「猪木さんに試合前、木製バーで思い切り殴られた」「額が割れて大流血」一番弟子・藤波辰爾と弟・猪木啓介が語る「アントニオ猪木伝説の真相」【特別対談】

2年半前、79歳で亡くなったアントニオ猪木。家族で最も深くかかわった弟・猪木啓介氏と、半世紀もの時を共にした一番弟子・藤波辰爾氏が「燃える闘魂」を語り尽くす。(全3回の2回目) (第1回)『「プロレスは敗者が主人公になれる」…アントニオ猪木の思い出を一番弟子・藤波辰爾と弟・猪木啓介が語る【特別対談】』より続く。 アフリカに置き去りにされたことも 啓介:新日本が旗揚げして間もないころ、確か藤波さんは兄貴とアフリカに出かけて、そのまま「置き去り」にされたんだよね。 藤波:東京12チャンネル(現・テレビ東京)の企画で、猪木さんがタンザニアの原住民と一緒に暮らすというドキュメンタリー番組でした。ロケ自体は順調だったのに、1週間ほどしたところで猪木さんが「急用ができたから帰る。藤波、お前はここに残れ」と言い出して、本当に帰っちゃったんですよ。 啓介:いかにも兄貴のやりそうなことだ(笑) 藤波:いま思えば、電話も何もないジャングルのなかで、どうして「急用」ができるのか謎なんだけど、マサイ族の村に1人置き去りにされて、あのとき自分でもどうやって日本に帰れたのか、いまでも不思議です。 啓介:「かわいい子には旅をさせろ」という意味だったのかな。 藤波:とんでもない旅ですよ。朝起きたら、ヤリ持った人たちしかいないんですから。砂漠の国やインドを経由し、地球を半周してなんとか日本に帰った時、僕の姿を見た猪木さんが何と言ったと思います?「オッ。帰ってきたか」のひとことですから。 啓介:新日本を旗揚げしたころの兄貴は、殺気立っていたところがあったよね。 藤波:僕の記憶では、猪木さんが本格的に恐ろしくなったのは旗揚げの翌年ですね。馬場さんと猪木さんが抜けて経営難に陥っていた日プロから‘73年、坂口(征二)さんが合流した。そのときに木村(健悟=当時は聖裔)や小沢(正志=キラー・カーン)といった若手選手たちも一緒に入って、新日本の陣容が一気に大きくなったんです。 啓介:坂口さんの入団を契機に悲願だったNET(現・テレビ朝日)のテレビ中継がスタートした。これは新日本にとって大きな飛躍でした。 藤波:ただ、日プロ組の入団で所帯が大きくなると、選手たちの気が緩む部分もあった。新しいメンバーの気持ちを引き締める狙いもあったんでしょう。ちょっとでも気の抜けた試合をしようものなら、それを見た猪木さんが怒って控室に常備している竹刀を持ち出し、お客さんが見ている前で、僕らをビシバシと殴りつけるわけですよ。若手選手は震え上がっていました。 啓介:僕ら営業部員は鉄拳制裁こそないけれども、兄貴からは「お客さんの声を拾ってこい!」と言われましたね。特に子どもたちは、本音の感想を口にするんです。試合が単調でつまらない、技がしっかり決まってない——そんなリアルな感想を拾い上げて社長であるアントニオ猪木に報告する。それもリング内容を少しでも向上させていくための努力だった。熱い気持ちがそこにあったんです。 猪木さんの暴力には理由があった 藤波:会場で空席が目立てば猪木さんの顔色がみるみるうちに変わりましたからね。 啓介:兄貴は日プロ時代、力道山に徹底的にシゴかれ、理不尽な仕打ちを受けたと話していた。でも、アントニオ猪木から理不尽な暴力を受けたと話す選手はいないですよね。 藤波:理不尽ではなかったです。殴るにもきちんと理由がありましたし、僕ら選手は理解していました。70年代後半になってからのことですが、僕は猪木さんにプッシュアップ(腕立て)用の木製バーで思い切り殴られたことがありますよ。 啓介:それはどんな状況だったの? 藤波:ある巡業先で猪木さんが会場入りした時、選手たちが全員揃って練習していなかったんです。僕は会場の隅でスクワットをしていたけれども、猪木さんの目には「だらけている」と映ったんでしょう。当時の僕は、ニューヨークでWWWE(現・WWE)のベルトも獲得し、凱旋帰国していたジュニアのエース。前座ではなくてすでに団体の主力選手だったわけですが、猪木さんに「かったるい練習してんじゃねえ!」と怒鳴られ、思い切りバーで殴られた。額がパックリ割れて大流血ですよ。その場はシーンと静まり返ってました。 啓介:あえて若手エースだった藤波さんを制裁することで、全体を引き締めようとしたんだろうね。 藤波:そうです。一番下の選手を殴るより、当時の僕を殴るのがいちばん伝わるわけですから。でもあの日のお客さんは「なんで藤波は試合前からダラダラ血を流しているんだ?」と不思議に思ったと思いますよ(笑) 啓介:アントニオ猪木の試合のなかでも特に有名なモハメド・アリとの異種格闘技戦(‘76年)、あのとき藤波さんは海外に遠征中でしたね。 