能登半島の地震から1年あまり。地震で家も仕事も失った男性が、古材を使ったある取り組みで再起を図ろうとしています。能登の復興のため、そして家族のために奔走する男性を追いました。 【写真を見る】「能登に残るべきか…」被災家族の葛藤 解体予定の家屋に眠る驚きの“価値”とは 震災から1年あまり 能登で見た”原風景”に魅了され東京から移住 3月、東京ミッドタウンで開かれたある展示即売会。人々が手に取るのは… (購入した人) 「煮物わん。朱の色がいいので」 「岡持ちセット。かわいかったから。デザイン的に昔のものってもうないじゃないですか」 「美しい品々を買いました。完璧なものではありませんが、作り手の精神や歴史を感じました」 去年、能登を襲った地震と豪雨で、壊れて解体される住宅は約4万棟に上っていますが、こうした家とともに捨てられる運命だった家財を持ち主から買い取り、販売する取り組みです。 仕掛け人は輪島市のボランティア団体の代表、山本亮さん(38)。 生まれも育ちも東京。能登との出会いは大学時代にさかのぼります。里山を研究するゼミで輪島市を訪れ、そこで見た風景に心を奪われました。 (山本亮さん) 「かやぶき屋根の風景とか能登瓦の古民家がたくさん立ち並んでいて田んぼがあって。当時の僕はアルバイトしては服を買ったり旅行に行ったり飲み会したり、お金でやりたいことをやるという関係しか知らなかったんですけど、自然に関わることで恵みを得られて、しかもその恵みを自分のためだけじゃなくて大切な家族だったり知り合いだったりのために作ったりシェアする。そうした豊かさがすごいかっこいいなと」 「家族で能登に戻るのが本当にいいことなのか…」 日本の原風景にひかれ、一旦はまちづくりのコンサルティング会社に就職しましたが、能登への憧れを捨てられず、輪島市の地域おこしを仕事に選び移住。 その後、地域全体を一つの宿泊施設に見立て、かやぶき屋根の古民家と郷土料理で観光客をもてなす「里山まるごとホテル」を開業しました。しかし… (山本亮さん)去年4月 「これだけ壁が落ちたり天井が落ちたり。これ全部ごみです」 ホテルとして使っていた古民家は、地震で大きな被害を受け廃業。自宅も半壊となり、妻と子どもは金沢に引っ越しました。 それでも1人で能登に残った山本さん。ホテルの敷地を解体業者に貸すほか、ボランティアの紹介で手数料をもらうなどして生計を立てながら、街の復興に取り組んでいます。 (山本亮さん)去年4月 「家族として戻ってこられる能登になるかはまだ分からない。来年子どもが小学生になるんですけど、戻ってきて通わせることが本当にいいことなのか、彼にとって。でも彼自身は能登が大好きで能登に戻りたいって言ってくれていて、じゃあどういう未来がつくれるのか」 能登の家屋に眠る“価値”を復興の力に こうした中思いついたのが、公費解体を待つ家屋の有効利用。1軒数万円で買い取り、日用品や家具などを販売するだけでなく、築100年を超えるものも少なくない能登の家そのものの再利用も目指しています。 (山本亮さん) 「建具には漆が塗られている。あと畳の下の床材にも漆が塗られているんですね。とにかくふんだんに漆が使われてるのが能登の古民家の一つの特徴で」 単なる解体ではすべて廃棄物として処分されるところを少しでも後世に残そうという取り組み。これができている背景には、被災した建物の解体が遅れ、そのまま残されている皮肉な現実もあります。 将来的には古材を建築材料として再利用してもらう構想もあります。 (山本亮さん) 「住宅メーカーの家が立ち並ぶ能登ではなく、こうした古材を利活用してデザインを考えた家がちょっとでも増えたら」 そして3月。まだ使える日用品などの販売会を東京で開いたのです。 展示会の開催に協力した名古屋出身のデザイナー鈴木啓太さんは。 (鈴木啓太さん) 「能登というと漆塗りのイメージがあるかもしれませんが、そういうものだけではなくて面白い生活の道具がたくさんあります。これは農作業で使う『かご』ですけど、こうした細く竹を割く技術は日本からほとんどなくなっていると言ってもいいと思います。非常に美しい工芸品のようなものだと思います」 山本さんは、能登への注目がどんどん薄れる中、行動を進めなければ未来はないと考えています。 (山本亮さん) 「今能登では『去年の今頃よりもつらい』と言ってる人たちが多いんですね。この先能登ってどうなっていくんだろうと。今人と人の顔の見える関係をたくさん作っていくことによって(能登に)行こうと思える人を増やすことが大事」 能登に残るか金沢に移住か 家族の決断 山本さん一家は地域の人々にとっても特別な存在です。 谷内信子さん(78)は山本さんが東京から移住した頃からの付き合いで、山本さんの長男・泰生くんが金沢から帰ってきたときは必ず顔を見に行きます。 (谷内信子さん) 「(泰生くんが)小さいときはいつも家に泊まっていました。いちゃけなくて(かわいくて)どうにもならんです」 輪島市では地震の後、人口の約3割が流出したと推定される中、山本さん家族の選択は… 泰生くんの小学校入学にあわせて金沢との2拠点生活をやめ、家族3人もう一度、輪島市で暮らすことにしたのです。 (山本さんの妻・晶子さん) 「ちょうど金沢の暮らしも慣れてきたところだったので、結構迷いはあったんですけど。金沢で心配なく暮らせるからといって街の暮らしを選んだとしても、そこで友達もできて楽しいけど、便利だから幸福度が高いかというとそれは違うんだなと金沢に出て思った」 偶然にも谷内さんと同じ仮設住宅でした。 (谷内信子さん) 「泰生と一緒になるなんて。お泊まりに来れるかな?」 「なんか元気出た、泰生見たら」 能登を襲った地震から1年あまり。復興の道筋は見えてきませんが、住民同士の絆を取り戻す動きは少しずつ進んでいます。 CBCテレビ「チャント!」2025年4月9日放送より