かつて中国で死刑相当の罪に問われ、奇跡的に生還 日本人男性の過去

総人口14億人を数える大国・中国。 長く共産党による独裁政権が続くこの国は、徹底した情報統制により国家の真の姿はいまだベールに包まれたままとなっている。そんななか、14年にわたり、中国の実態をその身で感じてきた日本人男性がいる。 かつて中国で死刑相当とされる薬物密売の罪に問われ、奇跡的に生還を果たした植村富三(50代・仮名)だ。 植村が羽田空港に降り立ったのは昨年5月のこと。実に14年ぶりに踏む日本の地だった。 彼はいかにして中国で逮捕され、なぜ死刑宣告を前に生き延びることができたのか。今回、植村本人の証言を元に記事を構成。その貴重な証言から中国がひた隠しにする歪んだ司法制度、そして監獄内で日々行われる人権蹂躙や反日教育の実情を明らかにする(文中敬称略) 連載第1回『「死刑相当の罪」から奇跡的に生還…覚醒剤密売容疑で逮捕された日本人男性が明かす「中国・服役生活のすべて」【中国監獄ルポ連載・第1回】』より続く。 幼少期は「お坊ちゃん」 植村は東京都・赤羽の病院で生まれた。 幼少時代は実家のある豊島区・東長崎で過ごした。父は銀座にあるゼネコン会社の役員を務める重役で、いわゆる成功者と呼ばれる立場にあった。おかげで子供時代に貧しい思いをしたという記憶はない。実際、母が働きに出ることはなく、植村自身も幼稚園、小学校ともに私立に通っていた。 「お坊ちゃまですよ」 植村は当時をそう振り返る。そして、それが自分の人生の唯一の自慢だとつけくわえた。 転機が訪れたのは6歳の頃だった。元々、糖尿を患っていた父親が動脈硬化症で亡くなったのだ。享年は66歳。父の持病だった糖尿は植村にも受け継がれ、現在も薬が手放せない生活が続いている。 父が亡くなると途端に父親筋の親族間で遺産争いが始まった。嫌気が差した母は幼い植村と弟を連れて、夜逃げ同然で家を出た。辿り着いたのは母の妹が暮らしていた板橋区・大山で、植村自身も公立の小学校へと転校した。 母が再婚したのは実父の死から4年後のことだ。結婚を機に義父の自宅のある高島平へと家族で引っ越した。 ちょうど高島平には「東洋一のマンモス団地」と謳われる巨大団地が建設されており、内外から多くの人たちが押し寄せ、賑わいを見せていた。植村はそんな環境下で小学校時代を送った。 植村が小学校高学年になる頃には母が再婚相手との子供を妊娠し、3番目となる男の子が生まれた。 それでもダンプカーの運転手として働く義父は子供たちに対して分け隔てなく接し、植村たちにも絶えず愛情を注いだ。それゆえ中学に進学してもグレることはなく、学校でトラブル沙汰は一度も起こさなかった。 一方、オートバイ好きだった義父のところにはよく地元の暴走族がバイクの改造を頼みに訪れており、たまり場と化していた。植村自身も義父に仕込まれ、小学校の時には一人でバイクが運転できるようになっていた。 当時、不良とは縁がなかったが、尾崎豊には心酔した。『15の夜』を初めて耳にした時は真剣に「どうして自分の気持ちが歌になっているのか」と心震わしたのを覚えている。 初めて鑑別所に入ったのは高校生の頃だった。 当時、バイト先として働いていたビアガーデンで同僚の女性が客である若いサラリーマンに絡まれていた。酔った客は無理やり体を触ろうと手を伸ばし、女の子は体をのけぞらし、必死に抵抗を試みていた。 植村は男性に近づくと手に持っていたビールジョッキで頭を殴りつけ、傷害の容疑で補導される。警察の厄介になるのはこれが人生で初めてだった。 そして「ヤクザの世界へ」 鑑別所から出ると、母親の地元である長崎県の付属高校へと編入した。