「1週間に1本ペースで年間約50本、それを30年続けて、約1500本。楽しくなければ、こんなハードな仕事とっくにやめてますよ。肩は凝るし、目も悪くなるし(笑)」。そう語るのは、日本における字幕翻訳の第一人者、戸田奈津子さん。新たに字幕を手掛けた「メガロポリス」は、現代アメリカを滅亡した古代ローマに見立てて描いた、フランシス・フォード・コッポラ監督の超大作だ。長年の信頼関係にある戸田さんが見た巨匠の姿と、その作品が時代に、映画界に問うものとは?【渥美志保/映画ジャーナリスト】 *** 【写真】A・サンドラー、L・フィッシュバーン、S・ラブーフ、J・ヴォイト、D・ホフマン…クセありすぎ俳優も勢揃いの「メガロポリス」 ジャングルのど真ん中で刺身と天ぷら ——コッポラ監督との最初の出会いは「地獄の黙示録」(1979年)ですよね。 2025年4月に旭日小綬章の受章でも話題となった戸田奈津子さん 字幕翻訳者として転機となった、一番愛着のある作品です。ロケ地のフィリピンではとんでもない経験がたくさんできたし、フランシスとの関係もそこから始まっていますね。「いい友達」というと失礼かもしれませんが、亡くなった奥さまやご家族とも親しくさせていただいて、私がアメリカに行けば泊めて下さったりも。 フランシスは近づきがたい大人物ですが、頼みごとのメールはしょっちゅう来ます。でもあまりに多くのことを考えているせいか、「思いついた!」という瞬間に連絡してきては、すぐ忘れちゃう。だから「あの話どうなった?」っていうのはいっぱいありますね(笑)。 ——撮影当時の「とんでもない経験」というのは? フィリピンでの撮影中はジャングルのど真ん中にある立派なお屋敷に滞在していらしたんですが、「今日は日本食をご馳走する」と言い出したんです。若いスタッフに「魚買ってこい!」とヘリでマニラまで買い物にいかせて、日本で買った自分の包丁で捌いて、刺身と天ぷらを作ってくれました。 フィリピンに行く時には必ず東京に寄っていて、四谷あたりの割烹旅館の一室で何週間か滞在していたこともありました。6畳くらいの部屋で「うちの玄関より狭い」とか言いながら(笑)、私たち知り合いを呼んでスパゲッティやらなにやらいろいろ作ってくれました。お料理上手なお母さんに時々電話して「どうやるの?」なんて聞いたりして。コッポラ監督の手料理を何度も食べたことある人なんて、日本人では私たちの他にはいないんじゃないですか。 コッポラ監督が日本好きの理由 ——コッポラ監督は日本がお好きなんですか? 大好きですよ。お正月に京都の旅館に滞在して、おせちを食べたり初詣したりしていたことも。日本は彼には異質文化の国だから、それを知りたいという好奇心があったんだと思いますね。 彼が日本に来る時は、私が案内係みたいなことをしていたんですが、とにかく何でも自分の目で見たいという人。例えば、その当時の最新技術、NHKが細々と開発していた「ハイビジョン」を見るために、成城にあったちっぽけな研究所には何度も通いました……50年前ですよ? 私なんてハイビジョンの「ハ」の字も知らない(笑)。 一方で研究者たちは「ゴッドファーザー」もコッポラも知らない、この人誰? という感じでしたが、彼の質問があまりにプロフェッショナルでしょ。大阪弁の研究者が一人いたんだけど、「この人、よう知ってはりますなあ」なんてびっくりしちゃって。そのうちに彼の正体を知り「サインください」なんて言い始めたんだけど、なんと彼らはNHKの上の人には巨匠の訪問を全然報告してなかったんです。後ですごく怒られたらしいです(笑)。 いろいろ調べるのは大変でしたけど、いろんな世界があることを知ったのは面白かったですね 「メガロポリス」は「見たことがない映画」 ——映画「メガロポリス」の感想を聞かせてください。 もう半世紀も昔ですが、「地獄の黙示録」の撮影現場で、将来に撮るつもりの作品として「メガロポリス」の話をしていらしたんです。内容は概念的な段階でしたが、タイトルはすでにおっしゃっていたので、完成したのは本当によかった。 「メガロポリス」にはいろいろな要素が盛り込まれていますが、つまりは彼の身の回りのことや、常日頃考えている妄想的、幻想的なものを吐露した作品なんです。