4月14日から日本武道館での公演がスタートしたエリック・クラプトン。今回の最終日が武道館での110回目のライブとなる。これは海外アーティストとしてはぶっちぎりの回数だ。 【この記事の写真を見る】「美人妻を奪われた男」と「奪った男・エリック・クラプトン」の気まずい2人のツーショット これほど長いキャリアとなると代表曲は数多く、ライブですべてを演奏するわけにもいかない。ファン投票すれば必ず上位に食い込むであろう「いとしのレイラ」(デレク&ザ・ドミノス)ですら演奏されないことも多い。 この曲は、不倫関連の話題をテレビの情報番組などで扱う際に、BGMとして使われることが珍しくない。なぜ使われるのか、事情を知らない人は単なるBGMとして聞き流すことになる。 パティ・ボイド、ジョージ・ハリスン 一方でロックファンにとっては周知のことなので、制作側の意図に気付いてニヤリとする人もいることだろう。不倫をテーマにした歌というよりは、不倫が生んだ名曲だからだ。 ある時期から「大人のロック」の代表格のような扱いを受け、渋くてダンディーなイメージばかりが拡散されるようになったが、若い頃のクラプトンの私生活はかなり乱れたものだった。薬物にせよ異性関係にせよ、現在の価値観ならば完全にアウト扱いのエピソードが多い。 では、「いとしのレイラ」はどのように生まれたのか。そこにはどういう形で道ならぬ恋が関係しているのか。 ロック界のレジェンドたちの仰天エピソードを集めた『不道徳ロック講座』(神舘和典・著)をもとに見てみよう(以下、同書をもとに再構成しています) *** 愛妻は親友の元妻 音楽で女性にアプローチする第一人者の一人が、エリック・クラプトンだろう。 1991年にクラプトン(写真右)と、25年ぶりの来日公演を果たしたジョージ (撮影・田中和義) クラプトンは1945年にイギリス、イングランドのサリー州リプリーで生まれた。 1963年に黒人のブルースに影響を受けたイギリスの白人によるバンド、ヤードバーズに加入。ヤードバーズはクラプトンの後、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジというロックファンに絶大な人気の腕利きギタリストが在籍したことでよく知られている。 そして、クラプトンのオールタイムのキャリアのなかでも代表的なアルバムがデレク・アンド・ザ・ドミノス在籍時の『いとしのレイラ』や、その後のソロ作『スロー・ハンド』で、それらに収録されている曲の多くが、元妻のパティ・ボイドに捧げられている。 不倫で自粛なんかするわけないだろ! 仲間の妻や恋人に次々と関係を迫る。メンバー全員でファンをホテルに連れ込む。薬物に溺れて入院させられる。金に困って万引きをする……現在の日本人アーティストなら「一発退場」にされかねないエピソードを欧米のロック・スターたちは自ら赤裸々に明かしている。ミック・ジャガー、エリック・クラプトン、ジョン・レノン等、デタラメで不道徳、でも才能あふれて憎めないロクデナシたちの伝説を堪能できる一冊 『不道徳ロック講座』 好きな女性のための曲を堂々と歌い演奏し、それを世界中のリスナーに発信してしまうとは、恥ずかしくないのだろうか——なんてことをクラプトンは気にしない。 リスナーも当たり前のように受け入れている。おそらくこれらの曲の質が高いからだろう。どんなモチベーションでつくられたとしても、曲自体がよければOKだ。 美しすぎる人妻 パティは、クラプトンと結婚する前は親友、ジョージ・ハリスンの妻だった。 ザ・フーのピート・タウンゼンドはその自伝で、パティと初めて会ったときの驚きを語っている。その当時、彼女はまだジョージの妻だった。 「夢でしかお目にかかれないようなその顔立ちには、人と仲良くしたいという透明な思いがあふれていた」(『ピート・タウンゼンド自伝 フー・アイ・アム』ピート・タウンゼンド著/森田義信訳/河出書房新社刊) そんな夢でしかお目にかかれないほど美しいパティを愛してしまったクラプトン。歌でも口説き、長い時間をかけて自分の妻にした。 二人が出会ったのは1968年。当時クラプトンはロンドン郊外で暮らしていた。近所にジョージ・ハリスンとパティ夫妻がいた。クラプトンとジョージの交流のなかで生まれたのが、ビートルズの名盤『アビイ・ロード』でジョージが歌う「ヒア・カムズ・ザ・サン」だ。 まずは妹と付き合ってみた 二人と頻繁に食事をするうちに、クラプトンはパティに魅かれていく。しかし、クラプトンは親友の妻を奪うことをためらう。想いを一度は胸の中に封じ込めた。 その気持ちを抑えるために、彼女の妹のポーラとも付き合った。きっかけをつくったのはジョージだ。 ポーラに邪(よこしま)な興味を持ったジョージが、クラプトンにパティと関係することを勧めてきた。クラプトンがパティとベッドに入っている間にジョージがポーラと関係するという、なかなか問題のある提案だった。 ところが、すんでのところでジョージは躊躇する。怖くなったのだ。 パティとできなくなったクラプトンはポーラと寝た。 クラプトンは、ポーラに姉のパティを感じ、さらにパティへの想いを強くする。ジョージが出かけていてパティが一人在宅していそうな時間をねらって訪ねるようになる。そしてついに、パティに自分の気持ちを伝える。 しかし、かんたんにはクラプトンの想いに応じないパティ。それでも、二人の距離はどんどん近づいていく。パティとジョージの関係はうまくいっていなかったのだ。 