日中戦争はなぜ「誰も望まないのに拡大した」のか? その「謎」にたいする「一つの答え」

2025年は「昭和100年」にあたります。 昭和史のエキスパートである学習院大学教授・井上寿一さんの新刊『新書 昭和史』は、昭和元年から始まって現代に至るまでの100年の歴史を描いたもので、発売後、早くも話題を呼んでいます。 昭和史のプロは、あらためて長いスパンで昭和史を描いてみてなにを感じたか。同書をめぐって、井上さんにインタビューしました。 なぜ日中戦争は泥沼化したか? --今回の本が昭和元年から始まって、現代に至るまで100年の歴史をお書きになってるわけなんですけれども、100年という長いスパンで歴史を書いてみて、とくにどこが面白かったでしょうか? 井上:日中戦争に至る前のところですよね。誰も中国と全面的に戦争しようなんて思っていなかったのに、戦争になっている。それがどうしてなのかというところは、非常に知的に興味を引くところでした。その点は、以前からずっと研究しているんですけれども、何度やっても惹きつけられます。 --日中戦争はそんなに不思議な戦争なのですか? 井上:そうですね。もっとも中国と戦争したがっていたのではないかと思えるような軍部……とくに陸軍の仮想敵国はソ連です。ソ連との戦争に備えるためには、中国で余計なことしたくないという軍事合理性がありますよね。 それで、ほかに誰が中国と本格的に戦争したいのかっていうと、思い浮かばないんですよね。 --とくに戦争を始めたいと中国と戦争を始めたいと思うアクターが見当たらない、と。 井上:そうですね。それなのに、なぜあんな全面戦争になったのか。 日中戦争拡大の経緯を追ってみましょう。1937年7月7日の「盧溝橋事件」がきっかけで日中全面戦争になります。 まず、盧溝橋事件というのは、諸説ありますけれども、おおむね「偶発的な軍事衝突」という理解が一般的です。「中国側の陰謀だ」とか「中国の中でもさらに共産党の陰謀だ」とか「その背後にソ連がある」とか諸々言われますけれども、実証研究からしますと、偶発的な軍事衝突。 「何で日本が盧溝橋にいたのか?」という疑問を呈されることもありますが、1899年の義和団時事件の収拾策のなかで、日本だけではなく列国も共同して盧溝橋の周辺に駐屯していたんですね。そこで近接するところに、両国の軍隊あるいは日本以外の欧米の軍隊もいたなかで、偶発的な軍事衝突が起こったんです。 それで、中国側にも全面戦争にする意思はなかったと考えられます。とくに蒋介石からすると、重要なのは、日本と戦うことよりも、共産党との内戦に備えることです。実際、後に内戦が起きて蒋介石は負けるわけですから。 そうすると、日本もやりたくないし中国もやりたくない。だから盧溝橋事件の数日後には現地で停戦協定を結ばれているんです。 なぜ一度停戦協定が結ばれたのに、戦線拡大したのかというと、今のウクライナ戦争の停戦案にも関わってくると思いますが、停戦協定が結ばれても、それが本当に守られるかどうか、軍隊がそれを監視しないと駄目なわけです。 双方が「停戦協定結ばれました」と言ったからとって、お互いの善意に期待して戦いやめるかどうかはわからない。実際に軍隊が出て行って「お互いに手を出さないよな」ということを確認しないといけないわけですよね。 それで日本も、停戦協定を中国が守るかどうか、軍隊を増派して確認しよう、と。すると、中国側が「これをきっかけにむしろ戦争する気でいるんじゃないか」「戦争する気でいるんであれば、共産党との内戦よりも先に日本に対応しなきゃいけない」ということで戦争が拡大していってしまうんです。 一方でどちらの国も、戦争は早く終えたいという思いがあったので、日中戦争の全部の期間を通じて、様々な和平工作が出る。でも、出ては失敗してしまうんです。それくらいどちらの国も本当はやりたくない。やりたくないけど拡大する。 --たしかにそういう相互不信はありそうですね……。 井上:ただ、日本国内はすこし状況が違って、戦争の最大の被害者は国民なんだけれども、その国民が戦争を支持するんです。 とくに盧溝橋事件が起きて数ヵ月後には相手の首都・南京を陥落する。当時の常識だと、相手の首都・南京が陥落すれば、戦争は終わりです。 しかも日本国民は、「短期間で終わって、日本が勝つ戦争」しか知らないですよね。日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦。第一次世界大戦は4年って言っても、実質的に日本は、ドイツ領の青島をあっという間に占領して自分のものにした。地中海に海軍は派遣されたけど、実際に戦ったわけではないわけですよね。 日清戦争も日露戦争も2年ぐらいで終わっているわけで、そうすると、「戦争というのは短期間で終わって、しかも勝つ戦争」ということになる。いま進んでいるのもそういうものなんだという感覚があるんです。 しかも南京は陥落している。勝ったんだから、それまでの戦争と同じように、領土の一部を奪ったり、賠償金を取ったりできるよねとなるわけです。 ところが政府当局からすれば「いやそんなことしたら、中国は絶対受け入れてくれない」ということで、中国側と国民との板挟みになるわけですよね。 板挟みになっているのが、近衛文麿です。 近衞という人は、国民的な人気を背景に首相になって影響力を拡大していった人なので、余計「国民が何を求めているのか」というのに影響を受ける。 むしろ近衞が独裁者だったら、合理的に中国との戦争を終えることができる。けれど、独裁者じゃなくてポピュリズム政治家なので、大衆の要求に押されて和平条件を加重する。すると中国側は「こんなのは飲めない」となる。だいたい、中国側は負けている気はしていないので。南京が陥落したら、もっと奥地の方に首都を動かせばいいというだけですから。日本側は戦争が終わったと思っていたけど、なにも終わってなかったということです。 * 【第二回】満州事変はなぜ起きたのか? 「昭和史のエキスパート」が教える「外からのクーデター」という「重要な視点」

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