家族紹介。 うちは、 母、80歳、認知症。 姉、47歳、ダウン症。 父、81歳、酔っ払い。 ついでに私は元SM女王様キャラの一発屋の女芸人。45歳。独身、行き遅れ。 全員ポンコツである。 こんなパワーワード連発の冒頭で始まったにしおかすみこさんの連載「ポンコツ一家」。現在連載から『ポンコツ一家』『ポンコツ一家2年目』という書籍が刊行されており、「壮絶なのに笑って泣ける」「他人事とは思えない」「すみちゃん頑張って!」と多くの声が寄せられている。 壮絶な中でも笑って生きる。辛い気持ちを抱えながらも笑顔になれる。それにはどうしたらいいのだろう。そんな生き方のヒントになるのが、森田富美子さんと京子さんの共著『わたくし96歳#戦争反対』だ。 本書は戦争の愚かさ、残酷さをはっきり伝える戦争・被爆体験記でありながら、辛い思い出を抱えながらも生き生きと生きることを諦めない96歳のチャーミングでパワフルな生き方を伝えている。 本書を読み、富美子さんと京子さんにインタビューしたにしおかさんも、そのパワフルさに驚いたという。 富美子さんは16歳のときに長崎で被爆し、両親と3人の弟を失った。22歳で結婚して4人の子を育てながら、戦争や原爆の話をしたことは一切なかった。 肺がんや脳梗塞を患いながら、70歳で初めてPCを触りながらその日のうちにメールを打ち、78歳のときにずっと暮らした長崎を離れて東京で一人暮らしをしていた京子さんのところに家出、第二の人生をはじめた。Twitter(現在のX)アカウントを90歳で解説し、被爆体験を投稿し始めたのは91歳。96歳で初の著書を出すにあたり、「もっと見えるようになりたい」と95歳で白内障の手術を受け、補聴器を新調した。 にしおかさんが二人について綴る前編では、本書を読み、84歳になる認知症の母が語ってきた戦争の体験が蘇ったことを伝えた。にしおかさんは二人に聞きたかったのは、母娘の仲の良さの秘訣だ。富美子さんが家出をしてから18年、そのまま二人で暮らすその仲の良さはどこから来るのか。 仲の良さの秘訣とは いざ、鼎談。テーブルを挟みおふたりと向かい合う。白髪ショートの富美子さんと、ニット帽の京子さんが肩を寄せ合うように座ってらっしゃる。どちらも服のデザインこそ違えどモノトーン。そしてどちらも丸みのあるメガネをかけ、控えめで柔らかな印象だ。……今のところ、エネルギッシュではない。 私は「初めまして」の挨拶もそこそこに、まずはもう、仲の良さの秘訣から、直球で聞いた。 すると京子さんが、「私はスキンシップが凄いんですよ。こうやって」と右手を、富美子さんの肩に回し、包むよう抱く。そして「今朝もこうやって。行きましょうって。私、何かとハグします。夜寝るときは今日も一日良かったね。素敵です。お礼です。って必ず毎日やるんですよ。それを最初、ハハは『うるせえ』とか、『ひとりでのびのびしてたのに』とか、『あっち行け』って」。 ほぉ。へぇ。ハグ。 ちなみに母をハハとしているのは、日常、京子さんや周囲の近しい方々がニックネーム的感覚で呼んでいるらしい。本では片仮名表記だ。 「私、母にしたことないです。できたらいいなとは思いますけど、何だか恥ずかしいです」と言ったら、 富美子さんが「やってあげてください」と、ポツリと入ってこられる。 え?京子さんではなく、あっち行けと言っていた方が仰るのですか? 更にこう続ける。「この人が小さいときは喘息やアトピーがあって、夜中、掻いたりしないように抱いて。それが日常で、この人はそれが恥ずかしいと感じないんだろうと思います。それで今は毎日こうやって私を抱き寄せたりして。ちょっとうるさいときもありますけど、悪い気持ちはまずないです」。 そうなのか。秘訣はハグか。ウチの母と? いつ? どのタイミングで? 想像できない。やれる気がしない。 それにしても、おふたりとも口調が優しく穏やかだ。牧草地帯みたいな空気を出す方々だなあ。何となく、特に富美子さんはスーパーおばあちゃんみたいなイメージだったので、意外だ。 喧嘩しないんですか? 私はどちらにともなく「喧嘩しないんですか?」と聞いてみる。