「内乱」から〈革命〉へ 六〇年安保闘争--対等な日米関係と治安出動を拒絶した自衛隊

グローバル化、格差拡大、揺らぐデモクラシー、近現代日本の戦争と平和——、現代日本の課題は、すでに戦前昭和にあった! 吉田茂がサンフランシスコ講和条約に調印し、朝鮮戦争にともなう朝鮮特需が日本経済を潤した。そんな中、占領下の日本では安全保障と再軍備問題が最大の論点となっていた。 岸信介が推し進めた日米安保条約の改定は、国家の自立を掲げたものだった。しかし、それは大規模な反対運動を引き起こし、学生や市民の間では〈革命〉を目指す者まで現れた。 「戦後80年」であり「昭和100年」に当たる2025年に、『新書 昭和史』では、グローバリゼーション・格差・デモクラシーが織りなす日本の100年間の戦争と平和の歴史を追跡する。 (*本記事は井上寿一『新書 昭和史』から抜粋・再編集したものです) 日米安保条約の片務性 首相として岸がめざしたことの一つが日米安保条約の改定である。吉田の下で結ばれた日米安保条約は片務性が強かった。なかでもアメリカの日本防衛義務が約束されていなかったことは、国家的な独立を損ないかねなかった。吉田の対米従属路線を是正して、国家を自立させる。岸は1960年に日米安保条約を改定して、対等な日米関係の新時代を演出しようとする。 岸は駐日アメリカ大使との予備会談において、対米自立を強調する。具体的には自国の防衛力を強化する一方で、在日米軍の可能な限りの撤退と沖縄返還を求めている。 社会党・共産党などの野党は、日米安保条約に反対の立場ではあっても、日米安保条約の片務性の是正が論点ならば、片務性の是正に反対とは言いにくかった。 片務性の是正は、アメリカ側も反対できなかった。冷戦下、同盟国の日本をつなぎとめておく代償だった。沖縄返還は拒否された。しかし改定交渉は円滑におこなわれた。1960年1月、新安保条約が調印される。 無事、調印を済ませた岸は、つぎにアイゼンハワー大統領の来日を求めて、日米新時代を演出するとともに、政権基盤の強化を図る目論見だった。 来日の日程から逆算すると、国会審議を急ぐ必要があった。対する野党の側は、新安保条約をめぐって、「事前協議」と「極東の範囲」を論点として、政府を追及する。「事前協議」は機能しないとの野党の批判は説得力があった。「極東の範囲」に関しては、野党の側の難癖に近かった。国会審議の紛糾は避けられそうになかった。 〈革命〉をめざす学生たち 「六〇年安保」をめぐって、学生のなかで〈革命〉をめざす者たちがいた。当時、同志社大学の2年生の保阪正康(のちに昭和史に関する膨大な著作を刊行する著述家となる)もそのひとりだった。保阪は断言する。「当時の我々は社会主義革命をめざしていた」。保阪を満たしていたのは、「たとえ暴力を使っても社会変革につながればいいという使命感」だった。「社会主義万歳」の「空気が全体を覆って」いた。社会主義体制になれば、ソ連や中国のようになってしまうのではないか、そのような「疑いを差し挟む余地などなかった」。このような状況のなかでの「六〇年安保」は、「左翼革命の前哨戦」だった(保阪正康『ナショナリズムの昭和』)。 学生自治会の連合組織=全学連(全日本学生自治会総連合)の一部は、日本共産党から離れて、1958年にブント(共産主義者同盟)を結成した。このブント系全学連書記長の島成郎からすれば、すでに戦争は始まっていた。現代の戦争とは「帝国主義戦争」で、「資本主義に由来する帝国主義」のアメリカとソ連・中国などの社会主義国が対立していた。第二次世界大戦の記憶が生々しく残るなかでのこの戦争イメージはリアリティがあった。「反共は戦争の前夜である」。島はそのような共産党の煽動に動かされた(島成郎・島ひろ子『ブント私史』)。東京大学に入学と同時に日本共産党に入党した島は、その後1950年の共産党の分裂によって除名されたものの、翌年には自己批判をとおして復党したのち、1958年、全学連書記長に就任する。翌年11月27日、全学連の国会突入闘争によって、「六〇年安保」の戦端を切り開く。 〈革命〉の実現にはいくつもの関門があった。「安保条約を破棄し、二つの体制の力の均衡の上になりたつ世界情勢のなかで、いかに日本社会の変革をなしうるのか」。