65歳未満で発症する「若年性認知症」。全国で約3万6000人いると推計されています。診断にショックを受け、外部との接触を避ける人も少なくありません。家族やコーディネーターの支援を受け、自分のできることを生かし、前を向く当事者を取材しました。 ■約5年前から目立つ「もの忘れ」 神奈川県内で家族と暮らす、守下洋子さん(仮名・56)。家の中を見せてもらうと、ところどころにピンク色の付箋が貼ってありました。 ──これは何でしょうか? 長女(21) 「場所が大体分かるように、付箋を貼っていて。この付箋の場所にその物が入っている」 5年ほど前から、もの忘れが目立つようになったという洋子さん。「医療機関は3つか4つくらい行ったと思います。最初は(病名が)分からなかったですね。久里浜医療(センター)に行ったら、『アルツハイマーです』と言われて」と振り返ります。 ■「どうやって生活したらいいのか」 3年前、医師から告げられた診断名は「アルツハイマー型の若年性認知症」でした。若年性認知症とは、65歳未満で発症する認知症の総称。厚生労働省の調べによると、2022年では全国で約3万6000人いると推計されています。 20代から50代までの30年間、看護師として働き、家計を支えてきた洋子さん。仕事での失敗が続いたこともあり、6年ほど前に自ら退職することを決めました。 思いもよらなかったという、若年性認知症の診断。「診断を聞いてからは、もうこれで私も働けなくなる。じゃあどうやって生活したらいいのかなっていう…」と洋子さん。不安がよぎりました。 ■娘2人は高校や大学に入学したばかり 長女 「自分では何だと思ってたの?」 洋子さん 「普通に更年期(障害)だと思ってたんだよね」 二女(18)も「だんだん、あれおかしいなと思って。まさかお母さんが、みたいな」と当時の記憶をたどります。 仕事や子育て、親の介護を中心的に担うことの多い、いわゆる“現役世代”での発症。診断当時、洋子さんは53歳でした。二女は高校に、長女は大学に入学したばかりでした。 長女 「この年の人で認知症になった場合、どうやって対応したらいいのか全然分からなくて」 二女 「もしかしたら進学できないのかなとか、そういう気持ちもあって。きついなと思う部分の方が多いので…」 突然、戸惑いと不安が家族を襲いました。 ■みそが行方不明? 冷蔵庫の扉は… 別の日に、洋子さんを訪ねました。冷蔵庫から警告音が聞こえてきました。洋子さんは、開いたままの扉を閉めました。 洋子さん 「こんなのはしょっちゅうなんですよ。すぐ忘れちゃうの、開けて」 みそ汁を作っていましたが、「大変です、みそがありません。昨日あったのに」と困った様子。冷蔵庫にあったという、みそが見当たりません。 洋子さんが「なんでないんだろう…」と首をかしげていると、また冷蔵庫から「ピピ、ピピ、ピー」という音が。「え〜悔しい」「みそがない」。取材スタッフが「一緒に捜しましょうか」と声をかけるも、「いや、ないと思うんですよね」と言います。 改めて捜してみると、ケーキで隠れていたものの、やはり冷蔵庫の中にありました。若年性認知症による、日常生活への影響です。 ■診断を受けた娘 両親の受け止めは? ある日、洋子さんは両親と一緒に診断を受けた病院へ向かいました。進行具合を確認するため、定期的に受診しています。 主治医 「お薬の飲み忘れはありますか?」 洋子さん 「朝は飲めるんですけど、夜と昼は忘れることがあります」 娘が若年性認知症の診断を受けたことに、両親はどう思っているのでしょうか。 父親(81) 「病院からの電話を受け取ったのは妻だったんですけど、ショックだったな」 母親(80) 「更年期(障害)と思っていましたし、なんでそこにたどり着かなかったかな、もっと早くに。全然思い浮かばなかったですね」 父親 「働き盛りにやれる仕事がやれない、これはつらかったですね」 ■周囲の助けを借りながら仕事に励む 神奈川県内にあるグループホームで、清掃作業をする洋子さんの姿がありました。掃除機で、角まできれいに掃除機をかけています。「家ではやらないんですけどね」と笑います。 今はまだ、根本的な治療法がない若年性認知症。それでも症状の進行を遅らせることを期待し、看護師を辞めた今も自分にできる仕事をしています。 掃除中、「どこやるんでしたっけ? あの上?」と尋ねる場面も。うまくいかないこともありますが、周囲の助けを借りながら仕事に励んでいます。 洋子さん 「楽しいですよ。やらせていただけるのはありがたいなという気持ちです。両親の仕送りもありますけど、そうじゃなくて自分で。今までずっと自分でやっていたんで」 ■長女「これはまだできるんだ」 若年性認知症の診断からもうすぐ3年。その時の症状に合わせた工夫を模索しながら、家族で役割を分担して暮らしています。 長女 「診断された当時は、これもできなくなっちゃったなとか、大丈夫かなっていうのはあったんですけど、逆に今は、これはまだできるんだと、できることに目を向けられている。できる範囲の中でちょっと工夫して、できないことは私たちがやるようにしたり」 「困ったことがあったらその都度、こういうふうに変えてみようかとか、これ始めてみようかとか、今わりと安定している」 ■カバンは1つ…理由は「忘れるから」 障害者雇用の支援などを行う会社で働く渡邊雅徳さん(48)に取材しました。愛用のカバンを見せてもらいました。渡邊さんは「もうこれしかないです。これに全部収納しています」と言います。 カバンを1つに限定している理由を聞くと、「忘れるからです。