天才の頭の中なんて計り知れないから「理解できない」という人も多いでしょうが、「今まで見たことがない映画」という点はみんな同じ。これだけ多くの映画が作られてきた中で「見たことがない映画」を作るなんて、やっぱりすごい人だと思います。 ——戸田さんにとって最も印象的だったのはどの部分でしょうか? 去年、この作品がカンヌ国際映画祭で初上映された後に、フランシスがプライベートで来日したんですね。カンヌでは賛否両論が噴出したと聞いていたのに、彼は全然気にしてないんですよ。「『地獄の黙示録』を見ろ。公開当時は“理解できない”と酷評されたが、今では名作として歴史に残っている。この作品も絶対にそうなる」って。 そして「人々が理解できないような未知のものを作ることが、私が自由であることの証だ」と。カッコいいこと言うな、さすがフランシス! と思ったんですが、字幕を作っている最中に気づいたのは、同じような言葉——「未知の世界に飛び込む、それが自由の証だ」が、映画の中でも何度か繰り返されているんですね。彼は映画の中のセリフをそのまま言っていた、そのことに非常に感銘を受けました。 コッポラ監督は特別な、天才的アーティスト ——様々な監督を見てきた戸田さんが思う、コッポラ監督の特別なところとは? 一般的な「映画のルール」にのっとっていないところ。例えばビリー・ワイルダーのような監督は、「人を楽しませる」という目的で、台本からセオリー通りに、非の打ち所のない娯楽映画を作る。職人技です。でもフランシスは、娯楽はあまり意識してないけど、自分の言いたいことを言う。本当に特別な、天才的アーティストだと思います。 ——「メガロポリス」では、今のアメリカの姿をそのまま描いているようにも思えました。 トランプ政権の現状を描き、狂信者が「Make Roma Great Again」と書いたプラカードを掲げる場面もあります。コッポラ監督だけでなく、私自身も「人間は古代から全然変わらない、何も学ばない」ということは思いますね。これだけ戦争を繰り返しても、まだ戦争をやろうとしているわけですから。 既成概念にとらわれず、未来を探索していくべき ——配信の躍進と映画離れが進む今の時代について、映画は生き残っていけると思いますか? はっきり言って、昔のパワーはないですよね。そこにはCGなどのデジタル技術の登場が関係していると思います。フィルムメーカーたちが「新しく手にしたおもちゃ」で遊びすぎ、そればかりが先行してしまったからじゃないかと。 ここ数年はオスカーも「本当にこれが作品賞?」と思わせるものばかりでがっかりしていました。今年のオスカーは少し揺り戻した気がしますが、やっぱりかつてのような内容重視の映画に戻していく、そうすれば観客も戻ると思うんですけどね。劇場で他の観客と一緒に見るという環境は変わっていくかもしれませんが。 ——そういう時代に、コッポラ監督がこういう作品を作ったことの意味は? この作品について、コッポラ監督は「IMAX」でないと——つまり通常とは違う大画面と音響でないと上映させないと言っています。そういうこだわりがあるから劇場上映が成立するし、今はそれが可能だからやっているわけです。でももしそれができなくなれば彼はまた別の面白い方法を考えて、映画を成立させると思いますね。 映画は誕生からたった100年の間にどんどん形を変えてきたわけだし、今の形にこだわる人はそれが限界だと思っているのかもしれません。コッポラ監督のように既成概念にとらわれず、未来を探索していくことが必要ですよね。 〈フランシス・フォード・コッポラ監督最新作「メガロポリス」2025年6月20日(金)全国公開 配給:ハーク〉 渥美志保(あつみ・しほ) TVドラマ脚本家を経てライターへ。女性誌、男性誌、週刊誌、カルチャー誌など一般誌、企業広報誌などで、映画を中心にカルチャー全般のインタビュー、ライティングを手がける。yahoo! オーサー、mimolle、ELLEデジタル、Gingerなど連載多数。釜山映画祭を20年にわたり現地取材するなど韓国映画、韓国ドラマなどについての寄稿、インタビュー取材なども多数。著書『大人もハマる韓国ドラマ 推しの50本』が発売中。 デイリー新潮編集部