ドラマ『続・続・最後から二番目の恋』(フジテレビ系/毎週月曜21時)で魅せるさすがの存在感が好評の中井貴一が、この夏挑むのが舞台『先生の背中〜ある映画監督の幻影的回想録〜』。自身の名付け親でもある世界的名匠・小津安二郎監督をモデルとした役で主演を務める中井に、中井家に伝わる小津イズムや、本作を通して思う昭和観などを聞いた。 【写真】いつまでも変わらない! 中井貴一、インタビュー撮りおろしショット ◆中井家に伝わる小津イズムは「粋である」ということ 映画監督・行定勲が、中井貴一に「ぜひ、小津安二郎監督の、昭和の映画界の話を演劇作品にしたい」と熱烈オファーを出したところから始まった本企画は、名匠・小津安二郎監督や小津監督作品へオマージュをささげるフィクション作品。小津監督とは家族のような親交があった中井家に伝わるエピソードや思い出を織り交ぜ、当時の古き良き映画界への思いを重ね、そこに流れていた豊かな時間を“小津調”で、演劇作品として舞台上に紡ぎ出す。 中井が小津監督をモデルとした映画監督・小田を演じる。小田を取り巻く5人の女には、中井の母がモデルとなる幸子役を芳根京子が演じるほか、柚希礼音、土居志央梨、藤谷理子、キムラ緑子と実力派キャストが顔をそろえる注目作だ。 ——本作は、中井さんと行定監督らとの会話の中から生まれた企画だと伺いました。オファーを聞かれた時のお気持ちはいかがでしたか? 中井:小津先生の存在は大きすぎたので、最初はお断りしました。「僕はやれないです」と。行定さんには「小津安二郎という人の映画は残っていくけど、人物像みたいなものを含めて残していきたい」という強いお気持ちがあって。「家に残っている小津語録や小津イズムみたいなものは、分かる範囲でお話しますので、どなたかでおやりになってください」と申し上げたんですよ。でも話をしているうちに、結果やらせていただくことになりまして…まだ戸惑っています(笑)。 ——実際にお稽古に入られて、役作りで気にかけている点はありますか? 中井:フィクションなので、そこは割り切ってやっています。が、ところどころフィクションとノンフィクションの要素も混じっているので、演じていて混乱するところもありますね。 僕は父を早くに亡くしたので父のことをよく知らないのですが、周りから「お父様って素敵ねー」と俳優・佐田啓二のイメージで話をされることが多かったんです。なので、あまり実感がなかったのですが、19歳で映画界に入り、初めて松竹の撮影所に行った時に、当時はまだ父や小津先生の世代のスタッフさんでご存命の方が多くて、楽屋を訪ねてきてくださったんですね。 そのとき「お父さんと飲みに行ってさ」とか、「お父さんがサングラス、マスク、マフラーして出かけようとしてたのよ。『佐田さん、そのほうが目立ちますよ』って言ったんだけど、あれはコレ(小指を上げる)だね」とか、そういう話を聞きまして(笑)。そのとき僕は、父の肌感みたいなものがスタッフさんの話を通して伝わってきたところがあって、すごくうれしかったんですね。 なので今回、小津先生の映画の話だけではない女の人の話など、「ちょっとこれを知れたらうれしいだろうな」という、神格化されていない、人間・小津安二郎みたいなのものをお伝えできたらいいなと思っています。僕が死んで上に行って小津先生に会ったら、きっとものすごく怒られる(笑)。でも、失礼のないよう、下品じゃないようにやらせていただきたいと思っています。 ——中井家に伝わる小津イズムも、作品に織り込まれていると伺いました。 中井:個々にはいろんなものがあるんですけど、相対的に言うと「粋である」ということです。今の時代って、資本主義社会だから当然ですが利益追求になっていって、人間の内面よりも数字で表されるものや視覚で理解できるものが優先される。でも小津先生は、目には見えないもの、人との縁だったりつながりだったり心の持ちようだったりをとても大切にされていた。 ある日、小津先生がうちの母に「うなぎを食べに行こう」と言ったそうなんです。当時は電車も便利じゃないし、先生は御酒を嗜まれるので車では行けず、タクシーを拾って行こうとなった。何千円もかかるところなので、母が「それって贅沢ですよ。うちの近所にもうなぎ屋さんはありますので取りますから」と言ったら、先生は「分かってないね」と。「贅沢はするものなんだよ。心を豊かにすることを贅沢って言うんだ。近所であまり美味しくないなと思ってうなぎを食べてごらん。それは無駄遣いって言うんだ。心を豊かにするものにお金を払うってことは、素晴らしい事なんだ。贅沢ってことを悪い言葉に使っちゃいけない。そういうことをしながら人間を豊かにしていきなさい」と。 「わざわざ行くっていう行為によって、人間はそれだけの労力を使ったことで、得ようとするものが倍にも三倍にもなる。一口食べたうなぎを『うわー!おいしい』って思うだろう。そういう気持ちが大事なんだよ」って。でも、おふくろが僕たちに贅沢をさせてくれたかっていうとそうではなかったんですが(笑)。そういうことはうちの教育の中にすごく織り込まれていたなと思います。 ◆役者として最終的に目指すのは「小津調」の芝居 ——中井さんにとって、小津作品とはどんな存在ですか? 中井:先日プログラム用に演出の行定さん、脚本の鈴木聡さんと鼎談した時に、おふたりが「昔は小津作品って分かんなかったですけど、年をとってきてやっぱりいいなと思ってきた」とおっしゃっていたんです。僕、生まれて最初に観たのが小津映画なんですね。幼稚園の頃からずっと見続けていたのが小津先生の映画と、動いている父の姿を求めて観に行っていた昭和の映画。だから、小津安二郎の映画が「映画」だと思っていたんです。なので、すごく贅沢な言い方なんですが、知らぬ間に小津映画が僕の基準になってしまっていたんです。