やはり「伊藤博文」は頭が良かった! 日露戦勝で浮かれる日本政府に提出した「意見書の内容」

 なぜ日本は「大東亜共栄圏」という誇大とも思える広域秩序構想を立てたのだろうか。日露戦争での勝利が、その一里塚となったと指摘する歴史家は多い。戦勝によって満蒙権益を手に入れた日本は、その後、それを維持拡大するために満州事変、そして大東亜戦争へと突き進んでいった。 【写真を見る】伊藤博文が満洲経営に対し“強い危惧を抱いていたこと”とは 伊藤が暗殺されなければ、日本の運命は変わっていたかもしれない——  しかし戦勝直後に、そのような日本の姿勢を危惧し、強く戒めた政治家がいた。元老・伊藤博文である。近代史家で、駒澤大学教授の熊本史雄さんの新刊『外務官僚たちの大東亜共栄圏』には、もし伊藤が1909年に暗殺されなければ、その後の日本の運命は大きく変わったかもしれないと思わせる史実が紹介されている。以下、同書から抜粋する。 もし伊藤博文が1909年に暗殺されなければ、その後の日本の運命は大きく変わったかもしれない (出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」〈https://www.ndl.go.jp/portrait/〉)  ***  ロシア軍の満洲からの撤退と、満鉄を中心とする権益をロシアから継承したことを受けて、満洲の価値は、国防と投資の両面において飛躍的に上昇した。しかし、このことをもって、満洲経営のフリーハンドが日本に与えられたわけではなかった。満洲の市場開放の問題を注視する諸列国は、「門戸開放」と「機会均等」の原則を、いつ、どのように満洲市場に対して適用させるのかについて、日本外務省に問い合わせてきたのである。  とりわけ、英米の二国は、この点について繰り返し照会してきた。1906年2月頃から、在日英国大使のマクドナルド(Claude M. MacDonald)や、在日米国代理公使のウィルソン(Huntington Wilson)は、加藤高明外相に対してたびたび問い合わせている。満洲の市場価値が上昇していくことについて、日本のみならず諸列国もにわかに認識し始めたのだった。同年5月22日に政府が満洲問題に関する協議会を開催し、満洲に駐留していた日本軍によって敷かれていた軍政を撤廃すると決定したことも、こうした列強の意向を受けてのことだった。 【国際派エリートたちは、どこで道を間違えたのか?】日露戦で満蒙権益を獲得した日本は、その維持を最重要課題として勢力拡張に舵を切る。だが国益追求に邁進する外務省は、次々と変化する情勢の中で誤算を重ね、窮地を打開するため無謀な秩序構想を練り上げていく。小村寿太郎から幣原喜重郎、重光葵まで、国際派エリートたちが陥った「失敗の本質」を外交史料から炙り出す 『外務官僚たちの大東亜共栄圏』  この協議会の議論をリードしたのは、この時韓国統監の地位にあった伊藤博文だった。そもそもこの会議は、伊藤の強い要請によって開催された経緯がある。伊藤は、会議の場で、早期の軍政撤廃と門戸開放を政府の方針とするよう促したのだった。  そうした伊藤の見解は、翌年になっても継続されていた。伊藤は、第1次西園寺公望内閣の林董外相に、1907年11月6日付で意見書を提出している。これは、第3次日韓協約(1907年7月24日調印)で日本が韓国の内政権を掌握し、第1次日露協約(同月30日調印)で朝鮮半島と外蒙古とを日露双方のそれぞれの特殊権益として認め合った末の提言だった。その第四項「満洲問題」には、伊藤の自制的な対外観が良く表れている。 ===== 四、満洲問題 本問題に関しては、本官滞京中しばしば貴意を得たるが故に茲(ここ)に再説を省き候得共、〔中略〕我当局者にして門戸開放、機会均等の主義を尊重せず、切(叨カ)りに利己主義に走れば、欧米諸邦は我誠実を疑い信を吾に措かざるに至るべし。其の結果として資本の融通を杜絶せられんか、直接打撃を蒙むるは経済社会なり。就中(なかんずく)帝国政府の財政は非常なる困難に遭遇せざるを得ず、即ち是れ自ら好んで独逸皇帝の希望に副うものに外ならず。〔後略〕 ===== 「門戸開放」「機会均等」を軽視し、利己主義的な満洲経営に走りそうになっている現状に対して、伊藤は強い危惧を抱いたのだった。  事実、日露戦勝時の外相だった小村寿太郎はもとより、ときの為政者たちの多くが通商による貿易立国策よりも、権益を重視した大陸経営策を志向するようになっていた。日露戦勝を挟んだ前と後とで、価値観が大きく変転していたのである。その点、伊藤と井上馨は、中国本土との通商を重視し、貿易立国策を支持する立場にあり続けた。伊藤は、対外発展策を選択するうえで日本外交が岐路にさしかったさなかに、重大な問題提起をしたのだった。    こうした伊藤の提言を、林は受け入れた。意見書を受け取った林は、日を置かずして伊藤への回答の意と「将来に於ける我外交の方針」を示す意を込め、元老宛に書簡をしたためている。さらに林は、「対清政略管見第一」という意見書を著し、満洲政策について提言した。  同意見書で林は、「我代りて此地に入るに及んでその為す所更に露人より甚しき者あるときは列国の悪感情を招くことは言を俟たず」と、ロシアに代わって入満した日本の清廉な振る舞いと列国との協調を求めていた。  注目すべきは、林が列国との協調ばかりでなく、「清国人の眼を以て今我満洲に於て施す所の措置を観れば露人去りて我之に代りたるに過ぎず」という視点も交えて論じた点である。「貪婪(どんらん)横暴の挙動は傍若無人なるが故に清人の此輩を見ることは仇讐(きゅうしゅう)よりも甚し」という一文にも、日中関係を重視する林の見解が看取できる。むろん、そうした見解の先には、「我満洲に於ける合法の発展」と「我既得の権理」を確かなものにするという目論見があった。だが、それでもなお、「門戸開放」「機会均等」の原則だけでなく、清国人の感情に配慮した点に、外相としての林の個性があったといえるのである。  関連記事【「優秀な同期との出世争い」に敗れた官僚が、「歴史に残る名宰相」の地位を手にするまでの「大逆転劇」】では、外務省出身の官僚が総理大臣の地位まで上り詰め、戦後日本を代表する名宰相として活躍した吉田茂の華やかなイメージとは裏腹な外務官僚時代からの大逆転劇を紹介する。 ※本記事は、熊本史雄『外務官僚たちの大東亜共栄圏』(新潮選書)を基に作成したものです。 デイリー新潮編集部

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