主治医から非情宣告「この大腸がんは治らない」…サードオピニオンで出会った名医の意外な言葉

生涯で二人に一人が罹るといわれるがん。なかでも大腸がんの罹患数は14万人超*で、肺がんや胃がんの患者より多く、全体1位である。とくに日本人の40代、50代の中高年に大腸がんが増えてきている。そんななか、ライターのA氏(57)は2年前の冬、何の自覚症状もないまま大腸がんと診断され、「ステージ4、余命2年半」という宣告を受けた。しかし、告知から2年半を経たいまもA氏は健在で、治療の結果、身体からがんは消えたという。いったいどのような治療を受けたのだろうか。サードオピニオンを受けたところから、意外な展開となる。 大腸がんからの生還 第2回 『「余命2年半」からの復活劇…57歳の大腸がん患者が「ステージ4」から生還するまで』より続く ステージ4でも手術で治る!? 主治医から「治ることはありません!」と言われても、患者は「はいそうですね」と簡単にうなずけるわけがない。 諦めきれない気持ちのままネットで検索する日々が続いた。「ステージ4でも手術で寛解」という記事や週刊誌の「名医のいる病院」などの特集、テレビの「がん治療最前線」的な番組も、必死の思いで観ていた。 そんななか、あるテレビ番組で、がん治療に詳しい外科医が、「最近の抗がん剤治療の進歩はめざましい。ステージ4でも手術で治る患者が増えてきている」と解説しているのが目に留まった。 これまで真っ暗だった部屋に、一筋の光が差し込んできた。まさに希望の光が見えた気がしたのである。私は、医療に詳しい知人に再び相談し、これまでとは別の病院の外科医にサードオピニオンを依頼することにした。 サードオピニオンでの信じられない言葉 ここまでに通院で、抗がん剤治療と2週間の服薬(その後一週間の休薬)を、中断することなく15回ほど繰り返していた。 2023年12月初旬、サードオピニオンのため、自宅から電車で2時間ほど離れた場所にある総合病院を訪れた。手がかじかむような寒い日だった。 転院するわけではなく、あくまでもまた別の医師の見解を聞くだけだ。テレビで「ステージ4でも手術で治る患者が増えている」とは聞いたものの、あくまでも「そういうケースもある」というデータに基づいただけの話だろう。ステージ4の私のがんに、そのまま当てはまるとは限らない。 サードオピニオンなのだから「いま受けられている治療は間違っていません。当院でも、いま掛かられている病院の先生と同じ治療をすると思います」という返事が返ってきても不思議ではない。いや、むしろ、そういうケースのほうが圧倒的に多いのではないか。 その時はサードオピニオンに納得して、これまでの治療をしっかり続けて、耐えられるところまでがんばろう、と思っていた。あまり期待しすぎないように、自分を抑えていたのである。 が、その外科医は、「これまでの治療データを診るかぎり、手術できると思います」とそれほど迷うことなくおっしゃった。私の横で一緒に話を聞いていた妻も、信じられない様子で言葉が出ない。 「ということですので、よく検討なさってください」と優しい言葉まで添えていただいた。診察室を出て妻と顔を見合わせたが、二人の気持は同じ。手術に賭けよう。転院を決めた! 半年間で3回の摘出手術 そこからの手続きはとてもスピーディだった。サードオピニオンから1カ月あまり経った2024年1月中旬に、まずは大腸の手術。4センチほどの腫瘍を中心に、20cmほど、大腸と周縁のリンパ節を切除した。ロボット支援下の腹腔鏡手術で、所要時間は3時間ほど。手術の翌朝には歩行練習をして、一週間後には退院できた。 さらに3カ月後の4月中旬、今度は転移した右肺にある腫瘍の除去手術に臨んだ。呼吸器外科の熟練医師が、手術に費やした時間は約2時間半。右肺の中葉を摘出した。これも入院期間は約1週間である。 その2カ月後の6月下旬、左肺腫瘍の摘出手術を受け、やはり1週間入院した。これで体内にあった腫瘍は全て取り除かれたことになる。半年間で3回の手術を受けた結果である。 7月下旬、術後の診断を受けたが問題はなく、9月からは仕事にも復帰。最後の手術から5カ月後の11月と、その4カ月後の3月に経過観察の診断を受けたが、異常は見られなかった。 1年前とは180度違う景色 現時点では、「寛解」とはいかない。「寛解宣言」までの道のりは長いが、いま、1年前には想像もつかなかった180度違う景色を見ることができている。 手術を決断し、抗がん剤を完全にストップしてから、1年半が過ぎた。薬の副作用である手足の痺れは依然として残っている。痺れの強度としては治療中とほとんど変わっていない。それでもシャツのボタンの掛け外しはできるし、箸も持てる。ペンを握っても違和感はない。 抗がん剤治療は、10カ月以上続けていた。一年前の秋、サードオピニオンを申し出ていなければ、当然、いまも抗がん剤治療を続けていたはずだ。「がんは治らない」という医師に従いながら、薬を変えての治療継続だったかもしれない。あるいはどこかで体調を崩して治療断念……、という状況に陥っていた可能性も、無きにしもあらずだ。 そうなっていたら、いつまで元気な状態でいられただろうか……。確実に言えることは、絶対に「治った」という気分にはなっていなかったことだ。そして、仕事にも復帰できていなかっただろう。 いずれも標準治療だが 誤解のないように書いておくが、前の病院での治療が間違っていたと言いたいわけではない。現在の医療で行える、最善の標準治療を施してくれたのだとは思う。 しかし、次の病院で受けたのも、やはり標準治療である。がんの標準治療には、「手術」「化学療法」「放射線治療」の3つがあり、いずれも有効性が科学的根拠により証明されている。これらの治療法のうち、どれを選択するかは、医師により異なる。 患者は、医師の説明をしっかり聞いた上で、どういう治療法を選択するか、自分で判断することが求められているのだろう。私の場合は、主治医から「治ることはありません」と告げられ、心が折れそうになったことが、自らを動かす原動力となった。 日本医科大学武蔵小杉病院腫瘍内科部長の勝俣範之医師は「三つの”あ”」といって、「あわてず、あせらず、あきらめない」という言葉を患者に勧めているという。 がんに負けないために大事なこと。それはまさに、この言葉「三つの”あ”」を忘れないことだと思う。あきらめたら、そこで試合終了となってしまうことを忘れないようにしたい。 【前回の記事を読む】「余命2年半」からの復活劇…57歳の大腸がん患者が「ステージ4」から生還するまで

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