「離島に1人で暮らしている男がいる」と聞いて会いにいくと、男の口から思いもかけない話が飛び出した。駐ペルー日本大使公邸占拠事件。1996年、ペルーで14人のゲリラが日本人大使ほか数百人を人質にとり、数か月後に特殊部隊が突入、銃撃戦の末に終結した事件だ。彼は、そこで人質に取られた日本人の一人だった。 彼はJICAに就職し、世界中を飛び回るなかで危険な目に遭うこともあったという。 前編記事『【住民たったひとりの島に潜入】「ロビンソン・クルーソーに憧れて…」離島で13年間孤独に暮らす男の「意外すぎる経歴」』より続く。 山賊に襲われる 「ナイジェリアでは山賊に襲われました。私達が乗っていた車はトヨタのランドクルーザーです。当然目をつけられますよね。 高速道路の料金支払い所を通過したとたん、太い釘が刺さった角材で車を停車させられて、カネを要求されたのです。相手が拳銃を所持してなかったので、『このカネは渡せない。この国の未来のために必要なのだ』と粘り強く交渉して解放されました。 ペルーでは、テロリストによる日本大使公邸占拠事件に巻き込まれ、5日間監禁されたこともあります。 当時の私は、現地でフジモリ政権の大統領府国際協力局に勤務していました。各省や地方自治体から日本向けの協力要請案件を吟味し、JICAの協力方式になじむように助言や調整をしていたのです。 大統領の母堂とは、女房と子供たちが通う教会が一緒だったこともあり、仲良くさせてもらいました。彼女の自宅の庭で栽培していたマンゴーの接ぎ木を依頼されて、やってみたら成功したので、とても喜ばれました。フジモリ氏には、大統領に立候補して全国を遊説していた時に被っていたトレードマークのカウボーイハットをいただきました。今では我が家の家宝になっています。 ゲリラが乱入してきた「あの日」 1996年12月17日、天皇陛下の誕生日を祝う式典が首都のリマにある日本大使公邸で開催されました。我々夫婦は他のJICA関係者と共に呼ばれ参列していました。 当時のペルーは、複数のゲリラが横行していた時代でした。'91年にはJICA派遣専門家3名が殺害されるなど、治安状況は良くありませんでした。突入してきたテロリスト達(MRTA)は、刑務所に囚われている自らの仲間の解放を目的に、フジモリ大統領を拉致するつもりだったのです。『大統領を捕まえれば、条件闘争ができる』と見込んだのでしょう。ところが、当日大統領はその場に来ませんでした。 晩餐会は立食のパーティーでした。大使公邸の広い部屋での歓談中に突然、黒ずくめの男達が銃弾を乱射しながら乱入してきたのです。男達はマスク姿で、ライフル銃を手に大統領を探しましたが、見つけることができませんでした。 青木大使がマイクを使って『侵入者に抵抗せず、静かにしましょう』と皆を落ち着かせました。混乱の極みだった参列者たちもその言葉で落ち着き、ボディーチェックの後に公邸の各部屋に男女別で集められました。その後、高齢者や女性達は解放されました。その中には大統領の母親もいましたが、テロリスト達は気がつきませんでした。大使夫人もすぐにジーンズに着替えて無事に解放されました。 テロリストたちの驚き 私が押し込まれた部屋はそれこそ鮨詰め状態で、手足を伸ばすこともできません。銃口が常に向けられ、命の保証がない状態ですから、まともに寝ることもできませんでした。数年前のJICA派遣専門家の殺害事件のことも思い出しましたし、解放される目処もなく、もうこれで妻や子供達と会えなくなるかもしれないという諦めに似た心境になりました。 日本人は流石に騒ぎ立てることもなく我慢強く辛抱していました。ポータブルのトイレが持ち込まれ、それを共用することになりました。 食事は地元で一番の日本食レストランから毎日3食が運ばれてきました。その内容がまた素晴らしくて、テロリスト達が『俺たちは蛇や蛙を食べているのに、お前達はこんな良いもの食べているのか』と驚いていたと言われています。彼らも毎日その食事を食べ、防弾チョッキのチャックが閉まらないほど太ってしまい、それ以上の肥満防止策として、彼らは毎日定時に公邸1階内でサッカーをしていたそうです。 監禁されて3日後ぐらいでしたか、顔見知りのJICAローカルスタッフが私のところに来て、「国際協力は今後もペルーにとって必要だとMRTAのトップが言っていたよ」と伝えてきました。ならば、部分的開放が近いなと思っていたら、5日目に外交官やJICAも含めて、国際協力関係機関の職員らが一斉に解放されたのです。 解放された際には、私が先頭にJICA関係者1列に並んで公邸を出ました。JICA東京本部安全対策室で連日24時間TVウォッチしている連中を安心させたかったからです。疲れてはいましたが、中の様子を詳しくレポートする必要があり、1日かけて作成しました。大変な体験でしたが、どんな状況でも希望を見失うことなく前向きであることの大切さを学びましたね」 【つづきを読む】『【76歳、離島でひとりぼっち】あなたなら生きていけますか?誰もいない島で孤独に島おこしをする男が語った「人生の極意」』 【76歳、離島でひとりぼっち】あなたなら生きていけますか?誰もいない島で孤独に島おこしをする男が語った「人生の極意」