私たちはなぜ眠り、起きるのか?睡眠は「脳を休めるため」ではなかった?生物の“ほんとうの姿”は眠っている姿? いま、気鋭の研究者が睡眠と意識の謎に迫った新書『睡眠の起源』が、発売即3刷と話題になっている。 「こんなにもみずみずしい理系研究者のエッセイを、久しぶりに読んだ。素晴らしい名著」(文芸評論家・三宅香帆氏)、「きわめて素晴らしかった。嫉妬するレベルの才能」(臨床心理士・東畑開人氏)といった書評・感想が寄せられるなど、大きな注目を集めている。 (*本記事は金谷啓之『睡眠の起源』から抜粋・再編集したものです) 睡眠と遺伝子 1日に必要な睡眠時間は、だいたい決まっている。私の場合、いつも7時間くらい眠っていて、8時間眠るとよく眠ったと感じる。でも6時間の睡眠だと、日中に眠くなるし、4時間を切ると集中力も低くなる。おそらく私にとって、適切な睡眠時間は7〜8時間だ。 なかには毎日4〜5時間くらいの睡眠でもまったく平気だという人がいる一方、9時間くらい眠らないとすっきりしないという人もいる。適切な睡眠の長さは、どのように決まっているのだろう? 「睡眠の二過程モデル」という理論がある。睡眠が「体内時計」と「睡眠圧」という2つの成分によって制御されているというものだ。「体内時計」が睡眠のタイミング、「睡眠圧」が睡眠の長さや質を決めている。「体内時計」は、時計遺伝子による24時間のサイクルにもとづいていた。はたして「睡眠圧」の実体は何か? 「睡眠圧」は、起きている間に高まり、眠ることで軽減される。「睡眠圧」は体のどこに溜まっているのだろうか。現在の理解では、睡眠は、神経系に由来する現象だ。そうすると、やはり「睡眠圧」も神経系に溜まるに違いない。 ヒトの脳やショウジョウバエの脳、302個の神経細胞でできた線虫の神経系、そしてヒドラがもっている散在神経系──神経のつくりはそれぞれ異なっている。でも、どれもが神経回路として機能している。神経回路のなかに、“眠りのスイッチ”のようなものが存在するのではないだろうか。「睡眠圧」の高まりを感じ取り、蓄積したときに眠りへと導くスイッチだ。マウスやショウジョウバエ、さらに線虫を用いた研究で、神経回路内の“眠りのスイッチ”の存在が示唆されてきた。 しかし、ここで一歩立ち止まって考えてみたい。 神経系は、神経細胞の集合体だ。一つひとつの神経細胞に目をやると、それらは単なる回路の素子ではない。生きた細胞なのだ。神経細胞は他の細胞と同じように、タンパク質の製造工場に喩えることができ、工場内で合成されたタンパク質が部品として機能している。そして、タンパク質は遺伝子という設計図にもとづいているのだ。 生命現象には階層がある。私たちの体で起きている生命現象の多くは、臓器や組織で起きている現象に分解することができ、突き詰めていくと、それらを構成する一つひとつの細胞で起きている現象にたどり着く。そして、細胞の中で起きている現象は、遺伝子に刻まれた情報にもとづいている。そうだとすると、睡眠も、細胞の中で起きている現象に分解して考えることはできないだろうか。すなわち、睡眠は、細胞の設計図である遺伝子に刻まれているのではないかということだ。 遺伝子は両親から受け継ぎ、子孫へと引き継がれる。睡眠が遺伝子で説明できるのかを考えるには、まず次のような問いを立ててみるのがいい──睡眠は遺伝するのか? 家族性自然短眠(Familial natural short sleep)と呼ばれるものがある。家族内で遺伝しているかのように、睡眠時間が短い家系があるのだ。自然短眠とはどういうことかというと、毎晩4〜6時間ほどの睡眠でも十分に眠ったと感じ、朝に起きづらく感じたり、日中に眠気を我慢したりすることもない。睡眠が少なくても平気な体質なのだ。いわゆる「ショートスリーパー」である。ショートスリーパーだと自称する人の多くは、眠気を我慢しながら過ごしていると考えられていて、睡眠が少なくてもまったく平気な真のショートスリーパーはじつは珍しい。 2019年に発表された論文では、家族性自然短眠について調査し、Adrb1と呼ばれる遺伝子の変異が、自然短眠と関連していることが報告された。Adrb1は神経細胞同士の情報のやり取りに関わる遺伝子だ。短眠家系の人では、Adrb1の設計図が、ほんの一ヵ所だけ書き換わっているらしい。その一ヵ所以外は、まったく正しい設計図なのだ。それでも、つくられるタンパク質の機能が変わる。それによって、神経細胞同士の情報のやり取りに影響が生じ、結果的に睡眠が短くなるのだ。マウスの実験で、Adrb1の設計図を同じように書き換えると、やはり睡眠時間が短くなるという。 【つづきを読む】睡眠は「脳の誕生」以前から存在していた…なぜ生物は眠るのか「その知られざる理由」