「ちょんまげ」をみて、アメリカ人が思ったこと 日本とは、どんな国なのか。社会が混乱するなか、こうした問題について考える機会が増えた人も多いかもしれません。 日本という国のあり方を、歴史的に考えるうえで重要な視点を授けてくれるのが、『日本その日その日』(講談社学術文庫)という書籍です。 著者は、エドワード・S・モース。1838年にアメリカのメイン州に生まれた動物学者です。 1877年6月、39歳のモースは、日本近海に生息する「腕足類」の標本を採集するため、日本にやってきました。日本には2年間滞在するのですが、そのあいだに大森貝塚を発見したことでよく知られています。 本書は、モースが日本で見聞きしたことをつぶさにつづった一冊です。当時の日本のありようが、一人の研究者の目をとおして、あざやかに浮かび上がってきます。 たとえばモースは、日本人の髪型について記しています。モースは、日本特有の「ちょんまげ」を見て、どう思っていたのでしょうか。同書より引用します(読みやすさのため、改行などを編集しています)。 *** 〈私は丁髷(ちょんまげ)の珍しい研究と、男の子、並びに男の大人の髪を結ぶ、各種の方法の写生図とが出ている本を見た。 これには百年も前の古い形や、現在の形が出ている。これ等の様式のある物は、よく見受けるが、およそ我々が行いつつある頭の刈りよう程、素速く日本人に採用された外国風のものはない。それが如何にも常識的であることが、直ちにこの国民の心を捕えたのである。 外国風の髪型をした日本人の末路 頭を二日か三日ごとに剃り、その剃った場所へ丁髷を蠟でかため、しっかりと造り上げることが、如何に面倒であるかは、誰しも考えるであろう。夜でも昼でも、それを定位置に置くというのは確かに重荷であったに違いない。 漁夫、農夫、並びにその階級の人々、及び老齢の学者や好古者やその他僅かは、依然として丁髷を墨守している。大学の学生は全部西洋風の髪をしている。彼等の大部分は、頭髪を寝かせたり、何等かの方法でわけたりすることに困難を感じ、中には短く切った頭髪を、四方八方へ放射させたのもある。子供の頃から頭のてっぺんを剃って来たことが、疑もなく、髪を適当に寝かせることを、困難にするのであろう。 しばらくの間、私と一緒に住んでいた一人の学生は、歩くのに足を引くので、リューマチスにかかっているのかと聞いて見た。すると彼は、これはある時争闘をして受けた刀傷が原因していると答えた。私は好奇心が動いたので、ついに思いきって、どこかの戦争で、そんな傷をしたのかとたずねた。彼は微笑を浮かべて、次のようなことを語った。 初めて外国人を見、整髪法が如何にも簡単であるのに気がつき、そしてこのような髪をしていることが、如何に時間の経済であるかを考えた彼は、ある日丁髷を剃り落して級友の前へ現れ、学校中を吃驚させた。一人の学生が特にしつっこく、彼が外国人の真似をしたとて非難した。 その結果、お互いに刀を抜き、私の友人は片足に切りつけられたのである。だがその後半年も経たぬ内に、彼を咎めた学生も、外国風の整髪法が唯一の合理的方法であることを理解するに至り、丁髷を落して登校した!〉 *** さらに【つづき】〈明治時代、日本に来たアメリカ人が驚いた「サムライの習慣」…「夫婦は並んで歩かない」「若い女性を一人も知らない」〉では、道ゆく日本人の「男性と女性の関係」について、モースが気がついた「あること」について詳しく書かれています。 【つづきを読む】明治時代、日本に来たアメリカ人が驚いた「サムライの習慣」…「夫婦は並んで歩かない」「若い女性を一人も知らない」