トルコ現地取材はなし 入管法の欠陥、地域住民の不安も取り上げず…NHK「川口クルド人特集」が犯した重大な過ちとは

 2025年4月5日夜、NHK Eテレにて「フェイクとリアル 川口 クルド人 真相」という番組が放映された。本番組は、NHKプラスでも配信され、4月9日深夜には再放送が予定されていた。しかし、再放送は直前に延期となり振替番組が放映された。NHKプラスからも同番組は削除された。同番組は修正のうえで再放送が予定されているが、本稿ではこの中止劇に見るクルド問題の複雑性とNHKの報道姿勢について考察する。 【前編】では、この番組が、いわゆる川口クルド人問題が意見の対立する問題であるにもかかわらず、クルド人当事者や支援者の発言を過剰に伝え、そして番組構成のテクニックによって、クルド人を一方的な「被害者」として描いたことについて指摘した。 NHK 【後編】では、上記に留まらない、この番組の重大な問題点について指摘する。 【滝澤三郎/東洋英和女学院大学名誉教授、元国連難民高等弁務官事務所駐日代表】 【前後編の後編】  *** 【実際の写真】「なんだこれ…」市議の元に届いた“衝撃の手紙” 異様な雰囲気の“手書き文字”で「川口はクルド人のもの」などと記されている クルド問題の本質を無視した番組  より大きな問題は、この番組はクルド人問題の本質に触れていないことだ。政治的にも社会的にも複雑な背景を持つクルド人問題を、大きな文脈から切り離してSNS投稿の数に焦点を当てることで、クルド人問題の本質から視聴者の目をそらし、問題をメディア研究に矮小化してしまっている。  第一に、番組はトルコ現地での取材を一切しておらず、日本の大手メディアがこれまで流してきた「クルド人=迫害される難民」という前提(というよりは今や虚構)に立っている。トルコ国内において今日クルド人がその属性によって迫害されていないことは、毎日新聞、産経新聞、読売新聞関係者だけでなく、筆者も昨年3月に現地を訪れて確認した。クルド人は他のトルコ人と全く同じ権利を持ち、現に国会議員や閣僚もいる。NHKのイスタンブール支局がそのことを知らないわけがない。番組ではクルド人青年が政治的背景を持つデモ参加によって5年11か月の禁錮刑を受けた後、収監直前に日本に逃れたと紹介されたが、15年前の特殊な事例に過ぎないのに、トルコ国内に居住する全てのクルド人が今も迫害を受けているかのような印象操作がされている。 入管法の欠陥  第二に、川口市におけるクルド人問題の背景には、2023年以前の入管法の欠陥があったことに触れていない。トルコ人は短期訪問について査証(ビザ)免除措置を受けていて、パスポートさえあれば観光や親族・友人訪問などを理由に日本に入国できる。2018年までは、日本で難民申請をすれば半年後から自由に就労することができた。いわゆる“難民ビザ”であり、難民制度を利用して日本での就労を目指す者に重用された。さらに難民申請は何度でも繰り返すことができ、その間は自由に稼働できた。  一番大きな問題は、難民申請中は例外なく本国送還ができないという「送還停止効」だった。難民申請を繰り返せば働きながら何十年でも日本に居残り日常生活を送ることができたのだ。重大犯罪で刑期を終え、強制送還される直前であっても難民申請しさえすれば送還は直ちに停止されるという世界にも例のない「人道的」な条項だった。「送還停止効」は、2004年の入管法改正の際に、難民申請中の者が不法入国などの理由で送還されることを防ぐために設けられた条項だが、それが意図に反して日本で就労を目指す者に利用されてしまったのだ。  その結果、帰国を拒否する「送還忌避者」が多く出た。帰国を命じられた者は原則として入管施設に収容されることになっているが、実際には人道的考慮から収容を解かれる「仮放免」という制度がある(この制度は昨年の入管法改正で「管理措置」になった)。合法的な在留資格を持たず、日本にいることが認められない者であるから、就労は認められず、社会保険に加入もできない。2025年2月時点で、難民申請中の「特定活動在留資格」を持つトルコ国籍者(主にクルド人)が2573人、難民認定申請で不認定となり不法滞在状態の者が1098人、そのうち帰国を拒否する仮放免中の者が738人いたが、その大半が川口市周辺にいた。  このような旧入管法の「隙間」を突く形で、クルド人難民申請者や仮放免者が川口市を中心に集住した。解体業で働き、親族を呼び寄せ、結婚して子供ができ、就学して定住した。「移民連鎖」で次から次へと人口が増えた上、2023年にはクルド人が多く住むトルコ東南部地帯の大地震の影響か、来日して難民申請する者が前年の445人から2406人へと急増した。仮放免者の中には罪を犯す者もいたが、入管庁による彼らの強制送還は人員と予算の制約からなかなか進まなかった。その結果、地域住民との摩擦も深まっていった。番組はこのような文脈、構造的な問題に全く触れていない。 