どこか懐かしさを感じるスパゲッティ「ナポリタン」。昨今のレトロブームを背景に、往年のファンだけでなく若者世代も魅了している。 【画像】ホテルニューグランド発祥メニューとして、愛され続けている「スパゲッティナポリタン」 そんな老若男女に親しまれるナポリタンは、そもそもイタリア料理ではなく、フランス料理がルーツであることをご存じだろうか。終戦後、フランス料理のガロニ(付け合わせ)の位置づけだった「スパゲッティ(マカロニ)・ア・ラ・ナポリテーイン」を、横浜のホテルニューグランドが「アラカルト(一品料理)」としてアレンジ。進駐軍の米兵が食べていたトマトケチャップ入りのスパゲティをヒントに、トマトソースベースのナポリタンが誕生した。それがナポリタン発祥の一般的な説だと言われている。 こうして生まれたナポリタンは、日本各地に広まる中で独自の進化を遂げた。その過程で、地域によってレシピや呼び方が少しずつ変わっていったようだ。関東ではナポリタンと呼ばれる一方、関西では歴史あるお店ほどナポリタンを「イタリアン」と呼ぶ傾向がある。さらに、これとは別に神戸では独自の“マカロニ文化”があり、「マカロニイタリアン」が愛されている。なぜ、このような違いが生まれたのか。 日本ナポリタン学会会長・田中健介氏が、ナポリタンの知られざる歴史と魅力に迫った『ナポリタンの不思議』(マイナビ出版)より、ナポリタンとイタリアンのルーツと呼び方の謎についてお届けする。(同書より一部抜粋して再構成)【全3回の第1回】 * * * 日本郵船は、1942年に『社船調度品由来抄』という本を上・中・下の3巻にまとめて出版している。 これは戦局が怪しくなってきたことを危惧し、戦争が終結したのちに混乱のないよう、日本郵船が所有する船のあらゆる調度品をまとめたものである。 上巻は船用品について、中巻は和食について、そして下巻は洋食についての調度品がまとめられている。 下巻の洋食編では、マカロニの作り方が記されている。ロングタイプのスパゲッティから様々な形のショートパスタまで16種類ほどの写真が掲載されている。80年も前から、こんなにバリエーションがあったのかと驚く。気になる記述がある。 《Semolinaは小麥粉のグルーテンのみにして作りたるマカロニーにして、ダラム麥粉のグルーテン即ちFerinaにして製したるものをFerinaMacaroniと曰ふ。 此の兩者は共に純良なるマカロニーにして、クリーム黄の色を呈し之を調理するもよく形を保つ。》 「ダラム麥粉」というのは恐らくデュラム小麦粉だと思われる。「クリーム黄の色を呈し」とあるのはデュラム小麦の比率が高いほど黄色くて良質であるということ。80年以上も前から日本には「デュラムセモリナ100%のパスタこそ本物である」という認識があったのだ。 そしてこの書には各航路のコースメニューの内容も記されており、南米航路のランチメニューに「マカロニー伊太利式」というものがあったのだ。 「この『マカロニー伊太利式』のレシピについては残念ながら現時点で見つかっていません。トマトソースがベースなのかどうかも、ちょっとわからないのです」(日本郵船歴史博物館学芸員・遠藤あかね氏) もしこれがトマトソースベースであるならば、神戸で愛される「マカロニイタリアン」は、この「マカロニー伊太利式」からのアレンジだったという推測もできるのではないだろうか。 ドウタース・オブ・アメリカ委員『アメリカンレシピ』 アメリカに「Daughters of the American Revolution」という愛国女性団体があるが、かつては横浜市中区山下町にもその支部があったようで、1939年に「ドウタース・オブ・アメリカ委員」による編集で『アメリカンレシピ』という本が出版されている。恐らくは横浜の外国人居留地に住む外国人の奥様向けに作られた家庭料理のレシピ集なのだろう。 その名の通りアメリカ料理のレシピが多く記載されているのだが、「ItalianSpaghetti」のレシピがある。和訳もされており、メニュー名は「スページット」。製法についてはこうだ。 《ベーコン六切位を鍋にて焼き、他の器に取り鍋の中へ玉葱一個を切りて入れ一寸いためトマト壷罐(又はキャムベルのトマトソース)を加へ二十分程煮込みます。 