モーリス・ラヴェル生誕150年記念…「ピアノ独奏曲全曲演奏」に挑むピアニストが語るラヴェルの「面白さ」

モーリス・ラヴェルの生誕150年となる今年、ロシアピアニズムの伝統を引き継ぐ女性ピアニスト、イリーナ・メジューエワがラヴェルのピアノ独奏曲の全曲演奏に挑戦する「モーリス・ラヴェルの生誕150年 ピアノ独奏作品全曲演奏会(全2回)」が開催される。 「オール・ラヴェル・プログラムは初めて」と言うイリーナですが、なぜこれまでラヴェルを弾かなかったのか、そもそも彼はどのような作曲家だったのか。 『ピアノの名曲 聴きどころ 弾きどころ』『ショパンの名曲 ピアノの名曲 聴きどころ 弾きどころ2』(講談社現代新書)の著者であるイリーナが、プログラムの中から特別な曲を挙げながら、ラヴェルの世界の魅力について語る。【前編】 モーリス・ラヴェルの生誕150年 今年はモーリス・ラヴェルの生誕150年。ラヴェルのピアノ独奏曲の全曲演奏に挑戦します。私のコンサートでオール・ラヴェル・プログラムは初めてです。 これまでラヴェルを弾かなかったのは、自分との距離感が遠いと思っていたのが理由かもしれません。正直、ラヴェルは、テクニック的なことをはじめ、いろいろな意味で難しいのです。 具体的な話として、手を弱い指(4、5)と重い指(1、2、3)の二つに大きく分けたとき、例えばショパンは4と5の指、つまりいちばん弱い指をどうやって強くさせることを意識的に考えていました。でもラヴェルは重い指の1、2、3にすごく仕事をさせている。指の使い方がまったく逆になるんです。 正直、自分の手に合わないと思いました。でも、これでやめるわけにはいきません(笑)。できるだけ作曲家のマインドに入りたいと思いました。ラヴェル自身の発想を守りつつ、ハーモニー的に、「あっ、なるほど、こういうことを結局やっているのかなー」というのがだんだんとわかってくると、親しみが増えてきました。 ラヴェルは冷たい人だったのか? 一般的にラヴェルには冷たい人というイメージがあると思います。頭が良くて、作品もすみずみまで考えぬかれている。逆に言うと、ドロドロした人間くささがあまりない。本人も、実生活ではあまり感情を見せない人だったといわれています。 音楽にもそういうところはあると思います。感情を作品に込めないというのは一つ、絶対に言えることです。けれども、冷たいのではなく、本当はものすごくセンシティブな人だったのではないか。 普通、芸術家はセンシティブな部分をどうやって豊かに表現できるかを考えます。でもラヴェルはあまりにも豊かなために、逆にどうやってそれを隠すかを考えたのではないかなと、いまは思っています。 楽譜も、冷たい、数学的といってもいいでしょう。全部、計算されているように見えます。でも指示をよく読み取っていくと、いろいろと見えてくる部分があるのです。例えば意外なことに楽譜の指示にtrès expressifのようにtrès (とても)ばかり書くんですね。またここに見られるように、感情を隠しているはずなのに、指示はtrès expressif(とても表情豊かに) 。矛盾しているけれど、でもそこが面白いと思います。 作品のタイトルもそうですね。『鏡』というのは素晴らしいタイトルだと思いますが、もしかしたらラヴェル自身も「鏡」のような人で、常に鏡を使ってひとにはその映ったもののほうを見せている、そんな感じがあります。要するに素直ではない。たぶんすごく孤独な人だったのではないでしょうか。すごく感性が豊かで繊細な人。そしてちょっと子どもっぽい。実際、子どもが大好きでおもちゃが大好でした。そういう面もあんまり見せたくなかったのかなと思います。 象徴的なエピソード ですからキーワードの一つは、「隠す人」。自分の思っていることをひとに見せない。こんな象徴的なエピソードがあります。知り合いがラヴェルの家に行くと、仕事場にはピアノがあって、テーブルもあったけれど、楽譜も、楽譜を書いたり消したりするものも一切置いてなかったというのです。友人・知人のみんなが「見たことがありません」と書いているのです。 人が来るときはいつも、仕事場にあったものをしまっていた。そこまで徹底していた作曲家はほかにいないと思います。 20世紀の時代が進むほど、頭で作られた作品が多くなります。現代の作品も頭で作られている部分が強いと思います。ラヴェルはそのパイオニアの一人だったのではないでしょうか。例えばドビュッシーは作曲家のファンタジーが音そのもの、響きから生まれています。システムより、実際の和音の響きです。一方ラヴェルには、まずはじめにシステムがある。和音作りを頭で行っていると言いますか。でもドビュッシーはラヴェルを尊敬していたんですね。例えば、『高雅で感傷的なワルツ』をすごく褒めて、「これほど繊細な耳を持った作曲家はいない」というようなことを言っています。 もう一つ、大事な要素として、ラヴェルの音楽には弁証法的な対立といいますか、ドラマチック的な部分が少ない。