藤波:そうなんです。ちょうど米マットをサーキットしていた時代で、あの試合のときはノースカロライナにいたけど、生の試合は観ていないんです。これも有名な‘83年の第1回IWGP決勝戦、猪木さんとハルク・ホーガンとの試合における「舌出し失神事件」のときも、海外に遠征していました。不思議と猪木さんの重要な試合のときに日本を離れていたことが多かったですね。 「3年間、口きかなかった」長州力との抗争 啓介:80年代に入ると、長州選手との抗争、いわゆる「名勝負数え歌」が新日本のリングを彩りましたね。 藤波:あれは完全に、猪木さんの手のひらの上で踊らされていましたよね。当時のテレビ視聴率20%というのは、プロレスファンだけを相手にしていたのでは取れない数字なんです。一般の人たちをどう巻き込んでいくか。その感性にかけて猪木さんのマッチメークは天才的でしたよね。僕はピュアだから、長州と3年間、口きかなかった。 啓介:ピュアだったの? 藤波:そうですよ。本当、最近ですよ。よく話すようになったのは。でも昔の癖でね、長州とは会話が長続きしない。お互い滑舌も悪いですから、すぐに何言ってるか分かんなくなる(笑) 啓介:長州さんはなんどか新日本を離脱しているわけですが、藤波さんは新日本から飛び出そうと思ったことはないですか。 藤波:それも猪木さんに見透かされていましたよね。こいつは何があっても俺を裏切らない、新日本を出ることはないだろうと。だから僕の周りでいろいろ事件が起きる。長州が藤原(喜明)に襲撃され、僕と戦うはずだった試合を潰されたとき(‘84年2月の「雪の札幌テロ事件」)もそうですよ。猪木さんが「藤波だったら大丈夫」と思っているから、あんなことが起きるわけです。 啓介:でも札幌の事件の後は「こんな会社辞めてやる!」と叫んでいたじゃない。 藤波:あれも本気。演技じゃないんです。でも冷静になって考えると、藤原も名前が売れたし、長州との抗争もマンネリ化が解消されて、いいことばかりなんですよ。そう思い直すと、会社を飛び出す気持ちが薄れてくるんです。 伝説となった「飛龍革命」の真相 啓介:僕は当時、兄貴が手がけていた「アントン・ハイセル」という会社の立て直しのため、‘83年にブラジルへ戻り、そこから事業に専念したためリング上のことはフォローできていないんです。80年代の兄貴は倍賞美津子さんとの離婚もあり、天国と地獄の両方を経験したと思いますが、藤波さんにとってはどういう時代でしたか。 藤波:‘88年に猪木さんと横浜文化体育館でシングルマッチを戦い、プロレスラーとして最高の試合ができたと思っています。結果は60分フルタイムを戦いドローでしたが、お互いの思い、技術、持てるすべてをぶつけあうことができました。 啓介:あの年、世代交代がなかなか進まない状況に対して立ち上がった藤波さんの「飛龍革命」が話題となりました。沖縄の会場の控室で、兄貴に張り手をお見舞いし、さらに自らの前髪をハサミで切り落とすという、僕らから見ても衝撃的なシーンでした。 藤波:あれは本気。リング外で、僕が猪木さんに手を出したのはあのときが最初で最後ですよ。自分としては精いっぱいの抵抗でした。ただ、さすがの猪木さんも僕がハサミを持ち出したから一瞬、ヒヤッとしたと思いますよ(笑)。正直なところ、自分もハサミを手にしたはいいが、何したらいいか分からなくなって、とっさに自分の髪を切ってしまった。猪木さんよりも、周囲が凍り付いていましたよ。 啓介:選手たちの本音と生きざまが交錯していたのが昭和の新日本プロレスでした。兄貴も藤波さんも、プロレスを通じて自らの生きざまを見せていましたよね。 (取材・構成/欠端大林) 藤波辰爾(ふじなみたつみ)‘53年大分県生まれ。中学卒業後の’70年、日本プロレスに入門。アントニオ猪木の付き人となる。‘72年に旗揚げされた新日本プロレスに参画。同団体の若きエースとして活躍し、ライバル長州力らと名勝負を繰り広げた。現在も現役選手としてリングに上がる。 猪木啓介(いのきけいすけ)‘48年神奈川県生まれ。’57年に一家でブラジルに移住。‘71年に帰国し、旗揚げされた新日本プロレスに入社。12年間、営業部で働く。アントニオ猪木の唯一の実弟として70年に及んだ交流の記録『兄 私だけが知るアントニオ猪木』(講談社刊)を2月に上梓した。 ・・・・・・ 【つづきを読む】『「最後の妻」とは深刻な確執も…藤波辰爾と実弟・猪木啓介が明かすアントニオ猪木「最期の日々」【特別対談】』 【つづきを読む】「最後の妻」とは深刻な確執も…藤波辰爾と実弟・猪木啓介が明かすアントニオ猪木「最期の日々」【特別対談】

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