クラプトンは、ジョージにも、パティへの自分の想いを打ち明けてしまう。困惑するジョージ。どうすることもできない、クラプトン、ジョージ、パティの3人。 そんな1970年、クラプトンはディアン・オールマンやジム・ゴードンと組んだバンド、デレク・アンド・ザ・ドミノスで、ロック史に輝く名盤をレコーディングした。『いとしのレイラ』——パティへの報われない愛で胸が張り裂けそうになっていたクラプトンの想い満載のアルバムだ。 ほかの誰かの女を愛することが罪ならばオレは死ぬまで罪を犯し続けるとうったえる「アイ・ルックト・アウェイ」。ツアーのお土産にパティにベルボトムのジーンズをねだられたことから生まれた「ベル・ボトム・ブルース」では、チャンスをくれ、お前の心のなかにずっといつづけたいと懇願する。タイトルチューンの「いとしのレイラ(Layla)」では、オレはお前に跪(ひざまず)いて許しを請う、とうったえる。 どの曲も抜群の楽曲、抜群の演奏、抜群の歌。クラプトンが今も歌い続けている代表曲だ。 愛の成就に費やした6年で名曲を量産 「私たちの状況を説明する歌詞がたくさん出てくる完成した『レイラ』のアルバムを聴けば、私の愛の叫びに負けて、ついにジョージを捨てて、私とずっと一緒にいるようになるのだと確信していた」(『エリック・クラプトン自伝』エリック・クラプトン著/中江昌彦訳/イースト・プレス刊より) クラプトンはそうふり返っている。 このころ、クラプトンはピート・タウンゼンドにこんな依頼をしている。 「パティにはなんとしても、夫を捨てて俺のところへ来てほしい。だからピート、俺がパティとふたりきりでいられるように、そのあいだジョージを別のところに引きとめてくれないか?」(『ピート・タウンゼンド自伝』より) ピートはクラプトンの頼みを聞き入れて、ジョージと親睦を深めた。二人は気が合い、ほんとうに仲よくなった。 しかし、クラプトンのたくらみは失敗に終わる。『いとしのレイラ』のあまりの完成度の高さに、パティは感動とともに震えあがり、逆に気持ちが引けてしまった。 そんなパティに対しクラプトンは取り乱し、ジョージを捨てなければヘロインを常用してやると言う。しかしこの子どもっぽい脅しも逆効果だった。パティに距離を置かれ、クラプトンのアプローチはまた空振りに終わった。 クラプトンのパティへの想いがやっと成就したのは1974年。名盤『461オーシャン・ブールヴァード』をレコーディングしたときだった。 ジョージとパティの関係が絶望的な状況になり、クラプトンはパティへのアプローチを再開する。このときはベストタイミングだったのだろう。『461オーシャン・ブールヴァード』のツアーにパティは合流した。 二人が出会ってからすでに6年が経っていた。愛の成就に6年かかったおかげで、いい曲もたくさんできた。リスナーも楽しませてもらえた。 ただし、クラプトンの粘りは立派だが、パティ一筋だったわけではない。その間も別の女性と関係していたし、パティがツアーから離れた後は、ショーの後にはワンナイトの相手とベッドに入っている。これも自伝で正直に語られている。 1977年にリリースされたアルバム『スロー・ハンド』に収録されている、日本人女性にとても人気があり、フジテレビ系のテレビドラマ『しあわせの決断』の主題歌にも使われたバラード「ワンダフル・トゥナイト」もパティに書いた曲だった。パーティーや会食へ出かける際、着替えに時間がかかる彼女の様子が歌われている。 ようやく結婚したはずが しかし、クラプトンとパティの夫婦生活は長続きしなかった。 大きな理由の一つは、結婚後、前にも増してクラプトンが外で飲み歩くようになっていったことだ。ドラッグとアルコールに依存し、治療して戻ると、また酒が欲しくなる。その状況にパティは表情を曇らせた。 パティが不妊症であることがわかり、それも二人の間の溝を深くした。やがて、パティは新しい若い男性との交際を始める。 そのときの苦しみも、クラプトンは音楽にしてしまう。そのアルバムが『ビハインド・サン』だ。二人の生活への失望が曲になっている。 新しい出会いを求める女性が主人公の「シーズ・ウェイティング」、囚人のような生活を送る自分を歌う「ジャスト・ライク・ア・プリズナー」、ひたすら謝る「セイム・オールド・ブルース」だ。そして、タイトルチューンの「ビハインド・サン」にはパティが去っていったときの気持ちが歌われている。 そして1989年、二人は離婚する。 パティと出会ってからの日々は、つらい時期だったかもしれない。しかし、彼のキャリアを俯瞰すると、アーティストとしてもっとも数多くの代表曲が生まれたのはこの時期だ。「いとしのレイラ」「ベル・ボトム・ブルース」「ワンダフル・トゥナイト」「ビハインド・ザ・サン」などはパティとの関係性のなかから生まれた。 *** パティとは別れることになったクラプトンだが、ジョージとの友情は続いた。二人の競演ツアーは1991年、なぜか日本でのみ実現。これもまたクラプトンと日本の縁の深さを示す事例の一つと言えるかもしれない。 神舘和典(こうだて・かずのり)1962(昭和37)年東京都生まれ。雑誌および書籍編集者を経てライター。政治・経済からスポーツ、文学まで幅広いジャンルを取材し、経営者やアーティストを中心に数多くのインタビューを手がける。中でも音楽に強く、著書に『不道徳ロック講座』など。
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