皆さんが年をとって分かるようになってきたっていうものが、僕の場合はちょっと違っていたんです。 もちろん小津安二郎の作品がすべてだとは思っていないし、映画が好きだからいろいろ観ますけど、僕が最終的に目指しているのは小津先生に演出をつけてもらうことなんです。今回の作品では“小津調”で芝居をするので、小津先生を知らないお客様は「なんであんな棒読みなんだろう?」って思われる方もいらっしゃるかもしれない。でも僕は最終的に全部棒読みにしたいと思って俳優を続けてきているんですね。未熟で何もできない棒読みと、いろいろなことができるようになったうえでの棒読みはやっぱり違うと思うんです。今自分がやっていることは、とにかくいろんなことができるように勉強する。最終的に65歳を過ぎたくらいにまだ役者をしていれば、それまで学んできたことすべてを捨てるという作業に到達したいというのが目標ではありますね。あと2年くらいですけど(笑)。 ——今回の作品には、どんな思いを込めたいと思われていますか? 中井:この作品の中で皆さんに役立つ何かがお伝えできるかは自分では分からないですけど、僕は「余裕」というものを大切に考えています。エンターテイメントの世界だけではなく、今の社会全体で余裕があまりなくなってしまっている。効率優先ということになってくれば、当然人間もギスギスすることが分かっていて、そのことが分かっているのにそこに進まなきゃいけない人間たちがいる。 今回の作品は昭和の話じゃないですか。みなさんいろいろ言われますけど、僕は昭和に生まれて本当に良かったなと思うんです。負の遺産もたくさんあるんだけれど、それがなにか人間と共通している感じがするというか、昭和って人間ぽいんですよね。いいことばっかりじゃなく、悪いこともあったし失敗もした。でもなんか面白かったねって言える。 今回の作品を通しても、神格化されている男でも女性の前では振り回されるんだと、この作品の中に人間の余裕みたいなものを感じていただいたり、「粋」ってものだったりを感じていただければいいなと思います。 ◆中井貴一が考える自身のエポックとは? ——中井さんは来年デビュー45周年を迎えられます。10人に聞いたら、10人が違う作品を挙げるのではないかと思うほど、代表作がたくさんありますが、ご自身が考えられるターニングポイントになった作品はどの作品になりますか? 中井:僕は19歳でデビューして、どこにも所属せずに自分で会社を作ってやってきたんです。それは、僕の中に役者としての素養があるとは自分で思わなかったし、絶対できないって思っていました。何かのご縁でこの仕事を始めたんだったら、とにかく量をやることよりも1つずつしっかりやっていって、その中で得るものを得ていこう、それが自分が勉強していく道筋だと思ったんですね。 30歳という年齢までは、すべてが役者という仕事を吸収する時間だと自分で決めて。結婚もしないし、絶対にこの10年の中で、役者というものがどういうものかというベースを作ろうというのが最初の10年だったんです。マネージャーがいて仕事を取ってくるという作業はしたことがないので、いただける仕事を1つずつ1つずつやっていきました。 ものすごく変な話なんですけど、もちろんヒットした作品っていうのはたくさんあるんです。ドラマ『ふぞろいの林檎たち』、大河ドラマ『武田信玄』など、でもそれだけが自分のエポックになっているかっていうと、そういう事でもないのです。だから一本一本魂を込められるものを選んでやらせていただいてきたので、すべてがチェンジ、エポックになっているんです。 ——『ふぞろい〜』も大河ドラマの主演もデビューから10年経ってないころなんですよね。 中井:今につながっているのはあの10年があったからだと思います。ものすごく厳しかったですから。今の人たちがあの時代にワープして、ドラマの収録現場を見たとしたら絶対に無理って言うと思います。パワハラの嵐でした(笑)。今の人たちはパワハラって言うかもしれないですけど、僕たちにとっては「教えてもらった」。そんな時代にやれたことが今の僕に経験を残してくれていると思うんです。いい経験だったんですよね。本当はそういう経験をすることも、後々プラスになるはずなんですけど、時代が違うんですかねー。人間ってそんなに変わってないように思うのですが…(笑)。 ——悪い意味で「昭和」と言われることが多いですが、「昭和」ならではの良さもたくさんありましたよね。 中井:最高だったと思います。負の遺産もたくさんありますが、「負」って悪いばかりじゃないですからね、人間に与えるものって。体に悪いものっておいしいですし(笑)。健康を考えるならば、すごくいいものばかり食べたらいいけど、そうすれば病気にならないかって言ったらそうでもない。 『風のガーデン』というドラマをやった時に、先輩たちがたくさんいらっしゃったのですが、大滝秀治さんが「健康と元気は違う。健康ってのは数値だ。いくら数値が良くても元気じゃない奴はいる。数値が悪くても元気な奴もいるんだ。どっちが大事かって言ったら、数値が悪くても元気なじじいがいいんだ」とおっしゃっていたんです。その通りだと思うんですよね。「負」も自分の栄養にしていくということをこれからの世代の方も持ったほうがいいと思うので、今回の舞台を通して昭和の良さも伝えていけたらいいなと思います(笑)。 (取材・文:佐藤鷹飛 撮影:松林満美) パルコ・プロデュース 2025『先生の背中〜ある映画監督の幻影的回想録〜』は、東京・PARCO劇場にて6月8〜29日、大阪・森ノ宮ピロティホールにて7月5〜7日、福岡・J:COM 北九州芸術劇場 大ホールにて7月11・12日、熊本・市民会館シアーズホーム 夢ホールにて7月15日、愛知・東海市芸術劇場 大ホールにて7月19・20日上演。