「私は戦時中、何に関わっていたのか」。15歳で勤労動員されたある女性は、80年もの間、そんな疑問を抱き続けてきました。その疑問に迫ると、子どもたちが戦争に巻き込まれた実態が見えてきました。 ■勤労動員 国のために働く毎日 木山孝枝さん、95歳。当時15歳で、関東高等女学校の生徒でした。 太平洋戦争末期。子どもたちは学校に通い勉強することはなく、「学徒勤労動員」として、日々、軍需工場などで働いていたのです。木山さんのクラス、およそ50人は1944年の8月から、日立製作所の研究所に動員されていました。 木山孝枝さん(95) 「国分寺にある日立製作所の中央研究所に動員されました。研究所の中で、生徒たちはそれぞれの部署に配属されて同じ部署にいたのは、私ともう一人。そこは日本に3台しかないといわれる高性能の電子顕微鏡を扱う所でした。普段は雑用でフラスコやビーカーを洗浄したりしていました。時には顕微鏡で見えた画像を写真に現像する作業も任されました。粒子のようなものが写っていたのを、今でも鮮明に記憶しています」 ■「これは極秘文書だ」 こうした作業が続いていたある日。普段、作業を指示してくれていた研究員が厳しい表情でこう言いました。「この文書を陸軍の研究所に運びなさい。絶対に落とさないように」 「これは極秘文書だ」 厚さ2センチほどの文書を見せられ、「極秘」の印が押された文書を入れたカバンを持たされました。陸軍の研究所までは、歩いてわずか10分の畑道。「絶対に極秘」と言われ、緊張と恐怖を感じながら運んだことを記憶しているといいます。 文書を運ぶ先は「第八陸軍技術研究所」。そこは火薬や新兵器の製造を担っていました。到着すると衛兵が案内してくれ、何の検査もなくスムーズに中に入ることができました。待っていた担当者にカバンを渡すと「食堂であんみつでも食べて待っていなさい」と言われ、待つことおよそ20分。今度は、陸軍の担当者から日立研究所に宛てた文書を持たされ、同じく「極秘文書」だと念を押されました。 日立研究所と陸軍研究所の間を、「極秘文書」を持って往復。日立で働いた8か月間、こうした業務を託されたという木山さん。いったい私は何を運んだのか? 「何か重大な兵器に関わるものだったのではないか」 この80年間、疑念と不安を抱えたまま、誰にも話せずにいました。 ■「極秘文書」の運搬 子どもに任せた? そもそも戦時中、子どもに「極秘文書」を運ばせることなどあり得たのでしょうか。専門家に聞きました。 明治大学 山田朗教授 「学徒勤労動員で使われた中学生、高校生、大学生が文書資料の運搬にあたった話は、複数聞いたことがあります。大人は文書の内容が気になったり、寄り道をしたり、運搬したことを他人に話してしまう恐れがあります。それよりも業務内容を理解できて、余計な事はせずに、言われた業務をまっとうする中学生らが適していると考えられていました」 大人よりもむしろ、従順な子どもの方が安全な運搬に適していたといいます。 また近年、山田教授のもとには「学徒動員で部品の製造作業をしていたが、あれは何を作っていたのだろうか」というような相談が寄せられることが増えたといいます。調べてみると風船爆弾の部品を製造していた事が判明するなど、およそ80年をへて何をさせられていたか知るケースもあるそうです。 明治大学 山田朗教授 「ある意味で、子どもたちは80年もの間、極秘情報を守ってきたとも言える」 ■陸軍と日立 何を研究していたのか? では陸軍と日立は何を研究していたのでしょうか。 防衛省・防衛研究所の史料室で担当者に問い合わせると、「調査参考資料 陸軍技術研究所関係」という史料が参考になるかもしれないとのこと。するとその史料の「戦時研究」についてまとめられたページの中に、第八陸軍技術研究所と日立製作所が共同で研究していた内容が書かれていました。 そこに記述のある「発煙剤」については、陸軍の研究の進捗を記した「状況申告」という史料にも記載がありました。「発煙剤竝火焔剤等ノ研究ヲ実施シ」と書かれ、それが主要な研究だったことがうかがえます。 「発煙剤」が戦時にどう使われたか、専門家に聞きました。 明治学院大学・国際平和研究所 松野誠也研究員 「日本軍は、実際の戦場で煙幕によって視界を遮ることで、部隊の位置などを隠して損害を防いだり攻撃を成功させるために発煙筒を使用しました」 「また空襲に備えた防空演習では、煙幕によって工場などの要地を遮蔽して爆撃を回避することを目指して、大規模な訓練が行われたこともありました」 木山さんも当時、動員先で「1メートル四方の箱型の装置の中で火を燃やして煙が出ていたので、日立の研究員に聞くと、『煙の遮蔽度の研究』と教えてくれた」と記憶しています。 「煙の遮蔽度」とは、言い換えれば「どういう煙で、何をどれだけ隠せるか」ということ。 ■発見された「煙幕実験」の映像 空襲に備えた「煙による防空」の研究。それを映したフィルムが4年前、個人宅で発見されました。「要地遮蔽」(ようちしゃへい)と題された映像。第八陸軍技術研究所が、様々な材料で煙をおこし、どのようなメリットとデメリットがあるか。また工場地帯で大規模に黒い煙を発生させている様子などが映されています。 ■あの「極秘文書」は何だったのか 木山さんが運んだ「極秘文書」。 あくまで可能性の域を出ませんが、その「極秘文書」は、発煙剤の研究に関する文書だったかもしれません。そうすると本土防空のための煙幕実験や、発煙剤を用いた新たな研究開発に活用された可能性があります。 80年前に経験した「極秘文書」の運搬。ひとたび戦争が起きれば、子どもたちも知らず知らずのうちに、戦時の兵器製造などに巻き込まれていく事実を示しています。