古くから日本人に親しまれてきたスパゲッティ「ナポリタン」。その名を知らない人はいないと言ってもいいほど、おなじみの存在だろう。昨今では昭和レトロブームで、昔ながらの喫茶店の定番メニューとして、再び脚光を浴びている。 【画像】驚きの安さで話題、ロピアの「小林さんちのナポリタン 肉肉超絶ミート」 しかしながら、いま外食時に「ナポリタン」を選択する人はどれだけいるだろうか。長きにわたり愛されてきた存在といえども、かつてに比べると人々から選ばれにくくなっている。 その背景には、さまざまな要因があるようだ。節目となったのは、バブル景気と重なる1980年代の「グルメブーム」の時期だという。日本ナポリタン学会会長・田中健介氏は、ナポリタンが「外食」として大きな転換期を迎えた時期としてとらえている。なぜ、その時期を境に「外食のナポリタン」は衰退の道をたどったのか──。 田中氏の著書『ナポリタンの不思議』(マイナビ出版)より、外食としてナポリタンが選ばれにくくなった理由についてお届けする。(同書より一部抜粋して再構成)【全3回の第2回。第1回を読む】 * * * 【1】グローバル化によるナポリタンのガラパゴス化 グルメブームは、フランス料理をはじめ各国の食文化を我々日本人に植え付け、食のグローバル化を進めた。 特に「イタ飯ブーム」は大きな影響を与えることとなった。「サイゼリヤ」が本物のイタリア料理をリーズナブルな値段で全国で食べさせてくれるまでに定着した例を見れば明らかであろう。 イタ飯ブームで本格的なイタリア料理店が増え、人々はそこに足を運んではスパゲッティカルボナーラやジェノベーゼスパゲッティなど、様々なスパゲッティ料理を楽しむこととなる。その過程で、イタリア料理のメニューにスパゲッティナポリタンの文字がないことに気付くのである。そして同時にスパゲッティの茹でたてのわずかに芯が残るかどうかの絶妙な食感、「アルデンテ」という言葉も覚えることとなるのだ。 アルデンテという概念がなかった時代、当時日本人に好まれたうどんのような食感を求めて茹でた麺を冷蔵庫で一晩寝かすという工程は、ナポリタンだけのものとなってしまい、茹でたて麺を迅速に提供するイタリア料理店ではメニューに入れると手間が増えるだけである。 またトマトソースが生命線とも言えるイタリア料理店でトマトケチャップを用いること、それを前面に出してしまうことは、その店の根幹を揺らがせかねないだろう。 「フランス料理でもガロニ(付け合わせ)としてスパゲッティを用いることは今はあまりなくなりましたね」と、ホテルニューグランド名誉総料理長の宇佐神茂氏も話すように、グルメブームにおけるフランス料理の世界でも、イタ飯ブームで急速にスパゲッティ料理が発展し、人々がいろいろな知識を持ってしまった以上、わざわざガロニにスパゲッティを付けるようなことをするよりは、フランス料理はフランス料理としてさらに文化を深めていったのだろう。 スパゲッティナポリタンは、こうしたガラパゴス化によって危機的状況となった。 【2】外食産業のチェーン展開、個人店の衰退 グルメブームは人々に外食の楽しさをもたらした。1970年に府中で「すかいらーく」1号店が、1974年に「デニーズ」1号店が産声を上げ、ファミリーレストランが核家族の週末に愛されるようになった。さらに、1985年の男女雇用機会均等法の制定などで人々の生活は多様化し、外食そのものが必要不可欠なものとなって、外食産業のチェーン店化がますます発展した。 一方で個人営業の飲食店がチェーン店の波にのまれ、減少していく。 喫茶店に関して言えば、厚生労働省が2016年に発表した「喫茶店営業の実態と経営改善の方策」によると、1986年に約15万軒もあった喫茶店の事業者数が、2012年には約7万軒にまで減少している。26年の間に日本の喫茶店が半分以上も閉店しているのだ。 バブル崩壊やその後の度重なる平成不況でビジネス利用が減っていったことも背景にあるだろう。 しかしながら、1990年に原宿で1号店をオープンさせた「ドトールコーヒーショップ」はそんな中でも順調に店舗数を伸ばし、いまや1000店舗を超える。1996年に日本に上陸した「スターバックスコーヒー」も国内2000店舗に迫る勢いだ。どちらもセルフ式コーヒーショップと呼ばれるもので、カウンターで注文してさっと提供されるという、ゆったり時間が流れる従来の純喫茶のような形態とは異なる。このあたりに社会の変化というのも見えてくる。 喫茶店自体の数が減る中でチェーン店の店舗が増えているということは、個人営業の喫茶店はさらに厳しい状況に追い込まれているのが窺える。喫茶店のナポリタンを食べられる機会は、今こうしている間にもどんどん減っている。 【3】家庭料理(内食)として手軽にできることと中食事業の充実 スパゲッティナポリタンはトマトケチャップとスパゲッティがあれば、あとは何か具材を加えることで成立してしまう料理と言っても過言ではない。スーパーマーケットへ行けば、トマトケチャップとスパゲッティのコーナーは間違いなくあり、パスタソースのコーナーには茹でたスパゲッティに和えるだけのナポリタンソースもある。チルド麺のコーナーには茹でてあるものにシーズニングが付いたものもあり、冷凍食品コーナーにはレンジでチンするだけのナポリタンもある。 家庭料理(内食)として手軽にナポリタンを楽しめる土壌が出来上がっている。 日清製粉ウェルナでは1983年から常温タイプの「マ・マー ゆでスパゲッティ」のナポリタンを販売しているが、ナポリタンのソースや冷凍食品のナポリタンを本格的に販売したのは1990年代後半になってからだ。 1980年代後半までは、スパゲッティナポリタンは外食で食べるか、家庭ではトマトケチャップを使用して作られるかの選択肢だけだったという。一方、ミートソースに関しては既に缶詰として販売されていたので、同じようにナポリタンソースを缶詰で販売したところなかなか売れなかった。そこで、「じゃあトマトケチャップと同じチューブ型にしたらどうか」と1990年代末期に発売されたのが「マ・マー 具入りケチャッピーナポリタン」だった。この戦略は当たり、四半世紀経った現在までロングセラーとなっている。冷凍食品でもワンディッシュタイプのパスタを出そうとナポリタンから始めたところ、こちらもロングセラーとなっている。 外食と内食の中間に位置する中食においても、コンビニエンスストアの弁当コーナーをのぞけば、間違いなくナポリタンは置いてある。スーパーマーケットの総菜コーナーをのぞいてもナポリタンがある。神奈川県発祥のスーパーマーケット「ロピア」では「小林さんちのナポリタン(超絶ミートソース)」がボリューミーで良い。持ち帰り弁当の「ほっともっと」でも最近まで「ファミリーナポリタン」というのがあった。焼肉バイキングの「すたみな太郎」でも、コロナ禍で外食が敬遠されがちだった期間に「爆盛1.6kgナポリタン」をテイクアウト販売していた。 ナポリタンは内食・中食業界ではかなり存在感を出しているが、その充実ぶりがかえって「別に外でナポリタンを食べなくてもね」という心理に繋がっていってしまった背景もあるのではないかと思う。 (第3回を読む)