紀元前に起きた信じられない「奇跡」…演劇の完成形、「ギリシャ悲劇」はこうして生まれた

人類は進化の過程で共感力を獲得し、言語を発達させてきた。そのなかで生まれたのが歌やダンス、演劇だった。そうして演劇は人と人とを繋ぐ芸術となっていった。戦争が止まらないこの時代にこそ私たちはもう一度立ち止り、人類の来し方に思いを馳せたい。群像にて連載中の『ことばと演劇』では、劇作家の平田オリザが演劇の起源に迫っている。 ※本記事は群像2025年5月号に掲載中の新連載『ことばと演劇』より抜粋したものです。 なぜギリシャから興ったのか ギリシャ悲劇。 さまざまな意見はあっても、人類史上、「演劇」がある種の完成された形式をもって登場したのは、地中海東方のごく狭い地域に、紀元前五世紀から四世紀に立ち現れたこの「ギリシャ悲劇」からだと言って、おおよそ不都合はないだろう。 では、なぜ、ギリシャだったのか? そして、なぜ、紀元前五世紀からだったのか? まずは、その助走までを紐解いていこう。これも念のために書いておくが、世界には四大文明やそれ以外にもさまざまな文明の歴史がある。ただ、ここではギリシャ悲劇の成立に関わるところだけを駆け足で辿っていく。 人類最初の古代文明は、ペルシャ湾(チグリス・ユーフラテス川の河口付近)から地中海東部のレバント地域(いまのシリア、ヨルダン、パレスチナ周辺)そしてエジプト北部に至る「肥沃な三日月地帯」で始まった。詳細は控えるが、いまから一万年程前に、まずメソポタミア北部で農耕と牧畜(獣の家畜化)、そして定住が始まったとされる。やがてこの人々が南下し、チグリス・ユーフラテスの河口付近まで進出する。しかしこの地域は降雨量が少なく、土地も塩分を含んで農耕に適した地域とは言いがたかった。そこで人々は灌漑農業を開始する。本格的な「土木」の始まりと言ってもいいだろう。この点はのちのギリシャの項でも重要になってくるので、やはり記憶にとどめておいて欲しい。 この時代、宗教も本格的に確立し、やがて人類初の王朝が成立する。その順番は、どんなものだっただろうか。推測の部分も多いが、およそ以下のような成り行きではなかったか。 まずそれぞれの部族ごとの集落が出来、そこに小さな神殿が作られた。この点は考古学的にも証明されている。宗教の確立した理由は主に三つだろう。一つは前回も記した死者の弔い。もう一つが五穀豊穣への祈り。そして自然災害への畏れ。これらは当然連動していただろうが、メソポタミアにおいては、あとの二つのつながりは特に重要だった。 チグリス・ユーフラテスの源流はトルコの山岳地帯。ここに積もった雪が春に溶けて洪水をもたらす。洪水は厄災であるとともに、栄養分豊かな土砂をも運んでくる。大河の下流域に住む人々にとっては適度な洪水への願いこそが第一義であった。 灌漑農業は天候に左右されにくく、麦の収量は人口増を補ってあまりあるほどに飛躍的に上がった。人類は初めて、マルクスが言うところのまとまった量の剰余価値を手に入れた。この余分な蓄積は何に向かっただろう。装飾品や工芸、他地域との交易、そして戦争。さらに重要なのが神への感謝だったことは間違いない。どの原始宗教にもある「生け贄」は、まさに剰余価値の神への還元だった。 神殿は徐々に大きくなっていく。ここはニワトリが先か卵が先か分からない。ただ、収量が上がれば、より大きな神殿が建てられることは間違いない。隣村の住民たちは「あの村は、あんな大きな神殿を建てたから神からたくさんの恩恵を受けたのだ」と考えるだろう。そして、隣村よりさらに大きな神殿を建てようとする。 祠のようなものから始まった宗教施設は、こうして巨大化していく。そこでの儀式も複雑化し形式化していっただろう。 都市国家が生まれる この時代、首長の役割は主に祭礼の進行と穀物の分配、そして戦争の指揮だった。血縁によってつながる小さな共同体では、これらの作業は渾然一体としており、だからこそ一人の首長によって司ることができた。 だがやがて、そのような地縁血縁型の共同体を超える大きな集団=都市国家が、シュメール人たちによって形成される。大規模な灌漑工事や神殿の創立は、一部族だけでは限界があったからだ。 柄谷行人氏は、互酬的な交換関係の限界を超えるために国家が生まれたのだと指摘する。そしてそこには、単なる武力による制圧ではなく、なにか「霊的なもの」の働きがあったのではないかと考える。 