全身の筋肉が衰え、呼吸も十分にできなくなっていく難病のALS。その病に侵されながらも、「子どもたちの母親でいたい」と前を向く女性がいます。生きる覚悟を決めたのは、息子の一言でした。葛藤を抱えながらも懸命に生き続ける母と家族の物語です。 ■自分より家族を第一に考える母親 本宮喜美子さん(63)。ALS(=筋萎縮性側索硬化症)を発症して10年がたちます。ALSとは全身の筋肉が少しずつ衰え、体が自由に動かせなくなっていく難病です。ヘルパーが24時間体制で介護にあたっています。 「目薬さす?」とベッドの横で声を掛ける男性は、単身赴任中の夫の徹男さん(65)。週末になると、家に戻って介護をしています。 本宮さん夫婦には息子の宏樹さん(32)、娘の優理佳さん(30)の2人の子どもと、孫の創真くん(4)がいます。喜美子さんはときに厳しく接することもありましたが、いつも自分より家族を第一に考える母親だといいます。 体は動かなくても、視線でパソコンに文字を打ち込みます。創真くんを抱えた娘の優理佳さんに、ベッドの上から話しかけます。 喜美子さん 「寝起き?」 優理佳さん 「寝ていないよ。おなかすいているんだと思う」 喜美子さん 「バナナでもあげたら」 ALSになっても母でいたい…。喜美子さんはそう願っています。 ■声も出せず…視線で文字を入力 取材を始めたのは2019年。「ALSのことを伝えてほしい」と、喜美子さんが連絡をくれたことがきっかけでした。発症から4年たっていましたが、このとき自分の意思で動かせたのは目と口、膝だけ。病気の進行で、声を出すこともできなくなっていました。 ヘルパーとの意思疎通は、喜美子さんが視線で言葉を打ち込み、それが音声で読み上げられるという形で行われます。 喜美子さん 「おしーりみきにしたい(お尻右にしたい)」 するとヘルパーが対応し、「このくらいでいい? いきすぎた? 大丈夫かな?」と確認。喜美子さんは「いきすぎ」と調整を頼みます。 ■「残酷な病気で受け止められず」 病気が分かったのは53歳の時。子育てが一段落し、ようやく夫婦での時間が持てそうな頃でした。その時に医師から告げられた余命は5年。 喜美子さんは「残酷な病気で受け止められずに、なぜ私なんだと思ってばかりでした」と振り返ります。 この先病気が進行していくと、筋力の低下で呼吸までもが難しくなるため、気管切開をして人工呼吸器をつける必要があります。 ただ、取材を始めた頃の喜美子さんは、こう考えていました。 「喉に穴をあけて呼吸するので声は出ないし、においも分からなくなります。頭はしっかりしていて感覚も正常で、次々と手足が動かなくなり、言葉も出なくて、次はどうなるのかという不安が強くて耐えられない。長い介護になるので生きていても家族の負担になる」 家族に負担をかけたくない、だから生き続けることはしたくない…。生きるために必要な気管切開はしないつもりでした。 ALSは有効な治療法が確立していないため、そうした患者も多いといいます。 ■人工呼吸器をつけて「生きる覚悟」 そんな中、「一人にしないで」という息子の一言で生きていく覚悟を決めたといいます。体が動かなくなっても、子どもたちの母でいたい…。そんな思いからでした。 息子の宏樹さん 「自分も家族もどうなっちゃうんだろう、先が見えないというのはありました」 生きる覚悟を決めた喜美子さん。半年後に気管切開手術をし、喉には人工呼吸器がつけられました。たんを吐き出す筋力がないため、吸引をしなければなりません。「(吸引は)きらい」。痛くて苦しい瞬間です。 母であることを貫きたい。でも、今の自分にできることは何だろうか…。喜美子さんは「今は治療法はないので、周りの人の力を借りて、病気と折り合いをつけて生きていきます。呼吸器つけたら長生きして、子どもの未来も見たい」と言います。 夫の徹男さんは「生きる目標ができるといいですよね」と話します。喜美子さんの生きがいは何なのでしょうか。 ■世話を焼いて…息子の帰りを楽しみに 2022年のある日、家には息子の宏樹さんがいました。喜美子さんはいつも通り、インターネットでたくさん買い物をして、帰りを楽しみにしていたそうです。ついつい世話を焼いてしまいます。 喜美子さん 「カレーもあるよ、中村屋の」 ヘルパー 「12日に帰ってくるのって、うれしそうに生協の注文していましたよね?」 ──(冷蔵庫に)いつも入りきらないくらい? 宏樹さん 「パンパンですね。実家に帰るとご飯は、母親が生協で冷凍や冷蔵を買ってくれるので、自分で温めて毎回食べている。いっぱいあって、だから困らないです。ご飯は」 お母さんは今も、家族にとって安心できる居場所です。 ■「あやしたい、遊んであげたい」 別の日には、娘の優理佳さんが創真くん(当時1)と久しぶりに帰ってきました。喜美子さん、今日はおばあちゃんです。 喜美子さん 「バナナでもあげたら」 優理佳さん 「バナナどこにあるの?」 喜美子さん 「カウンター」 世話を焼く喜美子さん。「そうま、おいしい?」と問い掛けると、優理佳さんは「おいしいよね?」と創真くんを見やります。 ──帰ってくると安心しますか? 優理佳さん 「そうですね。話しやすいというか、いろいろ話せるので。(子育ての)経験者だから」 喜美子さんがうれしそうに「そうま」と呼び掛けると、優理佳さんは「呼んでいるよ」「なーに?って」と創真くんに水を向けました。 もしALSじゃなかったら、もっと世話を焼きたいのに…。そんな葛藤は今でもあるといいます。 喜美子さん 「うれしいけど、抱けないのが悲しい。あやしたいです、遊んであげたい」 ■結婚式で「これからは私が支える」 2023年のある日、本宮さん夫婦の姿は結婚式場にありました。まだ式を挙げていなかった優理佳さんの結婚式です。生きていたからこそ見ることができた、娘の晴れ姿でした。 優理佳さん 「父さん、母さん、28年間本当にありがとう。無事に今日という日を迎えることができたのも、2人のおかげです。私が大学2年生のときにALSになって、体が思うように動かなくなって、いっぱいつらい思いをしたよね」 「病気になっていろいろなことがあったけど、私たちと一緒にいつづけることを選んでくれてありがとう。今こうして一緒にいられることを本当にうれしく思います」 「常に前を向いて目標を持って過ごしている母さんは心強いし、とても尊敬しています。ずっと自慢の母です。これからは私が母さんを支えていくから、ずっと元気で笑っていてね」 ■母として祖母として…笑顔に寄り添う 喜美子さんはこれからも生き続けて、母として祖母として、家族の笑顔に寄り添いたいといいます。 喜美子さん 「私が長生きすると社会にとっては何も生み出さないのでお荷物になりますが、私は子どものために命の続く限り生き抜くつもりでいます」 「私がここにいれば、子どもたちには帰る場所ができます。必要な時に話し相手に私はなれます。私は子どもたちの居場所になれたらと思います」 (6月26日『news every.』より)