ミドル〜シニア層の日本人にとって、真に有効な健康習慣とは? あなたの「老化時計」の進み方を大きく変える、「食事」「運動」「ライフスタイル」について、最新研究の成果から解説。「健康の常識」をアップデートする新連載! 本記事は、 『健康寿命と身体の科学 老化を防ぐ、50歳からの「運動・食事・習慣」』 (樋口 満・著)を一部抜粋・再編集したものです。 最高のトレーニング法 「ローイング」 「ボートを漕ぐ」ことを英語では「ローイング(Rowing)」といいます。 もうすこし正確に表現すれば、「艇の進行方向に対して後ろ向きにシートに座り、オールを使って手でボートを漕ぐこと」をローイングと称しています。手漕ぎボートによるローイングは、近代オリンピックの創始者であるクーベルタン男爵も愛好した、欧米諸国ではメジャーなスポーツです。 公園の池でボートを漕ぐところを想像してみてください。こうしたボートでは、固定されたシート(座席)に後ろ向きに座り、両手でオールをもって水をかき回して進みます。 そのため、ボート漕ぎといえば、上腕の運動、ないしは上体の運動とイメージしている方が多いかもしれません。しかし、実際のボート競技で使われているボートは、シートが前後にスライドするため、大きな推進力を生むには両脚の伸展パワーが大事です。もちろん、ローイング動作の後半には体幹と上腕を使います。 図4-28は、ローイング運動による脚、体幹、そして上腕の動きと、それらが発揮するパワーの比率を模式的に示しています。 この図からもわかりますが、ローイング運動はからだ全体の筋肉の70%ほどを動員して行われる全身運動なのです。 近年では、室内で実施できるローイング・エルゴメータ(ボート漕ぎマシン)が開発され、スポーツジムはもちろんのこと、ホテルのフィットネスルームでもよく目にするトレーニング機器となっています。 また、自宅でも実践可能な方法として、エクササイズ・チューブを用いたローイング運動もオススメです。 ローイング愛好者の体力 ローイング運動は、心肺体力維持のための効果的な有酸素運動として、以前よりアメリカスポーツ医学会(ACSM)に推奨されています。 図4-29は、高齢男性ローイング愛好者の心肺体力を、運動習慣のない人々との対比で示しています。 この図から、ローイング愛好者の心肺体力が非常に高いことがわかります。 高齢男性ローイング愛好者のパワー 図4-30からは、ローイング愛好者は、一般高齢者にくらべて、MRI撮像によって得られた脚伸展筋の断面積が大きく、脚伸展パワーも非常に高くなっていることがわかります。 ローイング愛好者は動脈硬化、心臓病予防と関連する血液生化学的指標である血中HDL─コレステロールも高レベルです。これは、ローイングが健康効果の非常に高い有酸素運動であることを示しています。 シニア女性ローイング愛好者の大腰筋断面積 さらに、シニア女性の脚筋と体幹筋の筋断面積を運動習慣別に比較したところ、シニアローイング愛好女性では、同年齢層の一般女性やウォーキング愛好者にくらべて、体幹、とくに大腰筋の断面積が顕著に大きいことがわかりました(図4-31)。 週5日のローイング運動を継続的に行っている中年男女を対象とした先行研究では、同年齢層の一般男女と比較して、動脈の柔らかさの指標である「動脈コンプライアンス」が有意に高く、動脈の硬さの指標である「動脈スティフネス」が有意に低いことが報告されています。 また、私たちが研究対象とした週2回程度のローイング運動を行っていた中高年では、非運動対照群とくらべて、全身性の血管の硬さ/柔らかさの指標である脈波伝播速度(PWV)が低い、つまり血管がより柔らかいことが明らかになっています。 これは、ローイング運動に動脈硬化への高い抑制作用があることを意味します。 ローイング愛好者のテロメア長 テロメアは特徴的なくり返し配列をもつDNAと、さまざまなたんぱく質からなる構造で染色体の末端にあり、染色体を守るキャップの役割をしています。 テロメアは細胞分裂で短くなるので、若い人では長く、高齢になるほど短くなっていきます。ある時点で細胞分裂ができなくなってしまうので、「寿命の回数券」とも呼ばれています。 加齢によりテロメアは短くなる傾向がありますが、一般人とマスターズ・ボート選手では違いがあるのでしょうか。 両者を分けてみてみると、図4-32のように、一般人ではその傾向が顕著ですが、マスターズ・ボート選手だけでみると、テロメアが短くなる傾向は認められませんでした。 この調査研究は、2019年にハンガリー・ブダペスト郊外の湖で開催された世界マスターズ・ローイング大会にて、早稲田大学とハンガリー・スポーツ科学大学との共同で行われました。 早稲田大学からは、運動免疫学が専門の鈴木克彦教授らが参加しました。