「自分は捨てられたと思うのは簡単。でも…」赤ちゃんポスト第1号・宮津航一さん(21)が「ゆりかごは《子どもの捨て場所》じゃない」と思う“理由”

 熊本の慈恵病院は2007年、親が育てられない子どもを匿名でも預かる〈こうのとりのゆりかご〉を始めた。さらに2021年には、病院にだけ身元を明かし極秘で出産する「内密出産」の受け入れを全国で初めて実施。その後も内密出産のニーズは増え続け、今年は都内の病院も赤ちゃんの匿名預け入れと内密出産を開始。6月までに実際に数件の出産があったことがわかっている。一方で、こうした取り組みには賛否が分かれる。 【写真】赤ちゃんポスト第1号・宮津航一さん(21)小2の時にわかった「本当の出自」  なぜ「赤ちゃんを育てられない」「誰にも知られず産まねば」という状況が生まれてしまうのか。〈ゆりかご〉開設初日に預けられた第1号として、当事者の立場から社会に問いを投げかける宮津航一さん(21歳)に話を聞いた。【全2回中の第1回。続きを読む】 一番古い記憶は「〈ゆりかご〉扉のこうのとりの絵」 ──宮津さんが熊本・慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」に預けられたのは3歳だそうですね。当時の記憶はありますか。 宮津:私は〈ゆりかご〉開設初日の2007年5月10日に預けられました。それ以前の記憶はありませんが〈ゆりかご〉の扉に描かれたこうのとりの絵だけは、今でもはっきりと覚えています。  あとで聞いた話では、病院は「預けられるのは赤ちゃんだろう」と想定していたところ、第1号の私が幼児だったのでとても驚いたそうです。私はアンパンマンの青いジャージを着て保育ベッドに座り、服と靴が置かれていました。他に出自がわかるものはありませんでした。 ──その後、里親の宮津さんご一家と暮らすことになるんですね。 宮津:はい。ただ、〈ゆりかご〉からすぐに両親の家に行ったわけではないんですよ。受け入れ先を探すために市の児童相談所(児相)で半年ほど暮らし、そこのプレイルームで初めて今の父と会ったのを覚えています。今思うと顔合わせだったんですが、私が遊んでいたら「こっちにおいで」と呼ばれ、父が私を膝の上に乗せてくれました。 ──宮津家での暮らしはどうでしたか。 宮津:両親には5人の息子がいたので、いきなり家族が増えました。私が引き取られたときはもう家を出て暮らす兄もいましたが、兄や里子たちとで「家族の絆づくりで旅行しよう」と、毎年いろんな場所へキャンプに出かけたんですね。それがすごく楽しい思い出です。旅行は今も続いているんですよ。 ──仲のいいご家族なんですね。 宮津:受け入れ当初から「家族」として迎え入れてもらって、本当に感謝しています。両親とは4年前に養子縁組をしたので、今は戸籍上も親子になりました。 4歳で「実の子ではない」と出自を知った ──とはいえ、航一さんは「自分は両親の実の子ではない、〈こうのとりのゆりかご〉に預けられた子だ」ということを、早い段階で知らされたそうですね。 宮津:養子や里子として育てている子に出自の事実を伝えることを《真実告知》といいますが、私は4歳頃から両親とその話をしていたと思います。  というのも、熊本では毎年5月10日に〈ゆりかご〉開設から何年というニュースが流れ、必ずその扉の絵が映るんです。それを見た私は「ここに行ったことがある」と母に言ったらしくて。そのとき「あなたはここから来たんだよ」と聞いたのが、最初だと思います。 ──それを知ったときはどんな思いでしたか。 宮津:私が〈ゆりかご〉に預けられたのは3歳なので、生後すぐの赤ちゃんとは違い、自分の環境の変化はわかっているんです。その後は児相に行き、里親の両親に引き取られたことも覚えているので「それはそうだよね」とすんなりと受け入れていました。  ただ、外に出ると「自分は他の子とは違うんだ」と意識することはありました。 ──どんなときにそう感じましたか。 宮津:小学校低学年の頃に「自分の生い立ちを調べよう」という授業があったんです。台紙に自分が生まれた頃の写真を貼ったり、名前の由来を書いたりして発表するようなものでした。  そうすると、ほとんどの子は赤ちゃん時代の写真を持っているわけです。ところが自分には当然、赤ちゃん時代の写真がありません。 兄の写真を「自分の赤ちゃん時代」として貼り付けた ──どうしたのでしょう? 宮津:当時は周囲に自分の生い立ちを伝えていませんでしたが、担任の先生は事情を知っていて「写真じゃなく、絵を描いてもいいよ」と言ってくれたんです。でも私は写真にしたかったので、両親に相談して、一番上の兄の赤ちゃん時代の写真を使わせてもらうことにしました。  あと、私の名付け親は当時の熊本市長なんですよ。〈ゆりかご〉に預けられたあとで熊本市に戸籍をつくるとき、名前は市長が決めてくれて、 誕生日は「推定」で11月3日、文化の日になったんです。 ──でも同級生はその事情を知らない。すると「市長が名付け親になった」とは書けないですね。 宮津:はい。名前の本当の由来はわからなかったので、「航一」の漢字に込められた意味を父と考え、それを書きました。