地域社会の不安  第三に、番組は当事者や支援団体の声を同情的に紹介する一方で、地域住民の不安や懸念をまともに取り上げていない。「ゴミ出しのルール違反」「深夜の騒音」「交通ルールの無視」に始まって、ナンパや性加害などにより地域住民が不安を持っていることは「リアル」であるが、番組はそれらについては触れないか、過小評価している。2023年7月の川口市議会定例会では、議員から「地域住民の不安や生活の質の低下」に関する質問が出され、埼玉県議会でも「川口における外国人トラブルと多文化共生政策の限界」に関する議論がなされている。自治体の議会や行政、さらに入管庁などの国の機関も対応に苦慮しているのだが、それは全てスルーされている。 被害者か加害者か  一般的に言って難民を巡る言説には「犠牲者観」と「侵入者観」があり、両者は対立している。迫害を逃れて来た(と主張する)難民に対して、人々は「犠牲者」として同情し、受け入れる。しかし特定の受け入れ先の住民にとっては、見知らぬ多数の難民(申請者)が流入し、その一部が法や地域社会のルールを無視する行動に出た場合、彼らは今までの平穏な生活を乱す「侵入者」としてみなされることもある。これは世界のあらゆる国や地域で生じている問題であり、日本ではまさに川口がその現場に当たる。そうした難民を巡る言説を知ってか知らずか、今回の番組は、一貫してクルド人を「犠牲者・被害者」として描き、「侵入者・加害者」的な見方は隅に追いやられた。他方で、この問題を指摘するSNS投稿者は、川口市以外からヘイト発言を繰り返す「侵入者・加害者」扱いされた。このような描き方に対して、「被害者」としての地域住民や、「加害者」として扱われたSNSの投稿者は強く反発した。彼らにとっては、(一部の)クルド人こそが「侵入者」であり「加害者」なのだ。結果的に番組は双方のさらなる分断を生んだ。  番組は「不都合な真実」である難民制度の濫用・誤用など制度的な問題は無視し、「差別やヘイトへの警鐘」という倫理的スタンスを取ることで、実は対立する一方を支援する政治性のある番組と見られてしまった。 地雷を踏んだNHK Eテレ  今回の番組は、クルド人問題について、その歴史的、政治的な文脈を無視し、近視眼的な見方で紹介することで論点をそらし、「加害者は日本社会であり、被害者はクルド人である」という印象を残した。こうした構成は地域社会だけでなく、一部のクルド人に対して法律や社会規範の順守を強く求める日本社会から強い反発を買った。  同番組は結果的に、(1)クルド人に対する批判をさらに強め、(2)既にあったクルド人を巡る意見の対立と分断に拍車をかけ、(3)中立・公平であるべきNHKに対する信頼度を大きく落とした。川口クルド人問題の広がりを懸念する政府は、国会答弁などで総理大臣や法務大臣が「不法滞在者は我が国での在留を許さない」と言明しており、今回の番組放映を受けて仮放免クルド人送還を加速することになるだろう。そうであれば、番組の意図に関わらず、クルド人はNHK番組の「犠牲者」になったという面も否定できない。今回、NHKは不注意にも地雷を踏んだが、修正内容によっては第2の地雷を踏むこともあり得る。番組制作者と上層部の責任は重い。  ***  NHKに上記の滝澤教授の指摘について見解を求めたところ、以下の回答が寄せられた。 「今回の番組は、クルド人という言葉を含むSNS投稿について、タイムラインに沿って解析し、投稿が増加した時期の中心的な投稿内容の真偽を検証し、その背景に迫ることを目的に制作したものです。番組に対し、様々なご意見があることは承知していますが、引き続き、意見が分かれている問題などでは、できるだけ多角的な観点からお伝えしていきます」 【前編】では、この番組が、いわゆる川口クルド人問題が意見の対立する問題であるにもかかわらず、クルド人当事者や支援者の発言を過剰に伝え、そして番組構成のテクニックによって、クルド人を一方的な「犠牲者」として描いたことについて指摘している。 【関連記事】「川口市に集まるクルド人は本当に難民なのか? 『僕自身がクルド人だが、トルコで迫害はない』」、「川口市のクルド人の来日目的は『就労と家族統合』 クルド人自身が『弟は難民じゃなくて移民』」では、滝澤氏が現地調査に基づいたクルド人の実情を詳細に語っている。 滝澤三郎(たきざわさぶろう) 東洋英和女学院大学名誉教授。1948年、長野県生まれ。東京都立大学大学院修了後、法務省に入省。カリフォルニア大学バークレー校で経営修士号を得た後、国連ジュネーブ本部やUNRWA(国連パレスチナ難民機関)などに勤務し、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)では財務局長、駐日代表を務めた。東洋英和女学院大学の教授を経て、現在は名誉教授。 デイリー新潮編集部

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