一度出してしまうと、どこに何があるのか分からなくなるので」とのこと。 若年性認知症の当事者である渡邊さん。今から8年前、40歳の時に診断されました。 ■「毎日怖かった」…自ら退職 ──40歳での診断、何が一番気になった? 渡邊さん 「仕事のことですね。仕事を続けられるのか。もし続けられなかった場合どうなるのかというのが、一番大きかったですね。朝起きたら自分がどこで働いているか、何の仕事をしているか、誰と働いているか、一切分からなくなっていました」 診断当時、不動産関係の仕事をしていて、職場でそのことを話したそうです。 渡邊さん 「『やっぱりね、おかしいと思った』と言われました。『これコピー取って』と言われて受け取った瞬間、『今紙渡されたけど、これ何ですか?』。事務員に仕事を頼もうと思ったら、『あれ?この人誰だっけ?』となったり」 恐れていたミスも起きました。渡邊さんは「土地の測量やって測量の数字を間違えたり、法務局に勝手に郵便物を送付しちゃったりとか。扱う金額がでかいから、仕事行くのが毎日怖かったですね」と打ち明けます。 結局仕事に行けなくなり、自ら会社を辞めることに。家にひきこもるようになったといいます。 ■支援機関につなぐコーディネーター それでもある人の支えのおかげで、3年前に今の会社への再就職を果たしました。「認知症コーディネーターさんが、『このままひきこもっちゃダメだ』と」。 若年性認知症支援コーディネーターとは、本人や家族からの相談を受け、必要な支援機関につなぐ調整役です。本人や家族がどこへ相談したらいいのか迷わなくて済むよう、都道府県などの相談窓口に設置されています。 同コーディネーターの松本由美子さんは、渡邊さんからの相談を受け、今後の生活や仕事をどうするのか一緒に考え、支援してきました。 渡邊さんは、松本さんの存在についてこう語ります。「寄り添ってもらったのが大きい。当時すごく言われたことで記憶に残っているのは、とりあえず外に出ようと」 診断にショックを受け、人や社会との接触を避けてしまう人も少なくないという若年性認知症。渡邊さんも家でゲームばかりしていましたが、若年性認知症の人の講演を聞いたことで、前向きに生きるきっかけを得られたといいます。 渡邊さん 「認知症の人ってどんどん忘れていくし、何もできなくなるって聞いていたけど、そんなことないじゃんと思いまして。それが大きかったですね」 本人や家族にとって重要な役割を果たすのが、若年性認知症支援コーディネーターです。 ■同僚の協力を得て新たな職場で勤務 新たな職場で働く渡邊さん。「安心して働き続けるために必要なことを学んでいただきたい」。取材した日は、新入社員向けのオンライン研修で講師として、健康管理の大切さなどを教えていました。 一緒に働く同僚は「研修終わったあとにアンケートを送るとか回収するとか、そういったところは私が担当していて、当日の講師登壇はすべて渡邊さんにお任せしている」と言います。 渡邊さんがやることを示したシートを作成します。ほかにも、声を掛けるようにしているそうです。 渡邊さん 「『渡邊さん、あと5分で始まりますのでお願いしますね』(と言ってもらえる)。そうだ、あと5分で始まるんだ、忘れてたみたいな。失敗を指摘するのではなく、気付かせるようにもっていってくれる」 同僚の協力を得ながら、自分に与えられた役割を果たしています。 ■人とのつながりを維持するための場所 ある日渡邊さんが、若年性認知症の仲間と共に立ち上げた「リンカフェ」を案内してくれました。参加者たちは卓球や麻雀を楽しんでいます。本人や家族が社会から孤立することを防ぎ、人とのつながりを維持するための場所の1つです。 3年前に診断された人(62) 「認知症になった時に、もう家を出ずにおとなしくやらなきゃいけないのかなと思っていたんですけど、自分のたちのやりたいことをやれる場所がある。今楽しいです」 1年前に診断された人(61) 「これからもっともっとやりたいことがあるし、自分にできることをやらないと、って思ったんですね。また自分は変わりました」 今から4年前、55歳の時に診断を受けた大熊朋子さん(59)は、「リンカフェ」に毎週欠かさず夫婦で参加しています。話を聞きました。 「あんまりよく言えないので…申し訳ないんですけど」と語り始めると、周囲から「大丈夫、大丈夫」の声が掛かりました。朋子さんは「みんな優しくて、本当にゆっくりしていられる」と話しました。 夫の茂一さん 「私自身も付き添いという形ではなく、みんなの話を聞いているのが楽しいんで。なんといっても妻が喜んでそういう時間を過ごせるのが一番ですね」 ■渡邊さんに聞く…不安と目標は? 独身で一人暮らしの渡邊さんには、こんな不安もあります。 渡邊さん 「同じ時期ぐらいに講演活動を始めた人とか、一緒にリンカフェを始めた人が(症状が)進行しちゃったのを間近で見たときは、ちょっと暗い気持ちになります」 「もし自分が同じようになったら誰も周りに見てくれる人がいないと感じるのは、その時が一番大きいかなと思います」 渡邊さんの今の目標は、社会保険労務士の資格を取ることだといいます。若年性認知症と診断されてから8年。今、私たちに知ってほしいことは何でしょうか。 渡邊さん 「本当に外に出てよかったなと思います。あのままひきこもっていたらどうなっていたんだろうな、というのは今も考えますし、行動することによってだんだんいい方の道になってきて」 「数ある病気のひとつと思って恥ずかしがらずに色んな所に相談する、色んな人の話を聞く、そういう姿勢が大事かなと思います」 (6月17日『news every.』より)