あるいは「国家独占資本主義社会の根本からの改編をどうなし得るのか」。学生たちはこれらの基本的な問題を解決しなければならなかった。 空前の大衆運動 「内乱」の第一歩 『思想の科学』を創刊してアメリカの哲学の紹介や大衆文化研究などをおこなっていた哲学者の鶴見俊輔は、「六〇年安保」の行く末に悲観的だった。「今度も盛り上がらないだろう」。そう予想したからこそ『思想の科学』に掲載されたのは、安保反対ではなく、慎重な審議を求める声明だった(鶴見俊輔ほか『戦争が遺したもの』)。 ところがそこへ強行採決の報が入る。鶴見は国技館に相撲の千秋楽を観に行っていた。鶴見は喫茶店のテレビで強行採決を知った。 この強行採決を直接のきっかけとして、空前の大衆運動が起きる。鶴見には信じられなかった。大正生まれの鶴見や政治学者の丸山眞男のように「過去の日本を見てきた経験からいえば、こんなに大きな自発的な運動が起こるなんて、見たこともないし、考えられもしなかった」からである。鶴見たちは「それが起こったというだけで」、「もう半ば満足」した。鶴見に言わせれば、「そこがブント(共産主義者同盟)の若い学生たち」とはちがった。 ブントにとって「六〇年安保」は「内乱」の第一歩になるかもしれなかった。6月15日の国会突入の際に、ブントの活動家の樺美智子(東京大学の学生)が死亡したからである。警視庁の第四機動隊と学生との衝突のさなかに起きたこの事件によって、国会には深夜になっても群衆が集まって来た。「内乱」から〈革命〉へ、その前夜のようだった。 出動を拒絶した自衛隊 赤城の決意と幹部の現実主義 このような状況のなかで、岸内閣から自衛隊の出動の可能性が論じられるようになる。もっとも強く主張したのが佐藤栄作大蔵大臣だった。池田勇人通産大臣も賛成した。防衛庁長官は岸派の赤城宗徳だった。川島正次郎自民党幹事長も「党内のタカ派から、出せ、出せ」とせっつかれた。そこで川島は官邸の裏の防空壕をとおって防衛庁にたどり着き、赤城長官と会う。川島は赤城に決断を迫る。「自民党内には自衛隊を出せという意見が圧倒的で、君の立場も私の立場も、日に日に悪くなっている。本当はどうか、君の決断を聞きたい」(毎日新聞社編『新装版 60年安保闘争の時代』)。赤城はどう応えたか。 赤城は陸・海・空の三幕僚長に「本当の意見を言ってくれ」と質した。陸幕長が答える。若い自衛隊員が「発砲するかもしれない」。一度、発砲すれば「地方でもまた同じ騒動が起き、全国的に自衛隊と学生との激突が起き、同胞相撃の内乱状態になる可能性が強い」。そうなれば「自衛隊は国民から批判され、その将来はありません」。答えは明確だった。「出動には賛成できません」。海幕長は「海上で戦うのが任務」、空幕長も航空機や戦闘機などで「戦闘するのが任務」と治安出動を拒絶した。赤城は川島に言った。「私もこの人たちと全く同じです」。川島は「よし、わかった」と帰って岸に報告した。赤城は辞表を手にしていた。自衛隊の出動は回避された。赤城の強い決意と自衛隊幹部の現実主義が内乱を未然に防いだ。 それにしても「六〇年安保」はなぜあれほどまでの空前の規模の大衆運動を引き起こしたのか。そこには戦争の記憶が生々しく残っていた。鶴見が回想する。「戦争が終わってまだ一五年だった。家族とか戦友とか、死者の記憶がそれぞれ自分のなかに残っているんですよ。そして相手が岸だから、盛り上がった。戦争の記憶のエネルギーです」(『戦争が遺したもの』)。 たとえ岸の手法が国会法から逸脱していなくても、あの経歴を持つ岸による強行採決は、多くの国民に戦後民主主義を蹂躙するかにみえた。安保反対運動、さらには革命運動が民主主義を擁護する運動に転換した時、多くの国民は反岸のデモの隊列に加わった。 岸は混乱の責任をとって辞任する。日米安保条約の改定は批准された。その限りでは反安保、あるいは〈革命〉をめざす運動は挫折した。しかし反岸運動は成功を収めた。 【前回記事を読む】「五族協和」による「王道楽土」には程遠い傀儡国家・満洲国の実態と国民の反応

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