「世紀のご成婚」から、今年で66年。次代にバトンを渡され、穏やかな日々を過ごされていた最中、上皇さまの心臓に異変が起きた。上皇さまのため、心の限りを尽くされる美智子さま。決して揺らぐことのないそのお姿を、雅子さまは見つめられていて──。 【写真】車内からマスクを下げて応えられる美智子さま。他、手をつないで歩かれる上皇さまと美智子さまなども 新緑が目にしみる、東京・代々木の明治神宮会館。5月13日、雅子さまは代々の皇后が務める日本赤十字社の名誉総裁として、「全国赤十字大会」に出席された。国母としての慈愛に満ちた表情には、これまで以上に強い責任感がにじむ。雅子さまの胸の内は、先の皇后から受け取られた決意の念であふれていた──。 5月10日、東京大学医学部附属病院に入院されていた上皇さまが退院され、お住まいの仙洞御所に戻られた。 「定期検診で心臓に異変が認められた上皇さまは、精密検査のために5月6日から入院。8日から予定されていた葉山御用邸でのご静養が急遽延期となりました。ご高齢で持病もある上皇さまが入院されるとあって、関係各所では一気に緊張が高まった」(皇室記者) 詳しい検査の結果、上皇さまは「無症候性心筋虚血」と診断された。聞きなじみのないこの病気について、東京医科大学名誉教授で信濃坂クリニック院長を務める高沢謙二さんが解説する。 「『心筋虚血』とは、血管が狭くなり、心臓の筋肉に充分な血液を送ることができない状態のことをいいます。中でも自覚症状がないものが『無症候性』。一般的には、狭心症と呼ばれる病気です。 無症候性が怖いのは、症状がないために無理をしてしまうことです。気がつかないうちに不整脈を起こし、心停止につながることも考えられるため、慎重な経過観察が必要な病気とされています」 2012年の心臓手術以来、13年ぶりの入院となった上皇さま。4泊5日の入院期間中、美智子さまは一日も欠かさず、病室に通われた。 「美智子さまは上皇さまの入退院に付き添われただけでなく、毎日4時間から5時間の長時間にわたって病院に滞在。検査の時間以外は上皇さまに付きっきりで、一緒に病室で昼食を召し上がる日もありました。上皇さまおひとりで入院するといっても、側近は常におそばについていますから、不自由はないはず。美智子さまは、『私が上皇さまをお支えしなければ』という一心だったのでしょう」(宮内庁関係者) 献身的なお姿が注目された一方、これほど長時間のお見舞いは、一般の患者には許されていない。 「コロナ禍を経て、多くの病院で面会時間に制限が設けられるようになりました。今回上皇さまが入院された東大附属病院でも《1回の面会は60分まで》と告知されている。それにもかかわらず、連日300分近い長時間の付き添いが実現したのは、美智子さまの上皇さまを思われる強いお気持ちがあってこそのことです」(前出・皇室記者) 上皇さまにとっても、美智子さまの存在は大きな心の支えになっていたようだ。 「美智子さまがおそばにいらっしゃるとき、上皇さまは安心されているようでした。いつも手をつないでお散歩され、一緒に過ごされている美智子さまだからこそ、検査や今後への不安を解消できたのでしょう。医師からの説明にも、おふたりで耳を傾けられていました。美智子さまは上皇さまの病状や今後の治療方針について、積極的に医師に質問を重ねられたそうです」(前出・宮内庁関係者) 一方で、こうした美智子さまの熱心な姿勢には心ない批判も寄せられた。 「ネット上では、美智子さまに対して“病院に迷惑なのでは”“目立ちたがり”などの誹謗中傷まがいの声が散見されています」(前出・宮内庁関係者) 今回に限らず、昨今はSNS上での美智子さまへの中傷が問題視されてきた。しかし、美智子さまの“上皇さまを支える”という一念は、並大抵のものではない。 「美智子さまは皇室に嫁がれる際、“孤独な幼少時代を送られた皇太子さまに、温かい家庭をつくって差し上げたい”というお気持ちだったといいます。ご自分のことよりも、当時皇太子だった上皇さまを支えたいというお気持ちが強く、いまもそのお心を変わらずに持ち続けていらっしゃるのでしょう」(前出・宮内庁関係者) いざとなったら上皇さまを受け止める 13年前に上皇さまが心臓を患われた際も、美智子さまは誰よりも近くで上皇さまをお支えになった。 「2012年2月に冠動脈バイパス手術を受けられた上皇さまは、翌3月7日に追加で手術を受けられました。しかしその4日後の11日には、東日本大震災の追悼式典に参加されたのです。 このとき美智子さまは、お召し物を急遽洋装から和装に改められた。洋装だとヒールを履くことになりますが、万が一、上皇さまがよろめかれたときに、その場で上皇さまのお体を支えることができない。草履の方が踏ん張りが利くということで、ご自身のお召し物を変更されたのです」(別の皇室記者) ご成婚以来、二人三脚で歩んでこられた上皇さまと美智子さま。おふたりのお姿は、確実に令和の時代に受け継がれている。 「上皇さまと美智子さまは戦没者の慰霊や被災地の訪問に務められ、『開かれた皇室』のあり方を模索されてきました。現在、皇族の方々が避難所で膝をつき、被災者の手を取って励ましの声をかけられるのは普通のこととして受け入れられていますが、これは上皇ご夫妻が築かれたスタイルです。当時は“皇族がそんなことをするなんて”という批判の声も一部で上がりましたが、上皇ご夫妻は国民に寄り添うことを諦めませんでした。その結果、尊敬を集めるいまの皇室があるのです」(前出・別の皇室記者) 御代がわりから7年。皇后として、天皇陛下を支えることの難しさを身をもって経験されている雅子さまはいま、美智子さまのすごみを感じていらっしゃることだろう。 「雅子さまは体調を崩され、夫である天皇陛下のために尽くしたくても尽くせないもどかしい日々を長く過ごされてきました。だからこそ、在位中から上皇さまとともに各地を飛び回り、90才を超えたいまでも、身を挺して上皇さまに尽くされる美智子さまの強い思いに、震えるほど感じ入っていらっしゃるのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者) ご成婚から66年間変わることのない、美智子さまの一途な愛──「令和流」を築きはじめた雅子さまは、そのお姿を目に焼き付け、受け継がれていく。 ※女性セブン2025年5月29日号