この調査研究は横断研究なので、はっきりとしたことはいえませんが、日常的なローイング・トレーニングが寿命を延ばす効果がある可能性を示唆しています。 室内でできるローイング・エクササイズ これまで紹介してきました横断的データにおけるローイング愛好者は、同世代の一般人とくらべると体格が大きいという特徴をもっていました。 大学で体育会系ボートクラブに所属して、激しいトレーニングを行ったのち、大学卒業後に社会人となり、長い中断期を経て、再びオールをとるようになって、現在はマスターズ大会に参加するまでに至った方々です。 このような高齢ローイング愛好者の良好な体力や健康度に関する表現型は、必ずしもそれぞれの遺伝素因が良好であったからではなく、ローイング運動の習慣化であった可能性が、SNP解析による遺伝的リスク評価からも示唆されています。 さらに、私たちは、これまで全くボート漕ぎを行った経験がない健康な高齢男性を対象として、ローイング運動の健康効果を検討しました。対象者をランダムにローイング・トレーニング群と非トレーニング群に分け、トレーニングにはローイング・エルゴメータを用いました。 具体的なトレーニングは、5分間のウォーミングアップ後に準備運動・ストレッチをしてから、目標心拍数を65~80%HRmax(最大心拍数)として10分間のローイングをし、2〜3分のインターバルをおいて、再び10分間のローイングをしてから、5分間のクールダウンをして、エルゴメータから降りて体操・ストレッチをして終了としました。頻度は週3回で、期間は6ヵ月でした。 このローイング・トレーニングによって、最大酸素摂取量は15%増加し、腹部皮下脂肪は11%減少しました。また、筋量においても、大腿部が9%、体幹部が7%増加しました(図4-33)。 とくに、体幹部の腹直筋と大腰筋での増加が顕著にみられます。この結果は、前述した横断研究の結果と同様の傾向であり、ローイングは、高齢者に対して心肺体力を上昇させる有酸素運動であるとともに、筋量を増加させるレジスタンス運動の効果をあわせもつトレーニングであることが明らかになりました。 エクササイズチューブを使ったローイング運動 実際に屋外で水に浮かんだボートを漕いだり、ジムでローイング・マシンを使ったりするトレーニングは、残念ながら誰にでもできるわけではありません。しかし、先ほども申し上げたとおり、ローイング運動はエクササイズ・チューブを使えば、猛暑が続く夏季でも、雪が降るような寒冷な冬季でも、エアコンの利いた家庭内の狭いスペースで、快適に行うことができます(図4-34)。 私たちが行った60〜70歳の男性を対象とした実験では、ややきつい強度(約60%HRmaxに相当:1分間に20回のペース)で、約20分間(10分╳2回)、週3回、12週間におよぶチューブを使ったローイング運動を行ってもらいました。それによって、体幹、とくに大腰筋の筋量が8%も増加し、イスの座り立ちテストの成績も11%改善されました。 また、狭い家庭のリビングに置くこともでき、音も静かなe─ローイング・マシンもあります。ぜひ、いつでも家庭でできる「ボート漕ぎ運動」を、健康・体力づくりに組み込んでいただきたいと思います。 ローイング運動はシニアにオススメの「動楽」 まとめると、高齢者にとってもローイング運動は、有酸素運動的要素による体脂肪の減少と心肺体力の向上、レジスタンス運動的要素による筋量増加・筋力向上の両方をあわせもつ、効果的で安全な運動であるといえます。また、ローイング運動は、膝に障害のある人にも無理なくできる運動です。 最後に、ワシントン大学医学部教授で、私の師でもあるホロツィー博士のコメントを引用します。 私は50歳になるまでに膝の関節炎を患い、それはランニングによるトレーニングができなくなるほどひどいものでした。 運動を続けるために、私はさまざまな運動を試みましたが、そのなかでエルゴメータによるローイング運動は私の膝を痛めないことがわかりました。 その後の10年間に、私は次第に高い強度でトレーニングを行ってきましたが、腱炎、肉離れ、足首の捻挫など多くの障害を引き起こすランニングとは対照的に、ローイングはなんの障害も引き起こしませんでした。 『ローイングの健康スポーツ科学』への推薦文より ローイング運動は、座位で行うため膝関節への負担も少なく、自らの発揮パワーで強度を決められます。無理なく、個人の能力に応じて行える運動であり、子どもから高齢者、肥満者や膝関節症に悩む人など、あらゆる人々が実施可能な安全で効率のよい「動楽」なのです。 * * * 本連載では、スポーツ科学の第一人者が、「健康長寿の秘訣」をエビデンスに基づいてお伝えしていく。 【初回〈「真面目なバス運転手」の悲しい末路…最新研究で明らかになった「寿命を縮める習慣」〉から読む】