植村の成績ではまともに入学するのは難しかったが、母親筋の親族のコネを使ってどうにか入り込めた。植村は「いわゆる裏口入学ですね」と説明する。 大学はエスカレーター式で長崎の学校に上がれたが、1年で中退。当時、交際していた彼女の妊娠が判明したからだ。家族を養うために小学校時代から知り合いだった暴走族の先輩から紹介され、18歳の時にダンプの運転手へと転身した。妊娠と同時に入籍し、子供が生まれたのは翌年のことだった。 植村がヤクザになったのは21歳の頃。元々、稼業をしていた職場の先輩が出戻るというので「一緒にどうだ」と声をかけられたのがきっかけだった。 ちょうど植村自身、陣内孝則主演の任侠映画『ちょうちん』を見て、ヤクザという生き方に触発されていた。二つ返事で東京の組織内の末席に名を連ねた。当初は右も左も分からなかったが、血の気だけはとにかく多かった。3年間の部屋住み生活では無断で運転した事務所の車で事故を起こし、謹慎処分をくらったこともある。 当時、東京にはバブルの匂いがほのかに残っており、社会はまだまだヤクザが喰っていけるほどの土壌はあった。 植村は不動産会社ともに土地を転がしたかと思えば、英会話教材や自己啓発本を言葉巧みに高値で販売し、日銭を稼いだ。時には日本画の巨匠・横山大観の贋作を売りつけたこともある。儲かると聞けばパチスロのゴトにも手を染めた。どのシノギもやる気次第でどうにでもなり、仕事は順調そのものだった。おかげでベンツを乗り回し、夜は新宿・歌舞伎町で酒をくらった。 刑務所で出会った「台湾黒社会・最大組織」 初めて刑務所に送られたのは29歳の時だ。 金銭トラブルから相手の会社のドアに向けて2発撃ち込み、逮捕された。裁判では他の容疑も重なり、7年の実刑判決を受け、6年6カ月を前橋刑務所で過ごした。刑務所を出たのは36歳の時。仮釈放なしの満期での出所だった。事件を理由にすでに組からは破門を受けており、出所後は知り合いのツテで別組織へと籍を移し、再スタートを計った。 しかし、出所から1年後、今度は恐喝未遂で逮捕され、1年10ヵ月の実刑判決を受け、府中刑務所に収監されることとなる。 府中は日本人の他に中国、ロシア、ベトナム、タイといった外国人受刑者も多く服役していた。そのなかにいたのが台湾人の朱光敏(ジュウ グァン ミン・仮名)だった。 当時、朱は日本国内での覚醒剤の密輸で逮捕され、服役生活を送る身であった。 刑務所内では他の受刑者とも交流する機会はあったが、植村自身は日本のヤクザとは関わり合いを持とうとはしなかった。前橋刑務所での経験上、中ではやれ「自分は大物組織の幹部」や「大きなシノギを任されている」と謳っても、実際に外で会うとまるで別人のような人物ばかりが目立った。時にはカネを無心されることさえあり、鬱々とした気持ちに襲われた。 むしろ植村にとっては、異国の地で一儲けしようとした外国人受刑者たちのほうに興味がそそられた。朱もその一人だ。性格的に馬が合ったのか、植村が声をかけると彼は気さくに応じ、途端に仲を深めた。 台湾には日本のヤクザ同様に黒社会と呼ばれるマフィア組織が存在している。なかでも竹聯幇、四海幇、天道盟は台湾三大黒社会に数えられ、その勢力はアジア全域に及ぶ。朱は台湾最大の名高い竹聯幇に属するメンバーだった。 「ここを出たら台湾に遊びに来てよ」 刑務所で朱は植村を母国へと誘った。植村もまたその言葉を真に受け、自身の連絡先を渡し、満期出所の末、先に府中刑務所をあとにした。 植村の出所から3ヵ月あまり。朱から「無事に台湾についた」との電話があった。仮釈放を受け、台湾に強制送還されたという。 