富美子さんが78歳で長崎から家出してきて、都内で京子さんと暮らし18年だ。 「しないです」と、富美子さんが答える。一度も?ビビる。 家出したほうが、お顔を少しキリリとさせ答えるので、人生の大先輩ではあるが、何だか可愛い。 京子さんが「ちょっとお互い腹立つくらいはあっても、もうそれはそれ。黙って、次にはもう普通に話してます。あ、でも一回あります。私が高校生のときに、やってもいないことを責められて、バンっと叩かれたので、バンっと叩き返しました」。そう言いながら、振り被る手のジェスチャーが、けっこうなバンっ!だ。 富美子さんは覚えていないそうで、そんなことありましたっけ?の顔だ。笑ってしまう。少し反れたが、大人になってからの親子でのふたり暮らし、どちらも互いの犠牲になっていない。 「結婚したばかりの頃は落ち込むことがありました」 そればかりか、富美子さんのXの投稿を見ると、毎日が生き生きとしている。戦争と核兵器反対、政治やスポーツニュースに対して言いたいことを呟く。ふたりで4人前のお肉を食べたという写真や、ワインを小さなグラスではあるがなみなみと注いだ写真も上がる。96歳ですよね? 「何でそんなポジティブに、そしてアクティブに生きられるんですか?」と聞いてみる。 すると富美子さんが「昔、結婚したばかりの頃は落ち込むことがありましたね。まだ22歳でしたから。もういろいろと考えることがあったりして。ですから、トイレとかお風呂に入ったときに涙が出る、どうしようもないときはありましたよ」。 ポツリ、ポツリとそのときの様子を語ってくださる。 「96年分の明日」を見てきた人の言葉の重さ 「姑さんから今日1日分として1000円貰うんですね。そこから、あれに使って、これに使ってって。それから朝昼晩の食事の支度して。義理の両親と主人の弟、妹、店の従業員が5人、そして私たち夫婦の大所帯でした」 当時の大卒国家公務員の初任給が5千円程度。1000円はけっこう大きなお金だ。それを22歳が担い、切り盛りするのだ。さぞかしプレッシャーだったのではないか。 ……私だって、と思う。次元はまるで違うが、自分なりにどうしようもないときがある。「そんなときはどうしたんですか?」 「夜も遅くまで起きてたりしたこともあったけど、あんまり考えないようにって。もう明日は明日の風が吹くくらいでね。パッと忘れるようにして」 何だ。やっぱり楽な解決法なんてないか。……いや、でも、96年分の明日を見てきた方が仰る言葉には重みがある。 「家に帰ったらお母さんとハグしましょう」 私は実家に戻り母と過ごしてきた、この5年を今のところ後悔していない。ただ、良かったとも悪かったとも思っていない。この先どうするのかも決めていない。わからないのだ。あまり考えないように、明日の風を感じようと思ったら、その先の不安な風に襲われる。私はどう生きると幸せですか?母はどうなると幸せな人生だったと思えるんでしょう? 「今は何をしているときが一番楽しいですか?」と聞いてみた。 「(京子さんと)一緒にいるときが、やっぱり一番」 そうなんだなあ。……羨ましい。素敵だ。 すかさず京子さんが「じゃあ、まずは今日、家に帰ったらお母さんとハグしましょう。一回やってしまえばいけます。簡単です。こうやるんです」と、再び富美子さんを抱き寄せる。 富美子さんが「よかったら、お母さんを応援してください」。 ……そんなことを仰るのですか。そんな発想なかったです。互いが自分ファーストでってことですよね。……意識します。 おふたりとお話させていただいたことで、母との過ごし方を考えた。今の自分自身と対話できた。私の不安な魂を牧草の風で包んでもらえた。感謝だ。 ちなみに、帰宅して、ハグできなかった。やっぱりどうにも恥ずかしい。 そんな私に母が、「お疲れのとこ悪いですけど、ママのお尻をお願いします」と塗り薬を恥ずかしそうな顔で差し出してきた。あ、覚えてたの。 「やろう、やろう」と返す。 ふと思う。私はこれができて、何故、ハグができないのだろう。ちっ。 【前編】にしおかすみこ「わたくし96歳」母娘に会って蘇る、84歳認知症の母が語った戦争の記憶