これを私なりの言葉にさせてもらうならば、氏族型の共同体のときには、みんなで働いて、収穫をして、冬を乗り切るために余ったものを貯める。あとは首長が適当に分配をした。適当というのは気ままにではなく、まさに「適切に」分配をしたはずだ。そうでなければ首長は交代を迫られたから。 しかし国家は、王の命令の下、規律正しく一定の徴収を行い、また何らかの形での規則的な分配を実施する。 だから、それまでの共同体と国家との大きな違いの一つは「税」だったとも言えるだろう。共同体が大きくなれば、見ず知らずの人(王)に、せっかく収穫した穀物の一部を供出しなければならない。それは村の鎮守や神殿に一定の穀物を自ら供えるのとは異なる感覚を強いただろう。そのためには単なる支配と隷従という関係だけではなく、何らかの形而上的な(霊的な)つながりが必要だった。 ここまではおよそ六千年前くらいまでの出来事。先を急ぐ。 主に徴税の必要から、さらには交易の管理の必要から文字が生まれた。約五千五百年前、バビロンで楔形文字が、その数百年後には古代エジプトでヒエログリフ(聖刻文字)が生まれた。前後して官僚機構も誕生しはじめる。 だがやがてシュメールの都市国家はさまざまな理由で滅び、アッカド王朝、バビロン王朝などを経て三千七百年前(紀元前十七世紀)、ヒッタイトが登場する。ヒッタイトの特徴は鉄の使用、そして戦車の発明だ。バビロン王朝も古代エジプトの歴代の王朝も軍隊と呼べるものはすでに持っていたが、格段に「強い」戦闘集団が世界史に登場した。 「海の民」に滅ぼされた帝国 しかしこのヒッタイトの帝国もまた、「海の民」と呼ばれる謎の集団によって滅ぼされる。海の民はヒッタイトだけではなく紀元前十三世紀から十二世紀にかけて東地中海を荒らし回り甚大な被害を与えた。想像の範囲だが、ヒッタイトの最強戦車軍団は神出鬼没の海賊集団に滅ぼされた。 この「海の民」については歴史研究の上でもまだ解明されていない部分が多いのだが、複数の部族で構成されていたと言われている。だとすれば彼らは、歴史上最初の結社、ゲゼルシャフトであったのかもしれない。漫画『ワンピース』の面々を想像していただいてもいい。だとすればルフィたちの敵である「世界政府」はエジプトあたりだろうか。 ただ現実には海の民もやがて自然消滅していく。その後、レバント地域は政治の空白地帯となる。そこにフェニキア人が登場した。 フェニキア人の文明史上の大きな功績は二つ。 一つはアルファベットの原型となったフェニキア文字の発明。この表音文字が普及することによって、それまでごく一部の官僚の独占事項だった「読み・書き」が、多くの市民に共有されることになる。 もう一つは舟の背骨にあたる竜骨の発明。それまではいかだか丸木舟だったものが、竜骨の登場によって複雑化、巨大化し、遠洋航海も可能となった。フェニキア人は海の民の末裔とも言われ、もともと高い航海術を持っていた。帆と櫓を組み合わせることで、さらに操船の技術も飛躍的に進歩する。伝承では紀元前八一四年、フェニキアは植民都市カルタゴ(いまのチュニジア近辺)を建設した。この時期、商圏が大きく拡大したのだ。 並行して貨幣経済も進歩を遂げた。文明の初期においては大麦や家畜などが共通の「物品貨幣」だったが、紀元前七世紀、アナトリア半島で世界最初の鋳造貨幣が登場する。交易の複雑性が加速した。 さてこの間、エーゲ海の周辺ではクレタ文明(紀元前三千年〜千四百年頃)、ミケーネ文明(紀元前千六百年〜千二百年頃)などが繁栄し、のちのギリシャ神話の起源となる世界観を形成してきた。ただしその後四百年ほどは「暗黒時代」が続く。この「暗黒」とは圧政が続いたという意味ではなく、単純に記録がなく、またおそらく文化的にも停滞期にあったと考えられている。 この時期、マケドニアからドーリア人が鉄器とともに南下してきた。ミケーネ文明が滅ぼされたのも、この民族の移動が原因という説もある。マケドニアは、のちにアレキサンダー大王の帝国の礎となるほどの肥沃な大地だ。しかしアテネやスパルタなどがあるバルカン半島の南端およびペロポネソス半島は山がちで、また降雨量も少なかった。人々は急な斜面に、この土地柄に適したブドウとオリーブを植え、そこから作られた葡萄酒とオリーブ油を交易の材料とした。ここにギリシャの都市国家が成立する。 世界は「構造」でできている…ひとりの言語学者が発見した「驚きの仕組み」

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