日本のお葬式や法事で耳にする「お経」が、チンプンカンプンでまったく意味が分からないのはなぜだろうか? 「仏教」とは、本来そういうものなのだろうか——。 じつは、日本人が知っているのは、「仏教」のほんの一部分にすぎない。それを教えてくれる本が、講談社選書メチエのベストセラー『仏教の歴史 いかにして世界宗教となったか』(ジャン=ノエル・ロベール著、今枝由郎訳)だ。 「日本のアショーカ王」は誰か? 本書によれば、中国・朝鮮やチベットはもちろん、東南アジアやヨーロッパでもまったく違う姿を見せることこそが、仏教の大きな特質だ。 〈仏教について何かを語るときには、それがどの時代の、どの国の、さらにはどの宗派のことなのかを限定する必要がある。(中略)仏教は多様性を含んだ宗教であり、ある事柄に関して〔仏教ではこうであると〕決定的に断言することが非常に難しい。〉(『仏教の歴史』p.27) そのなかで、「日本仏教」はどう位置づけられるのだろうか。日本の天台宗の研究で国際的に高く評価されるロベール氏は、日本仏教について多くのページを割いている。 550年頃に百済から公式に日本に伝来した仏教は、聖徳太子(574-622年)の働きによって本格的な発展を始めた。 〈十七条憲法は仏教を国教として宣明したものと見なされるが、実際にはこの中には仏教的要素以上に儒教的要素が含まれている。しかしながら日本史においては、聖徳太子は仏教を保護した治世者として、日本のアショーカ王的存在として記憶されている。〉(同書p.110) その後、奈良時代の東大寺・唐招提寺など「南都仏教」の発展、平安時代の天台宗・真言宗の誕生を経て、鎌倉時代には新たな動きが起こる。日本の教科書で「鎌倉新仏教」と呼ばれる浄土系宗派や禅宗の創始だ。 〈こうした潮流の全てに共通しているのは、膨大な大蔵経に説かれている極めて複雑な教義、実践、儀式の抜本的単純化である。実際のところ、大蔵経全体を読んだと自慢できるのはほんの一握りの僧だけである。民衆、貴族、武士に自らが実際に、そして有効的に仏教を実践しているという気持ちを抱かせたことが、こうした単純化された教えが、さまざまな階級に受け入れられ、普及した理由である。〉(同書p.115) そして、江戸時代の一種の国教化、明治時代の〈中国の文化大革命にも匹敵する徹底的な排斥〉(同書p.116)すなわち「廃仏毀釈運動」が吹き荒れた後—— 〈終戦と共に、神道はそれまでの地位から失墜したが、仏教が返り咲くことはなかった。ここで出現したのは、「新興宗教」と呼ばれるかなり独自な現象である。その中では、日蓮を祖と仰ぎ、『法華経』を崇拝する在家宗教が数多く見られる(創価学会、立正佼成会など)。しかし一層革新的な運動もあり、伝統を無視して、外国─—中には西洋もある─—の仏教を直接導入したりする、正直なところ軌を逸したと言えるものもある。こうした中で、もっとも過激な集団であるオウム真理教による1995年春の東京メトロでの襲撃事件は記憶に新しい。〉(『仏教の歴史』p.116) 日本仏教が「偏食」になった理由 一神教では、同じ宗教の信者間に連帯や友愛の感情が生じるが、仏教徒には「すべての仏教徒」を代表して語る人や、中心的組織が存在しない。ダライ・ラマでさえ、〈その宗教的権威は自らがその長である宗派の域を越えるものではない。〉(同書p.26)という。日本仏教ももちろん、御多分に洩れない状況にある。 〈仏教が最も深く浸透した極東の一つの国である日本の例を取ってみよう。仏教には数多くの宗派があり、全仏教界を統一しようとする試みはあるものの、近代社会が直面する大きな道徳的問題に対して、仏教を代表して一つの立場で見解を述べることができないし、その必要性すら感じていないのが現実である。〉(同書p.26) そうした日本仏教の歴史と現状については、訳者の今枝由郎氏が巻末で解説してくれている。なお、今枝氏はチベット歴史文献学の第一人者で、フランス、ブータンで長く研究に携わり、2023年、第57回仏教伝道文化賞を受賞している。 以下、今枝氏の解説によると—— インドから各地に伝播した仏教は、大別すると、スリランカ、東南アジアに伝わったテーラワーダ系(南伝仏教)と、中央アジア、チベット、中国、日本へと伝わった大乗系(北伝仏教)の二系列があり、さらに大乗系は、大きくチベット系と中国系の二つに分けることができる。 このうち、テーラワーダ系仏教ではすべての経典が大蔵経として一まとまりで伝承され、スリランカ、ミャンマー、タイをはじめすべての国に共有されている。文字は国ごとに変わるが、言語的には古典語であるパーリ語のままで伝承され、注釈書や僧侶による法話は現地の言葉が用いられる。 また、チベット系は、八世紀後半にチベットが仏教を国教として取り入れ、国家の一大事業として、当時インドで入手できた大乗仏教経典がすべて数十年の間に組織的にチベット語に翻訳されたという。こうしてテーラワーダ系仏教とチベット系仏教は、その教義、修行体系は大きく異なっているものの、各々が一つのまとまった大蔵経を共有しており、本来の僧侶の集団も存続し、仏教本来の姿が見失われていない。 ところが中国系仏教では、仏教経典全体が一まとまりとして翻訳されることはなかった。インド、中央アジアの僧侶が、自らが精通しているいくつかの経典を単発的に中国語に翻訳してきたのである。 〈こうした翻訳活動が数世紀に及び、結果的には膨大な経典が訳出されたが、けっして整然と組織的に行われたわけではなかった。いってみれば、仏教はアラカルト的に単品ごとにしか紹介されることはなく、仏教全体がセットメニューとして提供されることはなかった。すなわち中国人僧各人は、大蔵経全体からすればごく一部の経典だけに基づいて仏教を理解する、いわば「偏食」することになったわけである。〉(同書「訳者解説」p.168-167) そして、中国仏教の延長線上にある日本仏教は、この偏食——仏教用語で「専修(せんじゅ)」の傾向が一層高まったという。 日本の各宗派は、もっぱら特定の経典を専門に修め、しかも経典そのものは漢訳仏典のままで、近代にいたるまで日本語に訳されることもなかった。 結果的に「お経」は一般信者にはチンプンカンプンになり、日本の仏教は「信仰」というよりは、葬式、お彼岸といった「行事」「法要」としてのみ存在している感がある。 〈かつて日本の携帯電話は、国際標準仕様とは異なる進化を遂げたがゆえに、生物が南米大陸から西に離れた赤道直下のガラパゴス諸島において独自に進化したのになぞらえて、「ガラパゴス携帯電話」(略して「ガラ携」)と評された。これにならえば、アジア大陸の東の海に浮かぶ日本列島に孤立して、千五百年近くにわたって特異な進化をたどった日本仏教は「ガラパゴス仏教」すなわち「ガラ仏(ぶつ)」ということができるのではないだろうか。〉(同書「訳者解説」p.169-170) しかし、だからといって、日本仏教が「本来の仏教から逸脱した誤ったものであると一蹴することはできない」と今枝氏はいう。ロベール氏が本書で述べているように、〈多様な文化に対する並はずれた適応能力によって、特異な豊かさを呈している〉(同書p.27)のが仏教なのである。 【もっと読む】これは日本人研究者には書けない!? フランス屈指の東洋学者〈世界レベル〉の仏教史、驚きの日本語版。