ソナタ形式は結構好きで、『水の戯れ』などソナタ系のものも作っていますが、ベートーヴェンのようにテーマとテーマがぶつかって、より高いものになるということがない。いわゆるドラマではない。でも逆に言うと、それが独特の透明感につながっている。 あと一つ特徴的なのは、『ボレロ』がいちばんわかりやすい例ですが、結構、曲の息が長いのではないかと思います。以前はむしろ息が短いイメージでした。職人的というか、スイスの時計職人ではないけれど細かくて(笑)。でも、改めて考えると、すごく息が長い人だったのではないかと思うのです。例えば『夜のガスパール』の「スカルボ」は、クライマックスを作るのに、ものすごく長いクレッシェンドを掛けています。『ボレロ』もそうですし、『クープランの墓』のトッカータもそうですが、「ぐわーっ!」と最後に向けて盛り上がってゆく。ただし、緊張感があって興奮するけれど、その興奮のなかにドラマはない。ちょっと人間的じゃないというか、むしろ「非人間的」な世界。 あとラヴェルには、水に関係がある作品が多いです。『水の戯れ』とか『夜のガスパール』の「オンディーヌ」とかとたくさんありますが、泥水みたいな水は出てこない(笑)。すべて透明。ラヴェルの水にはどれだけ盛り上がっていても透明感がある。 またラヴェルは、一般的に「オーケストラの魔術師」というイメージがありますが、ピアノという楽器もラヴェルには大事だったと思います。二つ、ポイントがあります。一つは、ピアノに関してのリスト的な伝統です。ピアノ曲がオーケストラっぽく聴こえるのです。元はピアノ曲で、それを元にオーケストラの曲に作り直した作品も多いですし。 目の働きが強い作曲家 結局のところ、ラヴェルにとってはアイディアが大事で、音色はピアノでもオーケストラでも、どっちでもよかったのではないかなと思います。 オーケストラ・ファンはピアノ曲はあまり聴かないのではないでしょうか。少なくとも自分の知り合いでは、ラヴェルのオーケストラ曲は好きだけどピアノ曲はあまり知らないという方が多いんです。また逆に、私たちのようなピアノを弾く人は、同じ曲のオーケストラ版のスコアを研究することはあまりしない。でも、私はそれもやったほうがいいと思います。 オーケストラ・ファンには、ラヴェルはまずピアノの作曲家だと言いたいです。その一方でピアニストは、自分も含めてですが、ピアノ曲をラヴェル自身がせっかくオーケストレーションしているので、それを知らずに弾くのはもったいないと思います。オーケストラ版も知ると曲が全然違って見えてくる。コルトーも、『古風なメヌエット』について、ピアノを弾く人はこの曲のオーケストラ・バージョンを絶対に勉強してください、と書いています。そうしないと、ラヴェルがどういうイメージをもっていたかがわからない。オーケストラのスコアを見ると、「あっ、なるほど」、とそれがよりよくわかるのです。 あと、かなり、目の働きが強い作曲家だと思います。ゲームをしているかのように、白い鍵盤の中にいきなりポンと黒鍵入れてきたり、あるいは、いっぺんに黒い鍵盤を三つ、わざと足したりして遊んでいる。他の作曲家ではなかなか見られないことです。お客さんが奏者を上から見たり、カメラで上から撮ったりすると、鍵盤の色がつぎつぎと変わっていく様子が見た目として面白いのではないかと思います。そういうことを意識してやっているんですね。 私は楽譜を見ながら演奏しますが、暗譜している人がラヴェルの作品を弾くのはすごく楽しいと思います。自分の手が見えるので。自分の手を見ながら弾く、その楽しさがある作曲家だと思います。そこにもやっぱり遊びがあるんですね。 * ラヴェル・ピアノ独奏曲全曲演奏シリーズ(全2回)スケジュール 2025年6月7日(土)相模湖交流センター(第1回) https://sagamiko-kouryu.jp/event/1351/ 2025年6月27日(金)京都コンサートホール(第1回) https://www.kyotoconcerthall.org/calendar/?y=2025&m=6#key26123 2025年7月13日(日)宗次ホール(名古屋)(第1回) https://munetsuguhall.com/performance/general/entry-3974.html 2025年10月18日(土)相模湖交流センター(第2回) 2025年11月28日(金)京都コンサートホール(第2回) https://www.kyotoconcerthall.org/calendar/?y=2025&m=11#key26124 2025年12月7日(日)宗次ホール(名古屋)(第2回) https://munetsuguhall.com/performance/general/entry-3975.html 【つづきを読む】「人間を超えた世界かも」…「オール・ラヴェル・プログラム」に挑むピアニストが語るラヴェルの「複雑な魅力」

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