食事中に唾を吐くのは魅力的!?…「文明化の過程」で新たに求められたのは”男性的”よりも”女性的”美徳だった

人種差別、経済格差、ジェンダーの不平等、不適切な発言への社会的制裁…。 世界ではいま、モラルに関する論争が過熱している。「遠い国のかわいそうな人たち」には限りなく優しいのに、ちょっと目立つ身近な他者は徹底的に叩き、モラルに反する著名人を厳しく罰する私たち。 この分断が進む世界で、私たちはどのように「正しさ」と向き合うべきか? オランダ・ユトレヒト大学准教授であるハンノ・ザウアーが、歴史、進化生物学、統計学などのエビデンスを交えながら「善と悪」の本質をあぶりだす話題作『MORAL 善悪と道徳の人類史』(長谷川圭訳)が、日本でも刊行された。同書より、内容を一部抜粋・再編集してお届けする。 『MORAL 善悪と道徳の人類史』 連載第104回 『じつは“眉唾物な理屈”で説明されていた…!「避けようがない」とされてきた社会の階層や不平等』より続く 西洋の勇敢な英雄たち 『イーリアス』の第21歌で、アキレウスは(自らすぐに殺すことになる)リュカオンにこう語る。 おぬしもまた死なねばならぬ。何を悲しんでいるのだ。おぬしよりもはるかに優れていたパトロクロスも死んだではないか!おぬしにはこの偉大な私の姿が見えぬのか。 聖なる母は私を立派な英雄に産んでくれた。その私とて、死という強力な運命に襲われ、朝か、夜か、はたまた昼か、激しい戦いのなかで、投げられた槍によってか弓から放たれた矢によってかはわからぬが、敵に命を奪われるだろう! 偉大さや力を想起させるこうした言葉は、勇気、克服、怒り、覚悟などを強調するが、新たに成立しつつある信用と資本の世界では居場所を失っていった。ギルガメッシュにはじまり、中世ドイツの叙事詩にいたるまで、パルジファルとローエングリン、エーレクとイーヴァイン、ジークフリートとハーゲンなどといった勇敢な英雄たちは、つねに新しい“冒険”を通じて宮廷人としての栄誉を証明しなければならなかった。 しかし、花や香辛料の売買で成り立つ世界では、彼らのような立派な肉体、優れた剣さばき、敵も死も恐れぬ勇気が何の役に立つだろうか? それまで西洋支配者層の価値観を形成してきた英雄倫理は消えずとも、次第に市民階級の実直な美徳に置き換えられていった。奇妙な人々の誕生により、宮廷貴族が支配する社会特有の好戦的な理想が、近代化された経済に有益な市民的美徳の目録に場所を譲った。 英雄的倫理観の変化 アメリカの経済学者ディアドラ・マクロスキーは、キリスト教と異教から来る典型的に「男性的な」美徳と典型的に「女性的な」美徳の目録が、倫理的価値観のミックスとして「商業時代」の幕開けを促したと考える。この新たな目録には、賢さ、節度、正義、愛などといった美徳が含まれる。 過去5000年を貫いてきた英雄的倫理観は、そうした女性的な気長さに見向きもしなかった。もちろん、古代や中世の叙事詩で宣伝される英雄的エトスは現実よりもむしろイデオロギーであり、宮廷の貴族階級の特権でしかなく、平民の生活とは無縁だった。それでもなお、騎士的な力強さをよしとする近代以前の封建社会的イデオロギー構造が、またたく間に繊細な謙虚さや感情の抑制に道を譲った事実には驚かざるをえない。 11世紀、ベネチアの元首がめとったビザンチンの王女には、おかしな習慣があった。食事のしかたがほかの人々とはまったく違っていて、2本の突起が付いた見たこともない小さな金の棒を使って食べ物を口に運んだそうだ。宮廷の人々は驚いた。 それほど異常な繊細さは前代未聞だったし、それほどまで高慢かつ傲慢な侮辱を受けたこともなかった。しばらくのちに、王女はひどい病気にかかった。聖職者たちは、王女アルギッロの哀れな運命を、彼女が見せた繊細な習慣に対する正当な罰とみなして歓迎した。 しかし今は違う。わずか数百年後には、テーブルクロスで鼻をかんだり、床につばを吐いたり、フォークなしで食事をすることは乱暴で粗野だとみなされるようになった。ノルベルト・エリアスが「文明化の過程」と呼んだこの流れがさらなる家畜化の波を引き起こしたことで、繊細な行動という規範が“支配階級”において確立し、欲求を抑制できるかどうかが社会的な階層を決める基準として意味をもつようになった。荒々しさが優雅さで置き換えられ、闘技場ではなく晩餐会に適した価値観や行動様式が求められていった。 『「経済」が発展するほど「人間は寛大」になる…伝統的な「家族構造」を破壊した人が身につける奇妙な“非個人的向社会性”とは』へ続く 【つづきを読む】「経済」が発展するほど「人間は寛大」になる…伝統的な「家族構造」を破壊した人が身につける奇妙な“非個人的向社会性”とは

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