプレス・カンファレンスでは、数年前からACOが主導する水素燃料電池ハイパーカーである「ミッションH24」と、トヨタの提携が発表された。昨年に発表された通り、ACOおよびWECは2028年に水素燃料の車両をスタートグリッドに迎え入れ、レギュレーションの策定に動いている。GT3に匹敵するペースでレースができることが当面の目標だ。 ミッションH24とトヨタの提携はとりわけ「空力と冷却に関するもの」と言及されている。 トヨタがスーパー耐久でカローラを走らせているような、マイナス253度の液体水素を燃料タンクとして貯蔵し、走行中に安定して保ちながら、昇温と昇圧を経て燃料電池もしくは水素燃焼の内燃機関へと用いる技術が、注目されている訳だ。 これはトヨタが水素自動車でのレース活動を世界にまで広げるというだけはない。ハイパーカーとLMDカテゴリーの成功によってACOとFIAは歴史的な蜜月関係にあり、FIAがモータースポーツの安全面を担保する上でとりわけ重要な、安全(燃料)タンクというパーツの技術的認証、いわば次世代の要件を定めていく上で、トヨタのもつノウハウが主導的な役割を果たしていくであろう、ということだ。 ミッションH24はフューエルセルであり電気モーターで駆動するが、昨年からスーパーGTにエンジニアを視察に送り込むなど、水素エンジンに積極的な対応を見せているのはアルピーヌだ。水素技術のショーケースとしてル・マン・ウィーク中にパドックで展開される「水素ビレッジ」には、「GR LH2 レーシングコンセプト」が展示された一方で、アルピーヌは昨年までの直4・1.6リッターターボからV6・3.5リッターにエンジンを換装したコンセプトカー、アルペングローを披露。いまだ燃料タンクは気体水素のままで、今回もデモランを披露した。実際に熊本オートポリスまで昨年、日本の水素エンジンの取組みを視察に出向き、アルピーヌで水素パワートレインの研究開発を担当するジャン・ピエール・タルディ氏は、こう答えた。 「従来の直4の水素エンジンは、オレカのGRE(グローバル・レーシング・エンジン)という汎用ユニットを用いたものでしたが、このV6はまったくの新開発として作り上げたものです。ルノー・スポールには当然、エンジンをゼロから作る設備はすべて揃っていますから。開発目的は、これまでルノー・スポールあるいはアルピーヌF1が培ってきたエンジンの燃焼技術を、可能な限り水素燃料であれこれ試すためです」 たった1年足らずでシリンダーブロックからヘッド、燃料供給システムまで実現できた裏側には、F1エンジンの自社開発を止めてまで、水素技術に人材やリソースを割いている事情がうかがえ、アルピーヌひいてはルノー・グループの水素モータースポーツに対する本気度が透けて見える。金属への水素特有のアタックを避けるため、DLC以外にも様々な表面加工を用いていること、SU304系のステンレスが素材としてかなり有効であること、異常燃焼については基本的には水素濃度を4%以下に保ち、ブローバイガスの問題についてはインパクタ—の他にも、腰下に穴を穿つことで逃がす対策もしているという。 「スーパーGTの視察以来、トヨタの担当者とはよくオンライン会議でやり取りをしていますよ。水素の燃焼と貯蔵、そして昇温・昇圧はまったく別の技術。彼らはとても協力的かつ建設的に接してくれ、他の自動車コンストラクターや水素関連のプレーヤーと協業する日本の取り組み方を、欧州は学ばなければなりません。はっきりとエンゲージした訳ではないながら、2028年のスタートグリッドに水素車両を並べるという目標を、やはり分かち合っていると思うので」 さらにタルディ氏は「危険なしに勝つのは、栄光なくして勝利すること(A vaincre sans péril, on triomphe sans gloire.)」という劇作家コルネイユの箴言を引用しながら、こうまとめた。 「モータースポーツも他のスポーツと同様、とどのつまり、競い合う相手があってこそ成立するもの。そうではない勝利には価値がないことを、トヨタをはじめ日本の人々はよく知っていると感じます」 ところで9月の富士スピードウェイにおけるWEC日本ラウンドは、2012年に現在の形でスタートしたWECの100レース目という記念すべき節目でもある。BoPの適用については何かと論議を呼ぶものの、価値観の共有やモータースポーツの発展は毎年、このように少しづつ積み上げられているのだ。 文:南陽一浩 写真:南陽一浩、アルピーヌ、アストンマーティン、フェラーリ、TGR Words: Kazuhiro NANYO Photography: Kazuhiro NANYO, Alpine, Aston Martin, Ferrari, TGR