私たちはなぜ眠り、起きるのか?睡眠は「脳を休めるため」ではなかった?生物の“ほんとうの姿”は眠っている姿? いま、気鋭の研究者が睡眠と意識の謎に迫った新書『睡眠の起源』が、発売即3刷と話題だ。 「こんなにもみずみずしい理系研究者のエッセイを、久しぶりに読んだ。素晴らしい名著」(文芸評論家・三宅香帆氏)、「きわめて素晴らしかった。嫉妬するレベルの才能」(臨床心理士・東畑開人氏)といった書評・感想が寄せられるなど、大きな注目を集めている。 (*本記事は金谷啓之『睡眠の起源』から抜粋・再編集したものです) 眠らない動物はいるか 進化は、世代を超えて起こるゆっくりとした現象だが、とても大きな力をもっている。生きていく上で必要なものが発達し、不要なものは削ぎ落とされていく。例えば人類は、進化の過程でいつしか尻尾をもたなくなった。今の人類に残っているのは、祖先がもっていた尻尾の名残である尾てい骨だけだ。 睡眠という現象も、長い年月を経て進化してきたはずだ。しかし、よく考えるとじつに不思議だ。眠っているとき、生き物は動きを止め、反応性が鈍る。たしかに睡眠には可逆性があり、眠っていても刺激が加われば覚醒することができる。だが、起きているときに比べると反応が遅れてしまうのは明白だ。身の回りの危険に気がつくのが、遅れてしまう。うつらうつら眠っている間に、天敵に襲われるかもしれない。睡眠は、生き物にとってなんと危険な行為だろうか。 眠るとき、生き物は体を守るような姿勢をとることが多い。マウスは体を丸め込んで眠るが、それは急所であるお腹を守るためなのだろう。イヌも同じように、眠るときには体を丸めてお腹を隠すことが多い。 私の愛犬のブラームスは、もともと川のほとりに捨てられていた犬だ。幼い頃、川べりで何週間か生き延びていたのだろう。そんなブラームスが家に来たばかりの頃、眠っているときにもいつも警戒していて、少しでも物音がすれば飛び上がるように目を覚まし、お腹を見せて眠ることなどなかった。しかし今となっては、野生の勘を忘れてしまったのか、お腹を上に向けて眠っていることがある。 野生の環境では、眠ることが命取りになる。もし眠らなくても平気な生き物がいたとしたら、他の生き物よりも、ぜったい有利なはずだ。自然という神のふるいに残って、選ばれるに違いない。はたしてこの世界に、眠らない生き物は存在するのだろうか──。 草食動物たちは、睡眠時間が短いことが知られている。サバンナに棲むシマウマやキリンは、1日に2〜3時間ほどの睡眠しかとらない。しかも、1回の睡眠は数分ほどの細切れであり、立ったまま眠ることも多い。その一方、それらの天敵となる肉食動物、例えばライオンは1日10時間以上眠るという。 草食動物たちは、天敵から身を守るために、睡眠を極限まで削ってきたのだろう。だが、それでもやはり、1日数時間の睡眠は必要なようだ。天敵に襲われるかもしれないという恐怖に怯えながら、細切れの睡眠をとるのだ。 2012年、Science誌に発表された研究では、アメリカウズラシギという鳥を観察し、3週間にわたって眠らない場合があることを報告している。繁殖期になると、メスを巡ってオス同士が争う。そのとき、3週間もの間ほとんど眠らずに過ごすオスがいるというのだ。そして興味深いことに、眠らずに過ごしたオスの方が有利になって、子孫を残しやすいという。眠らない方が、進化上有利になるということだろうか。 天敵から身を守るために、そして同じ種内での争いで有利になるために、睡眠を削って生きる動物たちがいる。まったく眠らなくても済む生き物はいないのだろうかと気になって調べたことがある。 じつは眠らない動物の報告が、過去に一つだけあった。 それは1967年に発表された論文で、ウシガエルには睡眠といえる状態がないという報告だ。その論文では、ウシガエルは1日のうち、体を動かさずにじーっとしている状態がほとんどの時間を占め、刺激を加えた際の呼吸の変化を計測しても、反応性が変わることはないという。 じーっとしているが起きている状態、言うなれば「警戒休息」の状態が続いていて、ウシガエルが眠ることはないだろうと結論付けた。いささか強引な解釈なように思うが、はたして本当なのだろうか。 現在のところ、ウシガエルが眠らないことに言及しているのは、この報告一つだけであり、真偽は定かでない。 睡眠は「脳の誕生」以前から存在していた…なぜ生物は眠るのか「その知られざる理由」