「早く台湾に遊びに来てよ」 電話口でそう急かされた。約束は守らなければと思う一方、出所後の物入りで手持ちがなく、植村は悩んだ末、当時の組長である親父に「50万円を貸してもらえないでしょうか」と頭を下げた。 「何に使うんだ」 そう親分に聞かれた際には正直に「台湾に行きます」と告げた。 「お前、人のカネで海外旅行か」 口ではそう怒られたが、気前よく用意してくれた。植村自身、台湾へは旅行で向かうつもりだったため、返す言葉もなかった。 台湾では朱の案内のもと、地元の温泉を堪能した。なかでも感動したのは士林(シーリン)のナイトマーケットだった。 台北市内で最大規模を誇るこの夜市にはたこ焼きの露店まで並んでおり、植村を驚かせた。食べてみると、日本で売られるたこ焼きと何ら変わりはない。お祭り気分で食べる台湾のから揚げ・大鶏排(ダージーパイ)もまた格別で、口に運ぶたびに自然と笑みがこぼれた。 すっかり旅行気分で台湾を満喫する植村だったが、そんな最中に朱から持ち掛けられたのが違法薬物に関する取引だった。 台湾での滞在中、植村は彼のボスに当たる人物を紹介された。挨拶を終えると、ボスは通訳を通じて突如こう切り出した。 「例えば10キロ、20キロの覚醒剤があったら、日本でさばけるか」 植村はこれまで一度もクスリに関するシノギをやったことはなかった。覚醒剤を見たこともなければ使った経験もない。 「できるよ」 もちろん嘘だったが、そう答えるしかなかった。試されているにしろ、悪い冗談にしろ、真面目に答えるのはバカらしく感じた。 覚醒剤という錬金術に溺れる 帰国後、しばらくして密輸されてきた10キロの覚醒剤を目の当たりにした時には頭を抱えるしかなかった。 本当に持ってきやがった——。 そう心の中で呟く。今さら正直に話をして押し返すわけにもいかない。なによりボスを紹介してくれた朱のメンツに関わる。言葉を失う植村を横目に朱はこう続けた。 「府中で声をかけたヤクザは誰一人、台湾に来なかった。植村だけだった。だからアニキにしかこの仕事は頼まない」 やることは一つ。素人同然の自分がこれから覚醒剤を売りさばく。それしか方法はなかった。 早速、植村は薬物の商売に強い関係組織に声をかけ、海を渡ってやってきた「商品」を手渡した。当時の覚醒剤の末端価格は1キロ当たり1000万円を超えており、白い結晶は瞬く間に大金へと姿を変えた。台湾から流れてくる覚醒剤は上質だったのも人気に拍車をかけた。 それから植村のシノギは一変する。例えば覚醒剤を台湾から1キロ900万円で仕入れると、販売元に1200万円で卸す。これだけで300万円の差額が植村の懐に入る計算だ。台湾からの商品は10キロ、20キロ単位で植村の元へと届けられており、その利益は倍々ゲームのごとく増えていった。 「儲かる商売だったのは間違いない」 植村はそう振り返る。次第に彼は違法薬物の密売という錬金術に溺れていく。だが、そんな生活も長くは続かなかった。 ビジネスを始めて3年、植村は中国・珠海(シュカイ)で違法薬物の密売容疑で逮捕されたのだ。 ・・・・・ 【つづきを読む】「精神を崩壊させる拷問」「裁判長へのワイロの金額は…」死刑宣告を前に奇跡の生還を果たした日本人男性が見た中国司法の実態【中国監獄ルポ連載・第3回】 【つづきを読む】「人間の精神を崩壊させる拷問」「裁判長へのワイロの金額は…」死刑宣告を前に奇跡の生還を果たした日本人男性が見た中国司法の実態【中国監獄ルポ連載・第3回】

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