ただの「市のPR映画」ではなかった! 『わたのまち、応答セヨ』は蒲郡を舞台にしたドキュメンタリー映画である。 なかなか興味深い仕上がりになっている。 蒲郡は愛知県の都市。 愛知は西の尾張と東の三河にくっきりと区別されるが、蒲郡は三河に属する。 繊維の街である。 「三河木綿の発祥の地」とされている。 繊維産業の街として20世紀半ばには大いに賑わったが、いまは海外製品に市場を奪われて、往時の百分の一しか稼働していないという。 その「すたれつつある三河木綿の街・蒲郡」を蘇らせようと、「市」が動き出した。 東京ガールズコレクションに「三河木綿」を出展、ランウエイを三河木綿素材の服で歩いてもらい、また、そのドキュメンタリー映画の製作も決めたのだ。 それがこの『わたのまち、応答セヨ』である。 でも、ただの「市のPR映画」ではない。 製作は『進め!電波少年』などで有名な土屋敏男が担当している。 独特の、仕掛けに満ちたドキュメンタリー映画が仕上がっている。 条件は「一切の口出しをしないこと」 土屋敏男は『進め!電波少年』では、若手芸人に何の事前告知もなく、いきなり「ユーラシア大陸をヒッチハイクで横断する」企画を強行させたり、アポイントなしの突撃取材を繰り返したりして、世間の耳目を集めた。 おもしろさのためにどんな常識も犠牲にする手法で注目された存在だ。 蒲郡市が、「繊維の街」プロモーションの映画の製作を彼に依頼したのである。 土屋敏男は、この企画を引き受ける際にスポンサーに(つまり蒲郡市)に、一切の口出しをしないことを条件にした。 完成試写会まで、どういうものが出来上がるのか、スポンサー側もまったく把握していなかったらしい。 そして『わたのまち、応答セヨ』が仕上がった。 冷徹に見つめている別の「視線」 ふつうのPR動画ふうでありながら、悪魔のような企みが潜んでいる。そうも見える。 映画は、わたのまち・蒲郡市のドキュメンタリーとして、「三河木綿」を世界に発信する姿をしっかり描いている。 「東京ガールズコレクション」に出展し、ランウエイを三河木綿の衣装で歩くシーンもをかっこよく収録、さらにそのあとロンドンで開かれた「デザインフェスティバル」への参加したシーンも感動的に見せてくれる。 カメラの前で、ロンドンの繊維業界の人たちは、三河木綿を絶賛している。 世界に通用する素材であり、やりようによってはこれから先、広く世界に展開できるかもしれない。 そういう「希望」をきちんと描いている。 映画のラスト近くでは、ロンドン郊外でのある見本との邂逅を、「奇跡」と称して、やや感動的に紹介している。いいシーンだとおもう。 でも、それをずっと冷徹に見つめている別の「視線」も感じられる。 そこがこの映画の妙味である。 途中、土屋敏男が出てきて、製作者として撮影のテンションが落ちてきていることを正直に話すシーンがあった。 三河木綿の未来のため海外を目指そう、という話を地元企業にすると、そこまで考えていない、海外になんて出なくていい、と言いだした人たちがいたようだ。「余計なことはしなくていい」という意志を感じたというから、かなり多くの人がそういう態度だったのではないか。 土屋は、衝撃だったようだ。 映画の主体は「よそ者」 監督の岩間玄が今回は、いわば「無茶ぶりされたほう」である。 よくわからないまま連れてこられて、ヒッチハイクしてロンドンにゴールしてくれと言われた猿岩石と似たような立場である。そのまま素で蒲郡と対峙したような感じがある。 監督自身が右往左往するさまを映像化して、見ている者は、ところどころで置いていかれる。 ついには、空に浮かぶ雲を「わた」だといいだして、かなり、ふわふわしはじめている。 美しい映像のなかに、無茶ぶりされた監督の心情が洩れていて、気がつくとなかなかに味わい深い。 そして映像がきわめて美しい。 