別にスページット(マカロニの細きもの)半箱を茹でゝ良く水を切り、上記のトマトと玉葱を加へ、焼いたベーコンを加へ、タバスコにて味を附けて供します。 此の中へ肉を加へ焼皿に入れ、其の上にチーズをすりおろしてかけ、天火に入れチーズを溶かして召上る方もあります。ベーコンの代りにハムも使ひます。タバスコは稀に用ひる物なれば略してもよろし》 これはまさにナポリタンそのものではないだろうか。タバスコを推奨しているところなどはアメリカらしくもある。 京都の老舗喫茶店「イノダコーヒー」などは比較的これに近いレシピなのだろうと思われる。 『荒田西洋料理』はイタリアンとナポリタンの両方記載 ナポリタン発祥とされる横浜のホテルニューグランドなど、数多くの名店を渡り歩いた荒田勇作氏が手がけた超大作『荒田西洋料理』の「仔牛・粉・御飯料理編」では、マカロニの項で「Macaroni Italian(マカロニのイタリヤ風)」と「Macaroni Napolitan(マカロニのナポーリ風)」と、イタリアン・ナポリタンの二つが存在し、スパゲッティの項においても「Spaghetti Italian(スパゲッティのイタリヤ風)」「Spaghetti Napolitan(スパゲッティのトマト和えナポーリ風)」と、イタリアン・ナポリタンの両方が存在しているのだ。 内容を見るとスパゲッティもマカロニもソースの内容は同じである。イタリアン、ナポリタンのどちらもトマトを使用したものであり、明確な違いはイタリアンは残り物の肉を使用、ナポリタンは「旧来のものはトマトの赤味を付けただけ」としているが、「ペパロニかサラミ・ソウセージなどを混ぜ合わせているところもある」としている。 「ところもある」というのが、ナポリタンがフリースタイルな料理であることの表れかも知れない。あらゆるナポリタンが全国にある昨今、どちらのレシピで作っても「スパゲッティナポリタン」と言われればそうかと何の疑いもなく食べるだろう。そのくらいの違いだ。 さらには「Spaghetti Mexican Style(スパゲッティのメキシコ風)」というレシピも存在し、そちらはトマトソースにピーマンを使用しているので、こちらの方がより日本式スパゲッティナポリタンに近いものである。 フランス料理はあくまで◯◯風というのが多く、創作の幅があるために作り手によって変えやすい部分もあるから、こうしてみると非常に混沌としている。 ナポリタン・イタリアン問題の筆者的結論 日本郵船の『社船調度品由来抄』のマカロニー伊太利式や、ドウタース・オブ・アメリカ委員『アメリカンレシピ』、そして『荒田西洋料理』に見るように、西日本エリアに散見されるスパゲッティイタリアンはスパゲッティナポリタンとは別のレシピから成り立っていったものであることで間違いなさそうだ。 筆者としては、関西のイタリアンは神戸から生まれたと推測する。 荒田氏が残した書籍にもあるように、ナポリタンとイタリアンは別々に存在したものの、関東では横浜のホテルニューグランドで、スパゲッティナポリテーインが先に伝来し、アラカルト料理となって戦後アメリカのトマトケチャップが入り込みナポリタンへと進化したが、神戸ではアラカルトは後発となるため、スパゲッティよりもガロニの印象の強いマカロニの方がポピュラーだったのではないか。 フランス料理としてホテルでのマカロニのイタリヤ風、あるいは日本郵船のマカロニー伊太利式あたりから伝来し、戦後は横浜と同様にアメリカのトマトケチャップが入り込むことによって、マカロニイタリアンが生まれ、1955年のパスタ元年(編集部注:日清製粉ウェルナのマ・マーブランド、ニップンのオーマイブランドの2社が量産製造を開始)以降に大阪や京都へスパゲッティイタリアンとして広がっていったのではないのだろうか。 関東でもトマトソースもしくはケチャップを用いたナポリタンをスパゲッティイタリアンとして提供するお店は少なくないが、その店のルーツがどこであるかによってメニュー名が決まったものだろう。 「関東がナポリタンなら関西はイタリアンや!」 そんな東西の対抗意識から生まれたわけではないということだけは言えそうだ。 (第2回を読む)