人種差別など世界が過熱 逆らい難い「同調圧力」の話

人種差別、経済格差、ジェンダーの不平等、不適切な発言への社会的制裁…。 世界ではいま、モラルに関する論争が過熱している。「遠い国のかわいそうな人たち」には限りなく優しいのに、ちょっと目立つ身近な他者は徹底的に叩き、モラルに反する著名人を厳しく罰する私たち。 この分断が進む世界で、私たちはどのように「正しさ」と向き合うべきか? オランダ・ユトレヒト大学准教授であるハンノ・ザウアーが、歴史、進化生物学、統計学などのエビデンスを交えながら「善と悪」の本質をあぶりだす話題作『MORAL 善悪と道徳の人類史』(長谷川圭訳)が、日本でも刊行された。同書より、内容を一部抜粋・再編集してお届けする。 『MORAL 善悪と道徳の人類史』 連載第114回 『“道徳の進歩”が「無意味な規範」を破るカギとなった…保守的であった人類が“社会変化と技術革新の恩恵”を受け入れられた理由』より続く 逆らい難い「同調圧力」 話をロナルド・ライデンアワーに戻そう。多くの残虐行為と同じで、ミライでの事件もまた、集団同調圧力が秘める悪魔的な力を象徴する出来事とみなされている。どうやら、ついさっきまで清廉潔白に生きてきた人も、ほんの小さなきっかけで殺人鬼に変わってしまうようだ。この教訓はホロコーストを通じても繰り返し証明されている。 特に有名なのは、米国人歴史家のクリストファー・ブラウニングが記録した、ハンブルク第101警察予備大隊の話だろう。同隊は1940年に、ポーランドのヨゼフォフ村をそこに住むユダヤ人から“浄化”する任務を得た。部下から「パパ・トラップ」と慕われていたヴィルヘルム・トラップ隊長はそのおぞましい任務を500人の隊員に発表した際、異例な申し出を行った。1500人を射殺する任務にためらいを覚える者は、参加を辞退しても責任を問われることはない、と。だが、この申し出を受け入れて辞退したのはわずか十数人だった。 同調性は鋼鉄の殻に包まれている。この点こそ、20世紀の道徳心理学の主要なテーマとなった。まもなく世界で名だたる社会学者や心理学者が、同調圧力に逆らうのが難しい理由を研究しはじめた。どのような条件下で、一見したところ無害な人が最悪な形の暴力や残虐行為に手を染めるのか、恭順さ、服従心、団体精神、同調性などがそこにどう関係してくるのかを知るのが目的だった。 「ロナルド・ライデンアワー」の真実 1961年、「ミルグラム実験」として知られる極めて有名な実験が行われた。人の学習能力を調べるという建て前の下で行われたその実験を通じて、被験者はほかの被験者に対して(実際には偽の)強い電気ショックを与えるようたやすく誘導されることがわかった。電気ショックを与えるよう強く求める研究者の要請に対して完全に拒否する姿勢を見せた人は一人もおらず、被験者の過半数が、電流が最大値になるまで実験を続けた。 ただし、例外が一人だけいた。数年後、プリンストン大学で米国人心理学者のデヴィッド・ローゼンハンがミルグラム実験の結果を再現する目的で同様の実験を行ったところ、ロナルド・ライデンアワーという若者が最弱の電気ショックさえ与えることを拒んだのである。 その後何十年ものあいだ、社会心理学者たちは、20世紀で最も影響力のある実験と、アメリカ兵による最も有名な残虐行為の暴露の両方に同じ人物がかかわり、どちらの場合もあらゆる圧力を乗り越えて正しいことを行った唯一の人物だったということを、まれな偶然として祝ってきた。しかも、ミルグラム実験の目的は、残酷な同調行為がミライでの大惨事を引き起こしたことを証明するために行われたのだから、これほどの偶然があるだろうか。 しかし今では、ロナルド・ライデンアワーがプリンストン大学に足を踏み入れたことがない事実が知られている。正確には、プリンストン大学にいたのはあのロナルド・ライデンアワーではなく、同姓同名の別人だった。同じ名前の2人の人物が、1968年に、数ヵ月のときを隔てて、遠く離れた2つの場所で、それぞれ個別に、同調圧力に屈しない強さを証明したのである。何十年も教科書や論文に根を張っていた同一人物説が誤解であることを、ほんの数年前に社会心理学者のゴードン・ベアが発見した。その際、両者ともほぼ同じ時期にグリーンベレーをかぶってベトナムで戦い、しかも互いに(それどころか3人目の同名人物とも)個人的に会ったことがある事実も明らかになった。 ふたつの教訓 誤解が生じたのは無理もないことだろう。この話には2つの教訓が含まれている。第一に、ミルグラム実験のような研究も、ミライのような歴史的事件も、人間の価値観は、そして何より道徳的行為は、その人の内面の個性よりも外部の力によって強く影響されることを示している。私たちは、少なくとも大部分において、外的な力の産物なのだ。したがって、道徳改革は何よりもまずそこをターゲットにしなければならない。 第二の教訓は、ここで得られる洞察は直感に強く反するという点。私たちは普通、ある人物の行動をその人の個性と結びつける。個性はまわりの状況が変わってもおおよそ一定であると考えるからだ。この傾向は非常に強く、研究を通じてそのような先入観が誤りであることを知っているはずの社会心理学者たちでさえ、2人のライデンアワーを同一人物と思い込んでしまったほどだ。この人物は、ここぞというときに二度も勇気を示したではないか、このロナルド・ライデンアワーは類いまれな堅固な自我をもっていたので、運命が彼に二度も輝く機会を与えたに違いない、と考えてしまった。 『大惨事を引き起こした人間心理の「破壊的な力」…人類の平和のために求められる“心構え”と“制度”』へ続く 【つづきを読む】大惨事を引き起こした人間心理の「破壊的な力」…人類の平和のために求められる“心構え”と“制度”

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