そもそも、タイトルに、いろんなおもいが込められている。 『わたのまち、応答セヨ』というのは、つまり、この映画そのものの発信者は「わたのまち=蒲郡市」ではないことを示している。 土屋=岩間たちが、「わたのまち」と通信した記録なのだ。 映画の主体は、よそ者である土屋=岩間にあり、彼らが「応答セヨ」と蒲郡に呼びかけている映画となっている。 「蒲郡市よ、聞こえていますか」 広くとるなら、土屋=岩間だけではなく、もっと広く、たとえば東京ガールズコレクションに代表される東京の業界や、さらにイギリス・ロンドンの繊維業界たちが、蒲郡市に呼びかけている姿ととらえてもいいのかもしれない。 「わたのまち……蒲郡……蒲郡……聞こえていますか……応答せよ……蒲郡! 蒲郡! ……応答せよ! 応答せよ!」 「応答セヨ」という呼びかけは、つまり、すぐにさま答えてくれない姿がおもいうかぶ。 反応しないからこそ「聞こえてますかー」「起きてますかー」という呼びかけられているのではないか。 蒲郡市が依頼し金を出し、蒲郡の三河木綿をPRする映画を作ってくれと頼んだら、「蒲郡市よ、聞こえていますか、応答できますか」というタイトルの映画が作られてしまったということである。 なかなかの風景である。 かつて昭和時代に「日本一」と自負していた繊維産業界は、令和になってよそ者がやってきて未来を探るという姿に好意的ではなかったのかもしれない。 ロンドンへ出向いていくのは、綿から木綿を作りあげる80を越えた職人の鈴木敏泰と、あとは「森菊」という会社の人たちだけに見える。 細かい部分は描写されないのだが、何だか含みがある。 「応答セヨ」と声掛けられている街の本当の姿は奈辺にあったのか。 気になってしまう。 そういうドキュメンタリーが作られてしまった。 製作者の「リアルな戸惑い」 不思議の映画である。 「三河木綿が東京ガールズコレクションと、ロンドン・デザインフェスティバルに出展して、いい反応があった」という部分だけ抜き出して、きれいにまとまったPR映画にもできたはずである。 たぶん55分くらいに仕上がりそうだが、それでまとまりはよかっただろう。 でも99分に引き延ばして、映画作品として興行ラインにのせている。 そこにはどうしても土屋敏男たちの何かしらの意図を感じてしまう。 引き延ばした部分には、プロデューサー土屋の「ため息」と、監督岩間の「戸惑い」がきちんと見える。 最後のほうが感動チックに仕立てられていたからといって、前半の迷走がなかったことにはならない。 99分の映像はちょっとごつごつしている。 このごつごつした違和感、監督の迷走もやはり見せたかったのだろう。 過去に日本一だと自負していた地方の街が、衰退し、でも再び積極的に動きだそうとしてるとき、そりゃプラスの感情だけなわけないでしょう、とそこに居合わせた製作者のリアルな戸惑いが伝わってくる。 「いやあ、ひとすじ縄ではいかんのですよ」という土屋の声が聞こえてきそうだ。 そして、それが地方再生の現状なのだ。 「諦めと戦う」ということ もちろん感動できるようには作られている。 私は何を見ても泣いてしまうので、この映画を見てもぼろぼろ泣いてしまった(いつものことなのだが)。 三河木綿の世界への可能性も感じられた。そういう嬉しい映像でもある。 でも、この映像全体で、言いたいのは、そこだけではない。そのことも感じる。 諦めと戦うには、かなりの覚悟がいるんだよ、という呟きも聞こえてくる。 地方に住む人、地方のことが気になっている人、そんなのまったく知らずに都会で生きている人、そういう人たちにちょっとした気付きを与えてくれるドキュメンタリーである。 さすが土屋敏男だ、と、つくづく感じ入っている。 いろいろと見ものな作品だ。 【さらに読む】「元ヤクザのスタッフ」「猿岩石が死にかけた瞬間」いまなら絶対許されない『電波少年』の放送できない裏のウラ側