そして推定の誕生日と、生まれた頃の様子として「体重が2800g、声が大きかった」などと書いたんですが、これも両親と「たぶんこんな感じだったんじゃないか」と想像したものです。 ──そういう項目を想像で補ったり、お兄さんの写真を借りたりすることに、引け目のようなものはありましたか? 宮津:それはないです。その場しのぎかもしれないけど、提出物をちゃんと作れてよかったなと思いました。もちろん「周りの同級生が当たり前に持っているものが、自分にはない」というもどかしさはありました。でも、それをずっと抱え込んでいたわけじゃないんですよ。6〜7歳の頃に日々「自分の生い立ちとは?」などは考えなかったし。  それに小2のとき、私の本当の出自がわかったんです。 「この人がお母さんなんだ!」死因と同時に初めて知った「母の顔」 ──どういうきっかけで? 宮津:児相の方が頑張って調べてくれて、私を〈ゆりかご〉に預けたのが母方の親戚だとわかったんです。実父のことはわからなかったのですが、私が東日本で生まれたことや、生後5か月で実母が交通事故死したこと、実母の墓の場所、自分の本籍や本当の誕生日、血液型などを初めて知りました。  その後、宮津の父と墓参りに行ったり、児相を通して実母の写真をもらったりできました。私の場合、生後から3歳までの「記憶」と「記録」がまったくなかったので、自分の中ではとても大きい出来事でした。 ──見えなかった過去が、少しずつ形を持ち始めたような感覚でしょうか。 宮津:そうですね。特に、写真が手に入ったことがものすごく大きかったです。それまでは「僕を産んだお母さんはどんな人だろう」と思っても、手掛かりがないのでボンヤリとしか描けなくて。でも、顔がわかったので「これがお母さんなんだ」と鮮明に浮かべられるようになりました。  あとは、出自を単に言葉で聞くだけではなく、父と一緒にお墓参りをしたり、地域を歩いたりして「お母さんもここにいたんだ」と感じられたことも、心が満たされた理由かなと思います。 ──それはよかったですね。 宮津:「やっとわかった!」という、欠けていたパズルのピースが埋まるような喜びがありました。  それに、私があとで真実を知りショックを受けるよりは、小さい頃から「〈ゆりかご〉から来た」「血のつながりは無い」という過去を確認しながらも、ちゃんとプラスにとらえられるように両親が導いてくれたのも大きいと思います。 〈ゆりかご〉出身者は育ての親が真実を伏せていても、親族や近所の人、あるいは戸籍謄本を取り寄せたときなど、出自を知るきっかけはたくさんあるので、それはありがたかったですね。  そして、そういう環境で育ったので、私自身も子どもの頃から折にふれ〈ゆりかご〉について考えてきましたし。 ──それは「なぜ自分が〈ゆりかご〉に預けられたのか」を問うことになりますね。 宮津:〈ゆりかご〉は開設から18年経ちますが、いまだに「育児放棄を助長する」など非難の言葉があります。私自身も「そこに預けられた自分は、捨てられたのだ」と思うのは簡単です。  でも、私は当事者として「ゆりかごは子どもを捨てる場所ではない」と強く感じます。実母が亡くなり、私は親戚の手で〈ゆりかご〉に預けられましたが、それは命を守ろうとする手段だったのではないか、と。 ──その選択の背景に、どんな思いがあったかを考えると……。 〈ゆりかご〉は捨て場所ではない「命を大切に思うからこそ、わざわざ熊本まで…」 宮津:〈ゆりかご〉は私が預け入れ第1号で、今年の5月までに計193人預けられています。私が預けられた当時、ほとんどが熊本県外から来た子で、割合として一番多いのは熊本以外の九州、次が関東圏でした。ですから、私を預けた親戚もそうですが「わざわざ熊本まで行って、子どもを預ける」ケースが多いんです。 ──そうなんですね。 宮津:自分がどうしても育てることができないときに、私の親戚は様々な選択肢がある中から、東日本からあえて熊本まで行き〈ゆりかご〉に託してくれた。他の多くの子もそうです。  それぞれの子が預けられた理由は、わからないこともあります。でも、子どもを連れた誰かが、わざわざ熊本まで行き〈ゆりかご〉の扉を開け、その子を預けた。私の場合も、親戚がおそらく私の命を大切に思って〈ゆりかご〉に預け入れた。だからこそ私は命が救われ、今の両親の元で育つことができたと思うんですよ。 ──捨てるのではなく、生かそうとする選択だった? 宮津:そうです。〈ゆりかご〉に預け入れる行為は、子どもを連れてきた人の最後の愛の働きというか。「その子のためにできる精一杯のことをやろう」という気持ちの表れではないか。私はそう解釈しています。 (第2回につづく) 【プロフィール】宮津航一(みやつ・こういち)/2003年生まれ。 2007年5月10日に慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」に開設初日に預けられ、その後里親の宮津美光・みどり夫妻に引き取られる。現在は「ふるさと元気子ども食堂」の代表や「一般社団法人子ども大学くまもと」理事長なども務めている。

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