日本総領事館の門は開いていた 2002年のゴールデンウィークが終わり、まだ休日ムードが抜けない日本に、中国で撮影された衝撃的な映像が飛び込んだ。場所は遼寧省の省都・瀋陽市の日本総領事館。「週刊新潮」2002年5月23日号は、事件をこう報じている。 【写真】いまにも泣き出しそうな顔で…「ハンミちゃん」が母を見つめる決定的瞬間 〈泣き叫ぶ女性、かたわらで立ち尽くす2歳11カ月の幼児——。命をかけた叫びの迫力に、さすがに平和ボケした日本人も度肝を抜かれたに違いない。普通なら闇から闇に葬られる亡命失敗事件が、マスコミの映像と写真によって、全世界注目の大事件となった〉 同年5月8日に決行された「ハンミちゃん一家の亡命作戦」である。駆け込んだ5人はキム・ハンミちゃん(2歳11カ月=当時、以下同)と父のキム・グァンチョルさん(27)、母のイ・ソンヒさん(28)、グァンチョルさんの弟(25)、グァンチョルさんの母(51)。 子供を背負って一家で突入…世界に衝撃を与えた映像 彼らはなぜ、日本総領事館に駆け込んだのか。当時の「週刊新潮」で、アジアプレス大阪事務所代表の石丸次郎氏はこう解説している。 〈「現場に下見に行ったところ、当初予定していた米国総領事館の警備が極めて厳重だったことがわかった。昨年のテロ(編集部注:米国同時多発テロ)の影響もあって、門扉は閉ざされ、とても突入するのは不可能だとわかったんです。しかし、隣の日本総領事館は人1人が通れる程度門扉が開いていた。そこで、急遽駆け込む先が変更になったんです」〉 日韓の記者がとらえた衝撃映像 日本にいた石丸氏の元に決行を連絡したのは、韓国のNGO「チャン・キルス家族救援運動本部」の文国韓氏だった。再び石丸氏の解説。 〈「チャン・キルスは亡命後、北朝鮮の実態を絵で紹介して“難民少年画家”として韓国国内で有名になりました。今回の5人は、彼の一族で昨年の亡命の時に躊躇して加わらなかった人たちです」〉 日本から共同通信の、韓国から聯合通信のカメラマンとジャーナリストが当日の取材にあたった。そこで、彼らは衝撃的な光景を目の当たりにする。 総領事館の門前で警備に就いていたのは中国の武装警察(武警)。最初の男性1人が即座に突入すると、続いた男性1人も武警に服を掴まれても振りほどいて突入に成功した。 だが、ハンミちゃんを背負った母と祖母は、武警と激しいもみあいとなる。3人は一度、領事館の敷地に入ったが外に引きずり出された。その際に母のもとから離れたハンミちゃんは路上に立ち、今にも泣きだしそうな顔で取り押さえられる母の姿を見ていた。 身柄を巡る日中間の対立 〈「放してえ」「助けて」。朝鮮語での女性の絶叫と自動車のクラクション。その喧騒の中に出てきた副領事は、なんと女性を助ける素振りもないまま、警官の帽子を拾い上げるという信じられない行いに出た。〉 しかも、約1時間後にハンミちゃん一家が武警に連行されたことから、日本政府の弱腰対応に非難が集中する。北朝鮮に強制送還されれば、命の補償はなかった。 〈「彼らが北朝鮮に強制送還されたら、確実に死刑です」。在日朝鮮人の息子として生まれ、北朝鮮に帰国し、36年の生活の後、96年に亡命に成功した宮崎俊輔氏(55)はこう分析する。「北朝鮮には月に2回、処刑の日があるんです。ほとんどが銃殺刑です。今回の場合、これほど大問題になり、国を裏切ったことが明白ですから、確実に反逆罪に問われます」〉 5人の連行について中国側は、「領事が同意し、かつ武装警察に感謝を表明した」(5月10日、中国外交部報道官の談話)と主張。日本側は、敷地内立ち入りを含めた武警の行動すべてに「日本側が同意を与えたとの事実はない」「感謝の意を表明した事実もない」(5月13日など、外務省の調査結果)と反論し、17日には時系列でも詳細な経緯を明かした。 新天地・韓国で一家を襲った荒波 この対立は、ハンミちゃん一家の身柄に関する日中間の折衝で大きな障害になった。国際社会からの批判も高まるなか、韓国が一家の受け入れ方針を固める。一家は23日、第三国のフィリピンを経由し韓国に入った。駐韓日本大使の寺田輝介氏(当時)はこの際、一家と面談している。 一家はその後、韓国に定住し、05年にはハンミちゃんの父キム・グァンチョンさんと母イ・キオクさんが結婚式を挙げたニュースも流れた。だが「週刊新潮」2008年1月3・10日号は、再び訪れた荒波を伝えている。一家と付き合いのある脱北者はこの記事で、3人が06年に米国を訪問し、ブッシュ大統領と面談したことが「大きな転機だった」と指摘した。 〈「北では地位の高い人と会えば、高価な贈り物が与えられ、仲間からは“英雄扱い”されます。おかげで帰国後、ハンミちゃん一家にも取り巻きというか、イさんやキムさんに取り入れば米国に行けるのではと勘違いした脱北者が大勢近寄ってくるようになったのです」〉 母は約1200万円を持ち去り中国へ そこでイさんはまさかの決断をする。 〈「イさんも、そんな人を相手にしなければいいのに、『中国は物価も安い。向こうに行き、事業をやる』と言い出した。脱北者から少しずつお金を借り始め、ハンミちゃんと夫を置いて中国に行ってしまったんです」〉 イさんは不倫関係にあった韓国人支援者と中国に渡った。その時に一家の有り金全部と脱北者からの借金、合わせて1億ウォン(当時のレートで約1200万円)を持ち去ったという。だが、事業はうまくいかず、韓国に戻った。待っていたのは、金を貸した脱北者たちの怒りだ。 〈「金を借りて返さないわけですから、貸した人は怒り心頭です。何人かが警察に訴え、イさんは帰国から間もなく、詐欺などの容疑で逮捕されたそうです」〉 残された借金の返済に苦労したキムさんは、家を引き払ってイさんと離婚。ハンミちゃんはソウルで暮らす祖母の元に身を寄せた。2012年に日本のテレビ番組が伝えたその後でも、キムさんの就職が難しいことから経済的な苦労は変わっていない。ハンミちゃんは幼い頃のことをあまり覚えておらず、12歳の普通の少女に成長していた。 デイリー新潮編集部