なぜ「リベラル」は批判され続けるのか…「エリートによるエリート批判」から読み解く

トランプ、ヴァンス、石丸伸二、尹錫悦……なぜ破壊者は台頭するのか。 「何かが間違っている」と主張し、政府やメディアなどを「既得権益化したエリート」として批判する一大現象が世界を覆い始めている。 いったい何が起きているのか、これから何が起こるのか。ニュース番組のコメンテーターとしても話題の石田健氏による新刊『カウンターエリート』では、これまで見えてこなかった現象の本質を解き明かしている。 (本記事は、石田健『カウンターエリート』の一部を抜粋・編集したものです) リベラルやポリコレへの批判 近年、「既得権益化するエリート」として批判の矛先となってきたのが、いわゆる「リベラル」だ。 60年以上も前のホフスタッターも、知識人をリベラルと結びつけていたが、リベラルとエリート主義を結びつけた批判は、2010 年代後半頃から、より一般的になってきた。 そもそもリベラル批判における「リベラル」の定義は、曖昧なものだ。リベラルはリベラリズム (自由主義)の略だが、一口に自由主義といっても時代や地域によってその意味合いは変化してきた。 19世紀から20世紀にかけて、それまでの古典的自由主義から国家の再分配を重視すべきという考え方が主流となり、社会保障制度を整備し、完全雇用を目指す「福祉国家」目指すべきという理念が確立する。この経済的リベラルに対して、1970年頃から誕生したのが、ジェンダーや働き方など個人のアイデンティティに関する領域で権利拡大を求める動きであり、これを文化的リベラルと呼ぶ。 こうした歴史的変化を踏まえて政治学者の田中拓道は、リベラルを次のように定義する。 価値の多元性を前提として、すべての個人が自分の生き方を自由に選択でき、人生の目標を自由に追求できる機会を保証するために、国家が一定の再分配を行うべきだと考える政治思想と立場 田中によるリベラルの定義は、政治哲学者のジョン・ロールズによる著作『正義論』などの議論を踏まえた一般的なものだが、現在のリベラル批判が想定する「リベラル」とは乖離があるだろう。 たとえば著述家・橘玲は著書『「リベラル」がうさんくさいのには理由がある』において、憲法九条にもとづいてソ連が侵攻してきた場合に無条件降伏すべきだと主張した「リベラル」な論者を見たことが、「日本の『リベラル』はうさんくさい」と考え始めた理由だと語る。 また弁護士の倉持麟太郎は、リベラルを「合理的で強い」個人を前提とした社会を想定する、「自陣のロジックの正しさを、まるでそのロジックが唯一絶対の正解であるかのごとく『上から目線』で語り続ける」人々だとする。 『リベラル再生宣言』の著者でもあり、2016年の大統領選でドナルド・トランプが勝利した直後に寄稿したエッセイが話題となった政治学者マーク・リラによる指摘は、近年のリベラルに対するイメージを代表している。 アメリカが、より多様な国になったことは自明の理だ。それは、見ていて美しいものでもある。他国、特に異なる民族や宗教の受け入れに苦労している国々からの訪問者は、アメリカがそれを成し遂げていることに驚く。もちろん完璧ではないが、今日のヨーロッパやアジアのどの国よりもうまくやっていることは確かだ。これは並外れた成功物語だ。 しかしこの多様性は、私たちの政治をどう形作っているのだろうか。過去20年ほどの間、標準的なリベラル派の答えは、私たちは違いを認識し「祝福」すべきだというものだった。これは道徳教育の原則としては素晴らしいものの、今日のイデオロギーが強まった時代において、デモクラシー政治の基盤とするには悲惨なものとなっている。 近年、アメリカのリベラリズムは、人種、ジェンダー、性的アイデンティティに関する一種の道徳的パニックに陥り、その結果、リベラリズム本来のメッセージが歪められ、社会を統治できるような統合的な力となることを妨げている。 つまり、現実離れした理想論ばかりを語り、上から目線で説教し、特に人種やジェンダー、性的指向などのアイデンティティの問題ばかりに拘泥するだけでなく、その結果として国家を統合する理念を失ってしまった人々が「リベラル」なのだ。 これは田中やロールズによる定義とはかけ離れているものの、少なくとも現代社会において、リベラルが「そのように認知されていること」は間違いない。法哲学者の井上達夫が述べるように、まさに「リベラルとエリート主義が結びつき、嫌われている」ような状況が生じている。反知性主義からエリートの既得権益化、近年の「リベラル」批判まで、エリートや知識人を既得権益とみなして批判する姿勢は、歴史上何度も登場してきた。 エリートによるエリート批判 ただ少し立ち止まってみれば、エリートに反旗を翻す批判者もまた「エリート」だ。 京都大学出身で、大手メガバンクへの勤務から首長に転身した石丸伸二も、東京大学から総務省の官僚となった斎藤元彦も、父の代から不動産業を営み、ペンシルベニア大学ウォートン・スクールから実業家として成功したドナルド・トランプも、イェール大学のロースクールから投資家、ベストセラー作家となった副大統領のJ・D・ヴァンスも、経歴だけを見ればエリートの一員であることは間違いない。 彼らを批判的に見る人々は、エリートが自らの正体を隠してエリート批判をおこない、庶民の味方だとアピールしていると考える。これはプルート・ポピュリズムと呼ばれ、金権政治(plutocracy)のポピュリズム版だ。ジャーナリストのマーティン・ウルフは、これを「金権政治をもくろんで、ポピュリスト的な政策や議論を巧みに利用」することだと定義する。 あるいは、社会経済的なエリートが「表面的には反体制、労働者寄りの政治的候補者として振る舞うこと」とも説明され、次のように語られる。 彼らは一般有権者、特に「忘れられた人々」や貧困層を代表すると主張しているものの、実際には、これらのグループの支持基盤となっている有権者は、社会で最も貧しい人々や不利な立場にある人々ではない。むしろ、比較的裕福である傾向がある。 しかに、世界で最も裕福な富豪であるイーロン・マスクが、「忘れられた人々」の利益を代弁するのは、直観的には不可解だ。常識的に考えれば、富裕層やエリートは自らのために行動するし、彼らが「弱者の味方だ」と主張する時は、「何か裏がある」と疑ってかかるべきだろう。この理解をするならば、トランプや石丸を支持した有権者は、甘言を弄する政治家たちに「騙されている」だけの「非合理的で愚かな」人々となる。 しかし本書は、そうした立場には与しない。むしろ今起こっている現象をアンチエリート (反エリート)ではなく、カウンターエリートの潮流として理解することで、それらが有権者にとっての合理的な反応だと考える。言い換えれば、今起こっている現象は、エリートではない人々からの不平不満や単なる嫉妬、羨望として捉えるべきではなく、より構造的で広範な変化だと理解するべきなのだ。 「ポリティカル・コレクトネス」は言葉狩り? 花王の事例が問う論点

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